PODCAST · education
琵琶湖まんだら
by FM滋賀
母なる湖を中心に広がる自然に抱かれ共生してきた私たちの歴史と文化。その自然環境と周辺に広がる人々の暮らしや文化の魅力と大切さを紹介する番組『琵琶湖まんだら』。湖国に受け継がれた暮らしや文化の多様な姿に光をあて、私たちの未来を探ります。
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2026年5月7日(木)放送「近江八幡左義長まつり編」
テーマは「近江八幡左義長まつり編」 織田信長亡き後、豊臣秀次が城主となった八幡山城が築かれ、 城下町には安土から町衆が移り住みました。 彼らは、移り住んだ土地の氏神である「日牟禮八幡宮」に、安土で行っていた「左義長」を奉納するようになりました。これが、現在につづく「左義長まつり」のはじまりだと言われています。 今日は、左義長まつりを引き立てる存在にもなっている美しい堀「八幡堀」に注目し、 お話をお聞きします...。
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2026年4月30日(木)放送「近江八幡左義長まつり編」
琵琶湖の東側、湖東平野の中央部に位置する近江八幡市で毎年3月に開催されている「左義長まつり」のルーツは、 織田信長が安土城を築いた時代にありました。信長は、もともと宮中で行われていた行事である「左義長」を、安土城下でも行うよう命を出したのです。 そして、自らも派手な衣装を身にまとい、町衆に混ざって踊り出たことが信長の一代記『信長公記』に記されています。 現在行われている、近江八幡の「左義長まつり」は、信長亡き後、豊臣秀次が八幡山城を築き、 城下町を開いたころに始まったと伝わります。今週は、完成した左義長を披露する「まつり当日」に注目し、お話を伺います...。
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2026年4月23日(木)放送「近江八幡左義長まつり編」
琵琶湖の東側、湖東平野の中央部に位置する近江八幡市は、 美しい景観と歴史風土に恵まれた地域です。 豊かな水と土の恵みによって、まちは古くから農業を中心に栄え、 中世以降は、陸上と湖上、両方の交通の要衝であることから、多くの「城」も築かれました。 毎年3月に開催されている「左義長まつり」は国の無形民俗文化財。織田信長亡き後に築かれた「八幡山城」の城下町には、安土から町衆が移り住みました。 彼らが、この地の氏神である「日牟禮八幡宮」に「左義長」を奉納するようになり、 これが現在に続く「左義長まつり」のルーツとなっています。 まつりのクライマックスになると、左義長は次々と燃え上がり、早春の夜空を焦がします...。
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2026年4月16日(木)放送「近江八幡左義長まつり編」
琵琶湖の東側、湖東平野の中央部に位置する近江八幡市は、 美しい景観と歴史風土に恵まれた地域です。 豊かな水と土の恵みによって、まちは古くから農業を中心に栄え、 中世以降は、陸上と湖上、両方の交通の要衝であることから、多くの「城」も築かれました。 毎年3月に開催されている「左義長まつり」は4月に行われる「八幡まつり」、5月に行われる「篠田の花火」と合わせて、 近江八幡の「春の三大祭り」と呼ばれ、 豊臣秀次が八幡山城を築き、城下町を開いたころに始まったと伝わりますが、 そのルーツは、それよりも前、信長の時代にあるといいます...。
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2026年4月9日(木)放送「長浜市余呉」
テーマは「長浜市余呉」 まちの中心的存在となってきたのは「余呉湖」です。 余呉湖には、現在、導水路やゲート、放水路などが設置され、「治水ダム」としての機能も備えられています。 余呉湖は、美しいだけではなく、暮らしを支える「強さ」を持った、地域に無くてはならない存在となっています。実は、余呉湖は食材の宝庫でもあります。 余呉湖の西側の集落には、コイやフナ、モロコ、ワカサギなど、余呉湖で獲れる魚をはじめ、 地元ならではの「旬の味」を追求した料理を提供する料理旅館=「オーベルジュ」があります。 賤ケ岳などの山々に囲まれた湖畔で提供される料理は、他にはない、唯一無二の味として、世界から注目を集めています...。
