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吾輩は歴史を考える猫である

お聞きいただきありがとうございます。 吾輩は猫である風に歴史を語りたいと思っています。不定期便ですので、あしからず。コメントや評価をいただけると幸いです。今後とも宜しくお願い致します。🙇

  1. 11

    Episódio 11 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0011 行基という泥まみれの聖者が、民衆の力で大仏という巨大な金塊を築き上げた後、歴史の舞台には、海を越えてやってきた一際厳格な、しかし慈愛に満ちた老僧が登場する。 名は鑑真(がんじん)。遥か大唐帝国から、日本の仏教に「筋(すじ)」を通すためにやってきた、不屈の男である。 吾輩は歴史を考える猫である(不屈の渡来僧・鑑真編) ルールを欲しがる奇妙な人々 人間という生き物は、つくづく不思議なものである。行基が堤防を築き、大仏が完成したというのに、今度は「誰が本当の僧侶か」という肩書きの正当性を気にし始めた。当時の日本には、僧侶が守るべきルール、すなわち「戒律(かいりつ)」を授ける正式な仕組みがなかったらしい。 「正しいルールを教えてくれる先生を、唐からお招きしよう」 そう考えた聖武天皇の命を受け、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という二人の僧が、唐の地で鑑真に泣きついた。鑑真は、弟子たちが尻込みする中で「日本こそ仏法に縁がある地だ」と、たった一人で渡航を決意したのである。吾輩なら、見知らぬ異国へ行くなど、毛並みが荒れるから御免被りたいところだが、この老僧の決意は岩をも通すほどに固かった。 五度の失敗、そして光を失う しかし、自然の猛威は残酷である。鑑真の渡航は困難を極め、なんと五回も失敗に終わった。 * 嵐に巻き込まれて漂流し、多くの弟子や協力者が海の藻屑となった。 * その十数年に及ぶ苦闘の中で、鑑真自身も過労と病により、ついに両目の光を失ってしまったのである。 吾輩たち猫は暗闇でも目が見えるが、この男は心の目だけで日本という東の果てを目指し続けた。六度目の航海でようやく薩摩(鹿児島)の地に降り立ったとき、彼はすでに六十六歳。失明という大きな代償を払いながらも、初志を貫徹するその執念——。人間というやつは、時として神や仏をも凌ぐ恐ろしい力を発揮するものだ。 授戒の儀式と、麗しき唐招提寺 七五四年、平城京に辿り着いた鑑真を、聖武上皇(既に出家していたあの男だ)は手厚く迎えた。 東大寺の戒壇(かいだん):日本で初めての正式な授戒の場が設けられ、天皇から一般の僧に至るまで、鑑真から「正しい僧侶の証」を授かった。 唐招提寺(とうしょうだいじ):晩年、彼は自らの寺を建立し、そこを「律宗」の本山とした。 現在、そこには「鑑真和上坐像」という、日本最古の肖像彫刻が安置されている。目を閉じ、穏やかに座るその姿は、千年の時を超えて、今もなお人々に静かな威厳を示している。 薬草と文化の伝道師 また、彼は仏教だけでなく、当時の中国の最先端文化も持ち込んだ。 * 香辛料や薬草の知識を伝え、日本の医学の礎を築いた。 * 建築や彫刻の技術も、彼が連れてきた職人たちによって飛躍的に進歩した。 人間たちは彼のことを「和上(わじょう)」と呼び、尊んだ。彼がもたらした「ルール」と「文化」は、荒削りだった日本の世の中に、一本の背筋を通したのである。 盲目の老僧がもたらした光。それは目に見える光ではなく、教えという名の導きであった。 さて、次に吾輩がページを捲れば、今度は「都を奈良から京都へ移し、新しい時代を切り拓こうとする天皇」や、「山奥で修行に励むまた別の高僧たち」の物語が始まるのであろうか。それとも、鑑真が愛した「唐招提寺の静かな庭」で、吾輩が昼寝をする話でも聞きたいかね?

