#42 【特別対談:林哲司①】林哲司さんとフジパシフィックの出会い episode artwork

EPISODE · Dec 14, 2023 · 18 MIN

#42 【特別対談:林哲司①】林哲司さんとフジパシフィックの出会い

from 『朝妻一郎 たかなる心の歌-マイ・ジュークボックス-』 · host 朝妻一郎ポッドキャスト

第42回はゲストに作曲家の林哲司さんをお迎えしての特別対談をお送りします。 シティポップを代表するメロディメーカーである林哲司さんは、2023年デビュー50周年を迎えられました。林さんが楽器の演奏や作曲を始めるきっかけになった音楽体験のこと、学生時代に影響を受けた音楽についてのお話を伺います。また、作曲家になる以前に経験された音楽雑誌のライターや編集の仕事を通して見聞を広め、研鑽を積まれたというエピソードをお届けいたします。 ●「僕の隣りの孤独」(1973年):林哲司のデビュー・シングル。ポリドール・レコードより発売。 【林哲司さんとフジパシフィックの出会い】 ●多賀英典(1943年3月1日 - ): 日本の音楽プロデューサー、映画プロデューサー、実業家。小椋佳や井上陽水の作品を手がけた後、独立。キティ・レコードやキティ・フィルムをグループ会社として持つキティ・グループの創業者で、現在は会長を務めている。 ●金子章平 ( 1946年1月20日 - 2011年10月16日逝去): 加藤登紀子、中山ラビ、カルメン・マキ&OZ、井上陽水、安全地帯などのプロデューサーとして活躍。 ●PMP(パシフィック音楽出版の略称): 1966年にニッポン放送の子会社として設立。 2015年に現在のフジパシフィックミュージックに商号を変更。 ●株式会社日音: 1963年、日本音楽出版株式会社として設立し、TBSホールディングスの機能子会社として、「1971年に現在の社名に改称。邦楽曲5万曲以上、洋楽曲100万曲以上の著作権管理をするほか、原盤制作、作家マネージメントなどを手がける。 ●JCM(株式会社セントラルミュージックの略称): 文化放送の子会社で、音楽出版ならびにラジオ放送番組の制作を手掛ける。 ●ザ・フォーク・クルセダーズ: 1960年代後半にデビューした音楽制作集団で、フォークルという略称でも呼ばれる。当初5人のメンバーで活動を始めるが、メンバーが異動、プロデビュー時には、加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人で活動。 【兄達からの影響と最初に触れた楽器】 ●ポール・アンカ(1941年7月30日- ) カナダ出身のシンガー・ソングライター。ニール・セダカやデル・シャノンと共に、ポップスの草創期を代表するアーティスト。 【クリフ・リチャードに触れ、ギターを手に取る】 ●クリフ・リチャード(1940年10月14日 - ) バックバンドのシャドウズと共に、ビートルズ時代が到来する前の1950年代末から1960年代初めにかけてイギリスのポップミュージック・シーンを席巻したアーティスト。 【大学進学での上京と映画音楽からの影響】 【ヤマハの音楽スクールで学んだことと貴重な出会い】 ●村井邦彦(1945年3月4日 - ) 作曲家・編曲家・プロデューサー。1960年代後半、慶應大学在学中より本格的に作曲を始め、森山良子、赤い鳥、タイガース、トワ・エ・モワらに作品を提供。69年、音楽出版社アルファミュージックを設立。77年にはアルファレコードの創業者、プロデューサーとして荒井由実(現・松任谷由実)や、細野晴臣が在籍したティン・パン・アレーを見いだし、YMOを世界に送り出して成功に導いた。現在は米国ロサンゼルス在住。 ●萩田光雄(1946年6月16日 - ): 作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。1975年に布施明の「シクラメンのかほり」、翌1976年に梓みちよの「メランコリー」で日本レコード大賞編曲賞を2年連続で受賞。関連書籍として『ヒット曲の料理人 編曲家萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。 ●船山基紀(1951年1月13日 - ): 作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。1977年、編曲を手がけた沢田研二「勝手にしやがれ」が、第19回日本レコード大賞を受賞アイドル、アーティストら編曲した曲は2700曲を超える。 【音楽制作現場のアルバイトからキャリアをスタート】 ●渡辺貞夫(1933年2月1日 - ) ジャズミュージシャン・作曲家。「ナベサダ」の愛称で、サックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。1962年に、バークリー音楽院に留学。1965年に帰国後、多くの内外ミュージシャンと共演し、ボサノヴァをジャズの世界に紹介した。 【音楽雑誌のライター/編集時代の思い出】 ●月刊音楽雑誌『ライトミュージック』 70年代に財団法人ヤマハ音楽振興会が発行。 ●フォルスター事務所 米国の放送会社NBCの東京支社長ジョージ・トーマス・フォルスターが、連合国最高司令官から著作権仲介業務の許可を受け、NBC東京支局内で業務を開始した会社。当初の業務は、主に海外の出版社から日本語に翻訳出版する権利を取得の上で、日本の出版社に許諾するという仕事だった。 【ヤマハの音楽スクールと “ポプコン”の功績】 ●ポプコン 『ヤマハポピュラーソングコンテスト』の略称。ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト。 ●川上源一(1912年1月30日 - 2002年5月25日) 日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代社長。ヤマハ音楽教室を全国で展開して音楽教育の裾野を広げるほか、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』や『世界歌謡祭』などを開催して、1970年代から80年代のフォークソングとロックミュージックの隆盛に貢献した。