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2026年4月2日(木)放送「長浜市余呉」
テーマは「長浜市余呉」 滋賀県の最北部に位置する「余呉地区」。 まちの中心的存在となってきたのは「余呉湖」です。 余呉湖には、現在、導水路やゲート、放水路などが設置され、「治水ダム」としての機能も備えられています。 余呉湖は、美しいだけではなく、暮らしを支える「強さ」を持った、地域に無くてはならない存在となっています。 この余呉湖のほとり、下余呉地区に受け継がれる『下余呉太鼓踊り』に注目します...。
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2026年3月26日(木)放送「長浜市余呉」
テーマは「長浜市余呉」 「長浜市木之本」の中心地にある「木之本駅」からJR北陸本線に乗って敦賀方面へ向かうと、1駅となりが「余呉駅」です。 現在は「長浜市」の一部となっている「余呉」地区は、2010年に合併するまで、 滋賀県の最北部に位置する「余呉町」でした。 人々の暮らしの中心となってきた「余呉湖」。地域の「歴史」や「文化」。そしてここに暮らす人々の「想い」。 余呉地区がもつ「魅力」を、今日から少しずつご紹介します..。
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2026年3月19日(木)放送「長浜市木之本」
テーマは「長浜市木之本」 長浜市の北部、周囲を山に囲まれた「木之本」は、 古代から、北陸方面と都とを結ぶ要衝地として発展してきました。 また、周囲の山々では古くから「山岳信仰」が息づき、地域の歴史と文化が育まれました。「木之本」という地名の由来は、「木之本地蔵院」にあると伝わります。 飛鳥時代、奈良薬師寺の僧侶、祚蓮上人が、お地蔵さまを背負って、北国街道を下ったとき、休息をとった「大きな柳の木のもと」でお地蔵さまが動かなくなってしまったため、お堂を建てたのが 「木之本地蔵院」の始まりと伝わります。 この「柳の木のもと」の伝承が「木之本」という地名になったと言われています..。
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2026年3月12日(木)放送「長浜市木之本」
テーマは「長浜市木之本」 長浜市の北部、周囲を山に囲まれた「木之本」は、 古代から、北陸方面と都とを結ぶ要衝地として発展してきました。 また、周囲の山々では古くから「山岳信仰」が息づき、地域の歴史と文化が育まれました。いま、木之本では、受け継がれてきた伝統を丁寧に守りながら、 新しい手法や感性を取り入れ、次の時代に向かって歩みを進めている、 老舗や施設が存在感を放っています。今週は、「室町時代」創業の「酒蔵」でお話しを伺います..。
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2026年3月5日(木)放送「長浜市木之本」
テーマは「長浜市木之本」 長浜市の北部、周囲を山に囲まれた「木之本」は、 古代から、北陸方面と都とを結ぶ要衝地として発展してきました。 また、周囲の山々では古くから「山岳信仰」が息づき、地域の歴史と文化が育まれました。いま、木之本では、受け継がれてきた伝統を丁寧に守りながら、 新しい手法や感性を取り入れ、次の時代に向かって歩みを進めている、 老舗や施設が存在感を放っています..。
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2026年2月26日(木)放送「長浜市木之本」
テーマは「長浜市木之本」 長浜市の北部、周囲を山に囲まれた「木之本」は、 古代から、北陸方面と都とを結ぶ要衝地として発展してきました。 また、周囲の山々では古くから「山岳信仰」が息づき、地域の歴史と文化が育まれました。 江戸時代の木之本は「木之本地蔵院」の門前町として賑わうようになり、さらに「北國街道」と「北國脇往還」という、2つの大きな「道」が交わる「宿場町」としても繁栄しました...。
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2026年2月19日(木)放送「大津市坂本地区」