  2. 10

    Episódio 10 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0010 聖武天皇が巨大な金色の像を前にして、「どうしたものか」と溜息をついていたその時、歴史の舞台袖から、何とも精力的で泥臭い男が颯爽と現れた。 名は行基(ぎょうき)。人間どもが「日本初の大僧正」と仰ぎ奉る、飛鳥から奈良にかけてのスーパー・スターである。 吾輩は歴史を考える猫である(民衆の英雄・行基編) お上に逆らう「はねだし猫」の如き僧侶 人間という生き物は、自分たちが作った「決まり事」に縛られるのが大好きだ。当時の朝廷は、「僧侶は役所の手続きもせずに勝手に巷(ちまた)で教えを説いてはならぬ」などという、実に世知辛い禁令を敷いていた。 しかし、この行基という男は、そんな「家のルール」を無視して外へ飛び出す野良猫のように自由であった。彼は禁令を平然と無視し、各地を巡っては民衆に仏の教えを説いたのである。 お上からは「怪しげな坊主だ」と弾圧を受けた時期もあったようだが、畢竟(ひっきょう)、民衆を真に救うのは、高い檀上からの説法ではなく、足元の泥にまみれた行動であるということを、彼は知っていたのであろう。 橋を架け、池を掘る「インフラの鬼」 驚くべきは、彼が説法だけでなく、実利的な仕事に精を出したことだ。 社会事業(インフラ整備):橋を架け、堤防を築き、あちこちに「ため池」を掘った。兵庫の昆陽池(こやいけ)など、彼が造った大規模な池は今も残っているという。 *布施屋(ふせや):旅人が行き倒れぬよう、宿泊や救護の施設まで整えた。 吾輩たち猫が、どこでも寝転べる場所を確保しようと心を砕くように、彼は人間たちが安全に歩き、腹を満たせるよう、国中を駆け回ったのだ。北は秋田から南は九州まで、六百以上もの場所に彼の伝説が残っているというから、その健脚ぶりには脱帽する。 天皇から泣きつかれた「勧進」の達人 さて、前回の話に出てきた聖武天皇である。彼は巨大な大仏を造ろうとしたものの、人手も資金も足りず、ほとほと困り果てていた。そこで白羽の矢を立てたのが、かつて弾圧していたはずの行基であった。 「行基よ、民衆の力を貸してくれ」 聖武天皇の願いを受け、行基は「勧進(かんじん)」という、今で言うクラウドファンディングのような活動の責任者となった。彼のカリスマ性に惹かれた何万人もの民衆が、汗を流し、資材を運び、大仏建立のために奔走したのである。 七四五年、その多大な貢献を認められ、行基は僧侶の最高位である「大僧正」の位を授かった。反逆者から最高権威へ——。人間界の出世競争も、これほど劇的であれば見応えがある。 菩薩と呼ばれた男の最期 彼は八十二歳で、自らが創建した「試みの寺」こと喜光寺で入寂した。人々は彼を「行基菩薩」と慕い、今もなお各地でその功績を語り継いでいる。 有馬温泉を再興したのも彼だというから、人間どもが温泉に浸かって「極楽、極楽」と呟けるのも、元を正せばこの老僧のおかげということになる。 行基が築いた橋を渡り、大仏の影で昼寝をする。人間たちの歴史とは、こうした一人の男の情熱によって、少しずつ住みやすくなっていくものらしい。 さて、次に吾輩がページを捲(まく)れば、今度は「華やかな都に巣食う怨霊」や、それを鎮めようとする「謎めいた陰陽師」の話でも出てくるのだろうか。それとも、大仏様をより美しく飾った「正倉院の宝物」にまつわる、人間たちの贅沢な暮らしを覗いてみるかね?