第42回はゲストに作曲家の林哲司さんをお迎えしての特別対談をお送りします。 シティポップを代表するメロディメーカーである林哲司さんは、2023年デビュー50周年を迎えられました。林さんが楽器の演奏や作曲を始めるきっかけになった音楽体験のこと、学生時代に影響を受けた音楽についてのお話を伺います。また、作曲家になる以前に経験された音楽雑誌のライターや編集の仕事を通して見聞を広め、研鑽を積まれたというエピソードをお届けいたします。 ●「僕の隣りの孤独」(1973年):林哲司のデビュー・シングル。ポリドール・レコードより発売。 【林哲司さんとフジパシフィックの出会い】 ●多賀英典(1943年3月1日 - ): 日本の音楽プロデューサー、映画プロデューサー、実業家。小椋佳や井上陽水の作品を手がけた後、独立。キティ・レコードやキティ・フィルムをグループ会社として持つキティ・グループの創業者で、現在は会長を務めている。 ●金子章平 ( 1946年1月20日 - 2011年10月16日逝去): 加藤登紀子、中山ラビ、カルメン・マキ&OZ、井上陽水、安全地帯などのプロデューサーとして活躍。 ●PMP(パシフィック音楽出版の略称): 1966年にニッポン放送の子会社として設立。 2015年に現在のフジパシフィックミュージックに商号を変更。 ●株式会社日音: 1963年、日本音楽出版株式会社として設立し、TBSホールディングスの機能子会社として、「1971年に現在の社名に改称。邦楽曲5万曲以上、洋楽曲100万曲以上の著作権管理をするほか、原盤制作、作家マネージメントなどを手がける。 ●JCM(株式会社セントラルミュージックの略称): 文化放送の子会社で、音楽出版ならびにラジオ放送番組の制作を手掛ける。 ●ザ・フォーク・クルセダーズ: 1960年代後半にデビューした音楽制作集団で、フォークルという略称でも呼ばれる。当初5人のメンバーで活動を始めるが、メンバーが異動、プロデビュー時には、加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人で活動。 【兄達からの影響と最初に触れた楽器】 ●ポール・アンカ(1941年7月30日- ) カナダ出身のシンガー・ソングライター。ニール・セダカやデル・シャノンと共に、ポップスの草創期を代表するアーティスト。 【クリフ・リチャードに触れ、ギターを手に取る】 ●クリフ・リチャード(1940年10月14日 - ) バックバンドのシャドウズと共に、ビートルズ時代が到来する前の1950年代末から1960年代初めにかけてイギリスのポップミュージック・シーンを席巻したアーティスト。 【大学進学での上京と映画音楽からの影響】 【ヤマハの音楽スクールで学んだことと貴重な出会い】 ●村井邦彦(1945年3月4日 - ) 作曲家・編曲家・プロデューサー。1960年代後半、慶應大学在学中より本格的に作曲を始め、森山良子、赤い鳥、タイガース、トワ・エ・モワらに作品を提供。69年、音楽出版社アルファミュージックを設立。77年にはアルファレコードの創業者、プロデューサーとして荒井由実(現・松任谷由実)や、細野晴臣が在籍したティン・パン・アレーを見いだし、YMOを世界に送り出して成功に導いた。現在は米国ロサンゼルス在住。 ●萩田光雄(1946年6月16日 - ): 作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。1975年に布施明の「シクラメンのかほり」、翌1976年に梓みちよの「メランコリー」で日本レコード大賞編曲賞を2年連続で受賞。関連書籍として『ヒット曲の料理人 編曲家萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。 ●船山基紀(1951年1月13日 - ): 作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。1977年、編曲を手がけた沢田研二「勝手にしやがれ」が、第19回日本レコード大賞を受賞アイドル、アーティストら編曲した曲は2700曲を超える。 【音楽制作現場のアルバイトからキャリアをスタート】 ●渡辺貞夫(1933年2月1日 - ) ジャズミュージシャン・作曲家。「ナベサダ」の愛称で、サックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。1962年に、バークリー音楽院に留学。1965年に帰国後、多くの内外ミュージシャンと共演し、ボサノヴァをジャズの世界に紹介した。 【音楽雑誌のライター/編集時代の思い出】 ●月刊音楽雑誌『ライトミュージック』 70年代に財団法人ヤマハ音楽振興会が発行。 ●フォルスター事務所 米国の放送会社NBCの東京支社長ジョージ・トーマス・フォルスターが、連合国最高司令官から著作権仲介業務の許可を受け、NBC東京支局内で業務を開始した会社。当初の業務は、主に海外の出版社から日本語に翻訳出版する権利を取得の上で、日本の出版社に許諾するという仕事だった。 【ヤマハの音楽スクールと “ポプコン”の功績】 ●ポプコン 『ヤマハポピュラーソングコンテスト』の略称。ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト。 ●川上源一(1912年1月30日 - 2002年5月25日) 日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の第4代社長。ヤマハ音楽教室を全国で展開して音楽教育の裾野を広げるほか、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』や『世界歌謡祭』などを開催して、1970年代から80年代のフォークソングとロックミュージックの隆盛に貢献した。

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