テーマは「大津市坂本地区」 背後には比叡山がそびえ、目の前には琵琶湖が広がる、大津市の坂本地区。 テーマは「大津市坂本地区」この地域では、縄文時代から人が暮らした痕跡が確認されています。 平安時代以降は、山側の地域は延暦寺や日吉大社の「門前町」として。 琵琶湖に近い「下阪本」と呼ばれる地域は、 荷揚げの「湊」として発展を遂げました...。
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2026年2⽉12⽇(⽊)放送「大津市坂本地区」
テーマは「大津市坂本地区」 背後には比叡山がそびえ、目の前には琵琶湖が広がる、大津市の坂本地区。 比叡山の麓から琵琶湖に向かい緩やかな坂が続き、 平地があるのは琵琶湖近くの狭い地域のみという特徴を持っています。 琵琶湖に向かう緩やかな坂の途中には「穴太衆積み」の石垣と「里坊」が織りなす 静かで美しい町並みが広がっています...。
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2026年2⽉5⽇(⽊)放送「大津市坂本地区」
背後には比叡山がそびえ、目の前には琵琶湖が広がる、大津市の坂本地区。 比叡山の麓から琵琶湖に向かい緩やかな坂が続き、 平地があるのは琵琶湖近くの狭い地域のみという特徴を持っています。 すでに栄えていた坂本のまちを取り込むようにして築かれたのが坂本城。 天守を持った、立派な建物というようなイメージを持つことが多いと思いますが、 その先駆けとなるような存在の坂本城の存続期間はおよそ15年という短いものでした...。
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2026年1⽉29⽇(⽊)放送「大津市坂本地区」
背後には比叡山がそびえ、目の前には琵琶湖が広がる、大津市の坂本地区。 比叡山の麓から琵琶湖に向かい緩やかな坂が続き、 平地があるのは琵琶湖近くの狭い地域のみという特徴を持っています。 比叡山の中腹には延暦寺。麓には延暦寺を護る日吉大社があります。 日吉大社から琵琶湖に向かう坂の途中には 僧侶たちが余生を過ごした里坊が点在する このまちでどのような歴史が紡がれてきたのでしょうか。
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2026年1⽉22⽇(⽊)放送「東近江市永源寺地区」
東近江市永源寺地区にある相谷熊原遺跡は、2010年に 縄文時代草創期の土偶が出土して話題になった遺跡です。 縄文時代は1万年以上続いた長い時代でしたが、縄文時代草創期というのは その始まりの頃にあたります。この時代の遺跡は近畿地方では例が少ないうえに、 最古級の土偶が出土したことは大きな発見となりました…。
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2026年1月15日(木)放送「東近江市永源寺地区」
惟喬親王が発明した轆轤を使って木製品をつくる「木地師」たちは、やがて良い木を求めて 全国へと広がっていきました。そして江戸時代には、全国に点在する木地師たちを統括する仕組みが できました。その拠点となったのが、惟喬親王にゆかりのある小椋谷の「君ヶ畑」と「蛭谷」でした。 これら地域はいまも木地師のふるさととして、 全国の木地師たちが想いを寄せる特別な場所となっています。
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2026年1月8日(木)放送「東近江市永源寺地区」
琵琶湖の源流となっている地域は「奥永源寺」と呼ばれます。 さらに山深い場所は「小椋谷」という地域です。ここは『木地師発祥の地』と呼ばれています。 「木地師」というのは、轆轤を使って、器やお盆などの木製品を作る職人です。 中でも特に蛭谷町と君ケ畑町は木地師のふるさととして、今も全国の木地師たちが想いを寄せる、 特別な場所となっています。 そのルーツをたどると、およそ1200年前の「惟喬親王」の伝承に行き着きます…。
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2026年1月1日(木)放送「我が家のお正月料理」
今日は元日の放送ということで、いつもと趣向をかえて 「我が家のお正月料理」をテーマに皆さんからのメッセージをご紹介していきます!