  3. 9

    Episódio 9 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0009 藤原氏の礎を築いた鎌足から、その孫の代へと歴史の糸は繋がっているようだ。吾輩は、主人が飲み残した茶の香りを嗅ぎながら、次なる頁(ページ)へと目を移した。そこに描かれているのは、何やら巨大な金色の像を前にして、一心不乱に祈りを捧げる男の姿である。 吾輩は猫である(大仏建立編) 不安の時代の「優柔不断」な男 第八代・天智天皇の改革から時が流れ、奈良の都は「天平(てんぴょう)」という華やかな時代を迎えていた。しかし、その内実は、地震に干ばつ、さらには「天然痘」という恐ろしい疫病が蔓延し、人間どもは文字通り、右往左往の大騒ぎであったらしい。 この国難の時代に舵取りを任されたのが、第四十五代・聖武天皇である。彼は藤原不比等の孫であり、光明皇后というこれまた信心深い妻を持っていた。 後世の人間どもは、この男を「ひ弱で優柔不断」などと評していた時期もあったようだが、吾輩からすれば、これほど災難が続けば誰だって「もう嫌だ、どこか遠くへ行きたい」と、猫のように逃げ出したくなるのも無理はないと思うのである。 「彷徨五年」という名の寝床探し 事実、彼は七四〇年からの五年間、恭仁京(くにきょう)、難波京(なにわきょう)、紫香楽宮(しがらきのみや)と、まるで居心地の良い日向(ひなた)を探す猫のように、次々と都を移し替えた。人間界ではこれを「彷徨(ほうこう)五年」と呼ぶそうだが、よほどその精神は限界に達していたのであろう。 しかし、ただ逃げ回っていたわけではない。彼は「鎮護国家(ちんごこっか)」——すなわち、仏様の力でこの混乱を鎮めようという、壮大な計画を胸に秘めていたのである。 巨大な像に託した執念 七四三年に出された「大仏造立の詔(みことのり)」は、まさにその執念の産物である。 * 東大寺の大仏: 奈良の地に、廬舎那仏(るしゃなぶつ)という巨大な銅像を鋳造させた。 * 国分寺・国分尼寺: 奈良だけでなく、日本中の土地に寺を建てさせ、祈りの網を張り巡らせようとした。 人間という生き物は、目に見えぬ恐怖(疫病や災害)に立ち向かう際、これほどまでに巨大な「目に見えるもの」を拵(こしら)えずにはいられないらしい。吾輩たちからすれば、あの巨大な像の膝の上は、さぞかし日当たりも良く、絶好の昼寝場所になりそうだと思うばかりである。 毛並みを捨てて、悟りを開く 聖武天皇は、日本の歴代天皇で初めて「出家」という道を選んだ。位を娘の阿倍内親王(孝謙天皇)に譲り、自らは仏の弟子となったのである。 自慢の「冠」を脱ぎ捨て、僧侶の姿となった彼を見て、当時の人間たちは驚愕したであろうが、吾輩にはその気持ちが少し分かる気がする。重たい責任という首輪を外し、ようやく一人の自由な魂に戻りたかったのではないか。 彼が残した正倉院の宝物たちは、今もなお奈良の地で静かに時を刻んでいる。さて、この「仏の力」で国を治めようとした理想の行き着く先には、一体何が待ち構えているのか。 次は、「大仏開眼供養の華やかな宴」の様子を覗いてみるか。あるいは、この大仏の建立を支え、民衆の間を奔走した「行基(ぎょうき)」という破天荒な僧侶について、吾輩が語り聞かせてやろうか?