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2025年12月23日(火)放送「東近江市永源寺地区」
豊かな自然に恵まれた永源寺地区には、奥深い魅力がたくさん秘められています。 そのひとつに「政所茶」があります。 政所茶は室町時代から栽培の歴史があり、戦国時代に、石田三成が豊臣秀吉に3回に分けて温度の違うお茶を献上したことで、 出世のきっかけとなった「三献茶」のお茶は政所茶だったという説もあります。 この政所茶のルーツは、臨済宗永源寺派の大本山で、地域の名前にもなっている 永源寺にあるといいます。
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2025年12月18日(木)放送「東近江市永源寺地区」
永源寺地区は、もとは永源寺町という独立した町でした。平成17年に八日市市・五個荘町・愛東町・湖東町と合併し、今は東近江市を構成する地域となっています。 永源寺地区は、その大半を山や森林が占めています。 鈴鹿山脈の山々は水を育み、水は愛知川をはじめとした川となって琵琶湖へと流れています。 豊かな森林や川、そして数多くの渓谷など永源寺地区を特徴づける豊かな自然環境は、 「永源寺と奥永源寺の山村風景」として日本遺産にも選ばれています。
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2025年12月11日(木)放送「甲賀市土山町」
現在も、国道1号や新名神高速道路が通り、交通の要衝となっている土山町。 かつて東海道の難所の一つである鈴鹿峠を越え近江に入った旅人は、 土山宿で疲れを癒し、これから鈴鹿峠にむかう旅人は土山宿で支度を整えました。 今も地域の宝である土山宿一帯で、毎年開催されているイベントが「あいの土山 宿場まつり」です。
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2025年12月4日(木)放送「甲賀市土山町」
土山は現在も、国道1号や新名神高速道路が通り、交通の要衝となっています。 ここは古くから多くの道が通り、様々な人々が往来することで 歴史が紡がれ文化が形成されてきました。 旅人は、土山宿で疲れを癒し、土山宿で支度を整えました。 この時代の宿場のすがたを今に伝える建物が「土山宿本陣跡」です。 「本陣」とは、天皇のつかいである勅使や、公家、大名、幕府の役人などが 宿泊や休憩のために利用した施設です。
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2025年11月27日(木)放送「甲賀市土山町」
鎌倉時代までは「斎王群行」の行路となり、江戸時代には参勤交代の大名行列が往来したこの道沿いに、「土山宿」が置かれました。 伊勢方面から鈴鹿峠を越え近江に入った旅人は、土山宿で旅の疲れを癒し、 これから鈴鹿峠にむかう旅人は土山宿で峠を越える支度を整えました。 土山宿として栄えた当時の様子を、いまに伝える建物が「土山宿本陣跡」です。 この「本陣跡」を守り続けるご当主に、お話しをお伺いします。
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2025年11月20日(木)放送「甲賀市土山町」
古くから土山を通る主要な道路は「東海道」でした。 東海道の前は「阿須波道」と呼ばれていたこの道は、 鈴鹿峠を越えて伊勢へ向かうルートとなっていて、「斎王群行」の行路にもなった重要な道でした。 土山宿は、鈴鹿峠を行き来する旅人たちで大いに賑わったと伝わります。 かつて東海道をゆく人々が、旅の安全を祈願した場所が「田村神社」でした。
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2025年11月13日(木)放送「甲賀市土山町」
「土山町」は平成16年、4つの町と合併し、甲賀市の一部となりました。 鈴鹿山系の麓に位置する土山町地域は、北部に鈴鹿国定公園の山々が連なり、 まちの中央には、野洲川が東から西に向かって流れています。 ここにはかつて、東海道49番目の「土山宿」が置かれ、宿場町として栄えました。 その町並みは今でも当時の面影が残っています。
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2025年11月6日(木)放送「沖島」
2023年4月に再オープンした「おきしま資料館」では、島で実際に使われている漁具や、昔の生活を伝える道具、歴史年表や写真が展示してあり、島にある唯一の学校、沖島小学校の紹介コーナーもあります。 資料館では、元漁師の方も含む、「島の人たち」が当番制で詳しい説明をしてくれるそうですよ。
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2025年10月30日(木)放送「沖島」
美しい琵琶湖に囲まれた島には、豊かな自然と長く受け継がれてきた暮らしがあります。 沖島が持つ独特の雰囲気や暮らしは多くの観光客を魅了し、また学術的に興味を持つ学生や研究者からも注目を集めています。 今日は、「沖島を訪れる人」と関わりながら、お店をされている方にお話を伺います。
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2025年10月23日(木)放送「沖島」
沖島が抱える問題の中に漁師さんの数が減り続けているということがあります。 沖島漁協の組合員の数は、最盛期は100人ほどでしたが、現在は60人ほど。 そのうちいまも漁に出ていらっしゃるのは30人ほど。 そんな中、沖島で新たに漁師として歩み出された方がいらっしゃるんですよ。