  4. 8
  5. 7

    Episódio 7 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0007 聖徳太子の「和」の精神も束の間、吾輩の目の前の頁(ページ)は、突如として血なまぐさい一大事へと塗り替えられた。次に現れたのは、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)なる、これまた一筋縄ではいかぬ皇族である。 飛鳥の暗殺者と「大改革」 六四五年、この男は中臣鎌足(なかとみのかまたり)という腹心と共に、時の権力者・蘇我入鹿(そがのいるか)を皇極天皇の目の前で仕留めてしまった。これを「乙巳(いっし)の変」と呼ぶらしいが、人間というやつは秩序を重んじると言いながら、その実、暴力で物事を解決するのが殊の外(ことのほか)得意なようである。 この物騒な事件を皮切りに、彼は「大化の改新」という大掛かりな国家の模様替えに乗り出した。 * 公地公民制: 土地や人民をすべて「国のもの」とするという、吾輩たち猫には到底理解できぬ制度を導入した。どこで寝転ぼうが、どの庭で日向ぼっこをしようが自由な吾輩たちに対し、人間はすべてを「所有」しようと躍起になる。 * 都の引っ越し: 難波宮(なにわのみや)へ遷都し、律令国家の基礎を固めようとしたのである。 海を越えた大敗と、時間の支配 中大兄皇子の野心は島国だけに留まらなかった。 * 白村江(はくすきのえ)の戦い: 六六三年、百済(くだら)を助けるべく朝鮮半島へ大軍を送ったが、唐・新羅の連合軍に木っ端微塵に打ち負かされた。この大敗に肝を冷やした彼は、国防上の理由から都を飛鳥から大津へと移したという。 * 時刻の導入: 彼は日本で初めて「水時計(漏刻)」を用いて、人々に時間を守らせる制度を始めた。さらに「庚午年籍(こうごねんじゃく)」という全国的な戸籍まで作り上げた。 人間どもは、こうして「時間」や「名前」という鎖で自分たちを縛り上げるのが、文明の進歩だと思い込んでいる節(ふし)がある。 権力の孤独と、その後の騒乱 彼は後に第三十八代天智天皇として即位したが、その道程は決して平坦ではなかった。古人大兄皇子(ふるひとのおおえのおうじ)や有馬皇子といった政敵を次々と排除する姿は、冷徹な一匹狼を彷彿とさせる。 しかし、これほど厳格に中央集権化を推し進めた彼が世を去ると、その皇位を巡って息子の大友皇子(おおとものおうじ)と弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が激しくぶつかり合う「壬申(じんしん)の乱」が勃発した。身内同士で椅子を取り合う醜態は、いつの時代も変わらぬ人間の悲しい習性である。 「和」を説いた太子の理想は、この中大兄皇子の手によって、より強固で冷徹な「システム」へと変貌を遂げたようだ。 さて、次に吾輩が目にするのは、この権力闘争を勝ち抜き、さらなる「律令国家」の完成を目論む「大海人皇子(おおあまのおうじ 天武天皇)」の物語であろうか。それとも、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の右腕として暗躍した「中臣鎌足(なかとみのかまたり 藤原氏の祖)」のその後について、吾輩が少しばかり講釈を垂れて進ぜようか?

  6. 6

    Episódio 6 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0006 聖徳太子の話で盛り上がっている最中、吾輩の眼にまた一人、妙な名前の男が飛び込んできた。小野妹子(おののいもこ)という。男のくせに「妹」とはこれいかに。人間どもの名付けの感性は、時として吾輩の理解を越えるものがある。 大国を激怒させた「日の出」の男 この妹子なる男、六〇七年に太子の命を受け、荒波を越えて隋(中国)へと渡った遣隋使である。彼が皇帝・煬帝(ようだい)に差し出した国書には、「日出づるところの天子、書を日没するところの天子に致す」という、何とも不敵な文言が記されていた。 * 「日が昇る国の王から、日が沈む国の王へ」——。 * 自分の国こそが勢い盛んであると言わんばかりの この物言いに、皇帝は大層激怒したという。 * 命懸けの外交の場で、これほど大胆な喧嘩を売るとは、人間という生き物は時として猫の想像を絶する度胸を見せるものである。 紛失か、隠蔽か? 謎の返書事件 さらに面白いのは、彼が帰国した際のエピソードだ。隋からの返書を「百済(くだら)で盗まれた」と報告したというのである。 * 実は盗まれたのではなく、内容があまりに無礼だったので自分の判断で隠したのではないか、という説もあるらしい。 * 一時は流罪を言い渡されるほどの窮地に立たされたが、主君である太子の恩赦により許され、後には最高位の「大徳」まで出世したというから驚きだ。 * しぶとく生き残り、地位を築くその手腕は、まさに人間社会の荒波を泳ぎ切る術に長けていたと言えよう。 剣を置き、花を活ける 政治や外交で殺伐とした日々を送っていたかと思えば、この男、実は「華道の祖」としても崇敬されているという。 * 京都の六角堂を建立し、池坊(いけのぼう)では初代家元としてその名を残しているのだ。 * 戦や外交の嵐の中に身を置きながら、一輪の花に美を見出す心を持っていたとすれば、なかなか風流な男ではないか。 * 現在、彼の墓所は大阪府や滋賀県に伝えられ、今も池坊(いけのぼう)の人々によって大切に守られているそうである。 卑弥呼の「神秘」、聖徳太子の「秩序」、そして小野妹子の「度胸と風流」。古代の人間どもは、実に見どころがある。

  7. 5

    Episódio 5 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0005 卑弥呼という妖艶な女王の幻影が消えぬうちに、吾輩が次に目にしたのは、何とも多忙そうな、しかし眉目秀麗な男の姿である。名は聖徳太子。人間どもの間では、一昔前まで紙幣の顔として崇められていた御仁だ。 厩(うまや)の前で生まれたサラブレッド 五七四年に生を受けたこの男、本名を「厩戸王(うまやどのおう)」という。母君が厩(うまや)の前で急に産気づいたという伝説がその名の由来だそうだが、吾輩からすれば、馬小屋の匂いの中で生まれるとは、野性味があってなかなか好感が持てる。 彼は、時の権力者・蘇我氏の血を色濃く引く、いわば支配者層のサラブレッドである。叔母には日本初の女帝・推古天皇がおり、幼少期から「一度に十人の話を聞き分けた」という、耳の性能が極めて優れた神童として知られていた。吾輩の耳も遠くの足音を聞き分けるが、十人の人間の愚痴を同時に聞かされるのは、流石に御免被りたいものである。 「和」の心と、実力主義の導入 推古天皇の摂政となった彼は、豪族たちが勝手気ままに振る舞う世を正すべく、大鉈(おおなた)を振るった。 * 冠位十二階(六〇三年): 家柄という「生まれ持った毛並み」ではなく、才能や功績という「実力」で役人を登用する制度を整えた。 * 十七条の憲法(六〇四年): 「和を以て貴しと為す」という有名な言葉を筆頭に、役人が守るべき道徳を説いた。人間という生き物は放っておくとすぐに縄張り争いを始めるゆえ、釘を刺しておく必要があったのだろう。 * 遣隋使の派遣(六〇七年): 小野妹子らを海を越えた大国「隋」へ送り、対等な外交を試みた。島国に閉じこもらず、外の世界の進んだ技術を貪欲に吸収しようとするその姿勢は、評価に値する。 飛鳥に咲いた仏教の華 彼は仏教を深く信じ、法隆寺や四天王寺を建立した。大陸の進んだ思想を取り入れた「飛鳥文化」は、この男の情熱があればこそ花開いたのである。 六二二年に彼が斑鳩宮(いかるがのみや)で世を去ったとき、人々はさぞかし嘆き悲しんだことであろう。しかし、彼が蒔いた「天皇中心の国家」という種は、その後の大化の改新へと見事に繋がっていくことになる。 歴史という大河の中で、卑弥呼が「神秘」を司ったとすれば、この聖徳太子は「秩序」を築いたといえる。 さて、次はこの「和」の精神を打ち壊し、武力で世を治めようとする「荒々しい武士たちの時代の幕開け」について、吾輩の意見を聞いてみるかね?