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2025年10月16日(木)放送「沖島」
沖島に本格的に人が住むようになったのは、平安時代。 戦いに敗れた7人の落人が山裾を切り開き、漁業を生業として定住したと伝わります。 以降、沖島は、水路を監視する役割や、水軍として活躍したりする中で、その見返りとして 「漁業権」を獲得し、850年以上、「漁業」の歴史を紡いできました。 現在では、季節によって漁法を変えながら夫婦共同で様々な湖魚を水揚げするケースが多いと言います。日中、沖島を訪れると、一日の漁を終えた漁船が、たくさん泊まっています。
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2025年10月9日(木)放送「沖島」
沖島には室町時代の創建と伝わる「願證寺」があります。島を訪れた本願寺8代蓮如上人から、 直接教えを聞いて感銘を受けた島民の一人が「道場」を開いたことがはじまりだったといいます。 また、沖島の人たちは、かねてより交流のあった「堅田」の人たちから、「蓮如」の噂を 耳にしていたといいます…
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2025年10月2日(木)放送「沖島」
近江八幡市の湖岸から琵琶湖の沖合およそ1.5キロの場所に浮かぶ沖島は、 周囲がおよそ6.8キロメートル、面積はおよそ1.52平方キロメートルの、琵琶湖最大の島です。 伝承によると、沖島に本格的に人が暮らすようになったのは平安時代。 戦いに敗れた7人の落武者が島にやって来て、開拓したことから歴史が始まったと言われています。
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2025年9月25日(木)放送「建部大社」
約1300年の歴史をもつ建部大社で、毎年8月17日に開催されているのが「納涼船幸祭」です。 納涼船幸祭は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川 ・瀬田川を舞台にした祭礼で、 祭神である「日本武尊」が、相模灘を船で渡った物語が由来であるといいます。 建部大社を出発した神輿が、唐橋のそばにある港から、複数の船を組み合わせた御座船に載せられ、 船団を伴って川を下ります。大津市黒津にある供御瀬遥拝所に到着して神事を行うと、 船団は再び唐橋を目指し、川をさかのぼります。
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2025年9月18日(木)放送「建部大社」
古代、国家はそれぞれに「国府」と呼ばれる地方行政機関が置かれていました。 国府のなかで、現在でいう県知事がいた場所が「国庁」です。 今から60年ほど前、国庁跡の遺跡が全国で初めて見つかったのが、ここ、近江でした。 瀬田の唐橋と近江国庁跡のあいだ、ちょうど真ん中あたりに位置しているのが 大津市神領にある「建部大社」です。近江國一之宮といわれ、長い歴史と由緒を持つ神社です。
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2025年9月11日(木)放送「建部大社」
建部大社には「日本武尊」が祀られています。 『古事記』や『日本書紀』にも登場する伝説的英雄がご祭神とあって 建部大社は、歴代の朝廷や、武将たちからの信仰も集めてきました。
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2025年9月4日(木)放送「甲賀市信楽町」
焼きものづくりには「火」が欠かせません。 やきものをはじめ、産業や生活、文化に欠かせない火への感謝と、安全を願って、 江戸時代以前から続いているのが「しがらき火まつり」です。
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2025年8月28日(木)放送「甲賀市信楽町」
信楽で焼き物が造られるようになったのは鎌倉時代とされていますが、 そこから500年ほど時代をさかのぼった奈良時代の中頃、信楽に「都」が築かれました。 それが今から1200年以上前、信楽に築かれた、「紫香楽宮」です。 「紫香楽宮」が信楽のどこにあったのかは長い間「謎」となっていましたが、 近年の調査で遺跡が確認され、都の様子が少しずつ明らかになってきています。
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2025年8月21日(木)放送「甲賀市信楽町」
信楽が、焼き物の産地として長く続いてきた理由のひとつに、その立地が挙げられます。 焼き物を造る際に必要な薪は周囲の山から調達することができ、できあがった焼き物は、 古くから信楽を通っていた街道を使って、隣接する宇治や伊賀方面へと運ぶことができました。 そして何より、信楽には焼き物に適した「土」がありました。 信楽周辺には、太古の昔、のちに琵琶湖となる大きな湖があり、この時代に堆積した 「古琵琶湖層群」の土が、焼物に適した良質の土だったのです。
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2025年8月14日(木)放送「甲賀市信楽町」
「甲賀市信楽町」は周囲が山に囲まれた自然豊かなまちです。 信楽、と聞くと多くの人が「焼き物」をイメージするのではないでしょうか。 信楽は日本全国にある、古い6つの焼き物の産地、「日本六古窯」のひとつに数えられ、 その歴史は、鎌倉時代にまでさかのぼります。