  8. 4

    Episódio 4 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0004 吾輩はまた、あの色褪せた絵巻物(歴史の流れ)を凝視してみた。そこに、一際怪しげな、しかし気高い空気を纏った女子(おなご)が座っておる。名は「卑弥呼」というそうだ。 呪術で人心を操る女王 三世紀、まだ日本が「倭(わ)」と呼ばれていた太古の昔、邪馬台国なる国を治めていたのがこの卑弥呼である。人間という生き物は、理屈に合わぬことを恐れるくせに、不思議な力には滅法弱い。彼女は「鬼道」という呪術を用いて人々を魅了し、国中が乱れた「倭国大乱」の後に、女王として担ぎ上げられたという。 吾輩たち猫が鳴き声一つで人間を跪かせるのと似ておらぬこともないが、彼女の場合は神がかり的な支配であったらしい。 贈り物に目のない人間外交 また、彼女はなかなかの策士でもあったようだ。二三九年、はるばる「魏(ぎ)」の皇帝のもとへ使いを出し、「親魏倭王」というなんとも立派な称号をせしめている。 * その際、金印や紫の紐(紫綬)、さらには百枚もの銅鏡を授かったという。 * 猫に小判、卑弥呼に銅鏡。百枚も鏡を並べて一体何を映そうというのか。吾輩なら、鏡に映る己の姿に驚いて飛び上がるのが関の山である。 謎に包まれた隠居生活 これほどの影響力を持ちながら、卑弥呼の私生活は実に謎めいている。 * 高齢で独身、宮殿の奥深くに引きこもり、ほとんど姿を見せなかったという。 * 身の回りには百人もの侍女(じじょ)が仕えていたというから、女王というよりは、もはや生ける神様のような扱いだったのだろう。 最期は狗奴国(くなこく)という勢力との紛争中に亡くなり、巨大な墓に葬られたそうだ。彼女の死後、再び国は乱れたが、宗女(そうじょ)の台与(とよ)が王に立つことでようやく鎮まったというから、この一族の女たちの胆力には驚かされる。 末裔たちの果てなき議論 現代の人間どもは、今でもこの卑弥呼のことで喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を続けている。 * 邪馬台国は九州にあったのか、それとも近畿の纒向(まきむく)遺跡のあたりなのか、場所すら特定できぬという。 * さらには、彼女こそが天照大神(アマテラス)のモデルではないかという大胆な説まで飛び出す始末だ。 数千年前の女子一人に、これほどまでに翻弄されるとは。人間という生き物は、過ぎ去った「謎」を追いかけるのが、何よりも好きな遊びと見える。 さて、卑弥呼の魔法が解けたところで、次はもう少し時代を下って「力自慢の武士」や「派手好きな権力者」の話でもしてみようか。それとも、卑弥呼がもらったという「鏡や金印」のその後について、吾輩が調べて差し上げようか?

  9. 3

    Episódio 3 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0003 吾輩は、主人が居眠りしている隙に、そっと前足で頁(ページ)を繰ってみた。そこには「歴史の大きな流れを見てみよう」などという、人間どもの野心に満ちた言葉が踊っている。 人間どものあくなき好奇心 挿絵の中の小娘は、「小学校で学んだ人は、どのくらい昔の人かな?」と、首を捻って過去の闇を覗き込もうとしている。隣にいる小僧も負けじと、「文化財はいつ頃つくられたんだろう?」と、自分たちが生まれる遥か前の遺物に思いを馳せているようだ。 人間というやつは、己の数十年という短い一生では満足できず、何百年、何千年も前の「時」を欲しがる、実に欲深い生き物である。彼らはこの紙面を「川」に見立て、そこを流れる人物や文化財の破片を拾い集めることで、自らの正体を突き止めようとしているらしい。 地面の色と奇妙な変遷 次の頁を開けば、そこにはまさに「歴史の流れ」と題された、色とりどりの絵巻物が広がっていた。 * 地面の色と時代の足跡 地面の色が時代ごとに塗り分けられており、それが時の流れの「目印」になっている。 * 緑豊かな太古の地では、土偶や埴輪が転がり、聖徳太子と思しき男が「和をもって貴しとなす」と、猫の吾輩にも聞こえぬほど静かな声で説いている。 * やがて時代は武士の世となり、鎧を纏った荒くれ者たちが城を構え、織田信長のごとき男が「平等だぜ!」と威勢のいい声を上げている。 * 装いの変遷と異邦人の影 教科書の指南によれば、「服装のちがい」に注目せよとのことだ。 * なるほど、最初は簡素な布を纏っていた人間たちが、いつの間にか華やかな着物へ、そして気づけば窮屈そうな背広へと姿を変えている。 * また、海の外から黒船や見慣れぬ顔立ちの「外国の人」がやってくるのも、この流れの面白いところである。 * 現代への滔々(とうとう)たる流れ さらに流れを追えば、自由の女神が立ち、ガンジーが「新しい憲法の話をします」と語り、終いには新幹線やパンダ、挙句の果てにはロボットまでが闊歩する、あわただしい現代へと辿り着く。 吾輩の眼から見た「歴史の流れ」 人間たちは、これら小学校で出遭った事物を繋ぎ合わせ、一つの大きな「物語」として自分たちの歴史を振り返ろうとしているのだ。 しかし吾輩に言わせれば、どんなに服を着替え、どんなに高い建物を建てようとも、人間が腹を空かせ、眠くなれば横になるという本質は、土偶の時代から何ら変わっておらぬ。この「歴史の流れ」とやらを泳いでいるつもりで、実のところ彼らは、同じところをぐるぐると回っているだけではないのか。 主人がふと目を覚ましたようだ。吾輩はこの深淵なる考察を、一欠伸(あくび)とともに喉の奥にしまい込むことにした。