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2025年8月7日(木)放送「大津市堅田」
琵琶湖上で大きな権力を持ち、豊かな経済力を誇った堅田の人々は、「堅田衆」あるいは 「湖賊」と呼ばれました。その後堅田は幕府の直轄地「天領」となり、堀田正高が領主となって陣屋が置かれました。堅田がそれまで持っていた琵琶湖上の特権は徐々に弱くなっていきましたが、それでも漁業や水運の拠点として栄える時は続きました。
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2025年7月31日(木)放送「大津市堅田」
堅田が「御厨」であったことをいまに伝える行事があります。 毎年5月に行われる「献饌供御人行列」です。 行列は、堅田にある「神田神社」、「伊豆神社」の神職や氏子などで構成され、 葵祭の前日である5月14日の早朝、「唐櫃」と呼ばれる収納箱にフナや鮒ずしを納め、神田神社を出発。 伊豆神社で祈祷を行い、堅田地域を巡行した後、下鴨神社に向かいます。 京都三大祭りの一つ「葵祭」の前日に行われる儀式の一つとなっています。
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2025年7月24日(木)放送「大津市堅田」
堅田が大きく発展を遂げた時代の様子が記された、貴重な古文書が 浄土真宗本願寺派の寺院「本福寺」に伝わる「本福寺旧記」です。 本福寺旧記は、室町時代の住職が記したもので、明治に入るまで、 本福寺の関係者しか見ることのできない秘密の書として扱われてきました。 今日は堅田の歴史を知る上でとても貴重な本福寺旧記をひも解きながら、 堅田の歴史と魅力に迫ります。
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2025年7月17日(木)放送「大津市堅田」
中世の堅田は、京都・下鴨神社へ供え物を調達する「御厨」となり、 琵琶湖で獲れる湖魚を献上していました。 御厨となった見返りとして、琵琶湖での漁業の権利や通行の権利を得たことで 堅田は大きな発展を遂げました。
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2025年7月10日(木)放送「大津市堅田」
交通の便が良く、多くの人が暮らし、活気にあふれるまち「堅田」。 堅田は現在、大津市西北部の中心的な存在となっています。 時は中世、堅田に特別な権利が与えられ、高度な自治が行われ、 現在とは違った形で繁栄を極めた時代がありました。
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2025年7月3日(木)放送「高島市マキノ」
マキノ町海津の湖岸にある「江戸時代の石積み」、 河川や内湖、共同井戸、そして知内川で続く「伝統的なヤナ漁」など、 この地域には多様な水文化が存在しています。 平成20年、地域は「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」として「重要文化的景観」に 選定されました。
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2025年6月26日(木)放送「高島市マキノ」
マキノ地区海津には、江戸時代からの永い歴史をもつお店があります。 あの作家・遠藤周作も愛した鮒寿しのお店を今日はご紹介します。
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2025年6月19日(木)放送「高島市マキノ」
マキノ地区の東側、琵琶湖に面した地域が「海津」です。 「海津」は古くから「湊」と「街道」が整備され、大いに栄えました。 また、湖岸には、江戸時代、風や波から家を守るために築かれた、古い「石積み」が連なっていて、 独特の風景をつくっています。
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2025年6月12日(木)放送「高島市マキノ」
昭和30年に誕生した「マキノ町」は、カタカナ3文字で「マキノ」と書きます。 マキノ町は、日本で初めてカタカナ表記となった自治体でした。 ではいったいなぜカタカナだったのでしょうか…?
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2025年6月5日(木)放送「長浜曳山祭」
長浜曳山祭を、一年中体感できる場所があります。「長浜市曳山博物館」です。 曳山博物館は「長浜曳山祭」を紹介する博物館として2000年に開館しました。 博物館には、本物の曳山が展示されていて、まつりの魅力をダイレクトに伝えるとともに、 曳山祭の文化を伝承し、護る役割も担っています。
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2025年5月29日(木)放送「長浜曳山祭」
曳山にはそれぞれ、江戸時代の伝統工芸を結集した、豪華で繊細な意匠が ふんだんに施されていて、「動く美術館」とも称されます。 13基の曳山のうち、「長刀山」をのぞく12基の曳山には4畳半ほどの舞台があり、ここで「子ども狂言」が演じられます。「子ども狂言」とは、一般に「子ども歌舞伎」と呼ばれるもので、 小学生までの子どもたちが大人顔負けの演技を披露します。 毎年4基ずつが交代で子ども歌舞伎を披露します。 今年出番となったのは「壽山」、「鳳凰山」、「猩々丸」、「高砂山」。 今回、取材チームは、「宮町組」の「高砂山」に密着して取材をさせていただきました。
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