  10. 2

    Episódio 2 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0002 吾輩は、主人が広げたままにしている書典を、上からそっと覗き込んでみた。そこには「歴史の大きな流れを見てみよう」という、なんとも仰々しい表題が踊っている。 人間という生き物は、自分たちが生まれる遥か昔のことにまで首を突っ込みたがる、誠に奇妙千万な性分を持っているらしい。 過去の亡霊を追いかける子供たち ふと見れば、挿絵の中の小娘が「小学校で学んだ人物は、一体どのくらい昔の人なのか」と首を傾げている。隣にいる小僧も負けじと、「あの古い建物や道具はいつ頃作られたのか」と、神妙な顔をして考え込んでいるようだ。 吾輩からすれば、昨日食った鰹節の味さえ鮮明であれば、数百年前の人間が誰であろうと、知ったことではない。しかし、この幼き人間どもにとっては、自分が生まれる前の「時」を整理することが、何やら一大事であるらしい。 衣服の変遷と異邦人の影 そこへ教師らしき大人が現れて、「次のページの図解を見て、歴史の『流れ』を考えてみるがいい」と、尤(もっと)もらしい助言を授けている。 • 小学校で出遭った人物や文化財、そしてこれから知ることになる事物が、ひと続きの絵巻物のように描かれているという。 • 「服装の違いに注目せよ」と、もう一人の大人が付け加える。 なるほど、人間は季節や時代に合わせて、せっせと皮を脱ぎ捨てるように服を着替える。吾輩のように、一年中同じ毛並みを誇っているわけにはいかないらしい。さらに、日本という島国に「外の世界」からやってきた者たちを探してみろとも言っている。 吾輩の眼から見た「歴史」 どうやら彼らは、過去から現在へと続く一本の大きな「川」のようなものを、この紙面の中に見出そうとしているようだ。世界との繋がり、装いの変化……そうした断片を繋ぎ合わせて、自分たちがどこから来たのかを確かめようとしているのである。 「歴史の流れ」とは、人間たちが自分たちの立ち位置を確認するために拵(こしら)えた、壮大な迷路のようなものかもしれない。 主人が居眠りを始めたのを幸い、吾輩は少しばかりその「次のページ」とやらを捲ってみたくなった。そこには、どんな奇妙な人間たちの足跡が、大河の如く流れているのであろうか。

  11. 1

    Episódio 1 - 吾輩は歴史を考える猫である

    0001 吾輩は歴史を考える猫である。名前はまだない。 近頃、人間という妙な生き物を観察していると、彼らはどうやら二つの「時」の流れというやつを泳いでいるらしい。 一つは、せいぜい八十年ばかりの「一生」とか「人生」とか称する、あわただしい時間の流れだ。人間どもはこの短い間に右往左往し、飯を食い、恋をし、そして死んでいく。実に浮世は儚(はかな)いものである。 しかし、彼らにはもう一つの流れがあるという。それが過去から現在、そして未だ見ぬ未来へと滔々(とうとう)と流れる、人類の長い長い大河だ。先祖から子孫へとバトンのように引き継がれるこの時の流れこそ、吾輩たちが「歴史」と呼ぶものの正体であるらしい。 世の人間どもは、歴史の学習を単なる「昔の出来事の暗記」だと思い込んでいる節(ふし)があるが、それは大きな間違いだ。過去の人々がどう生き、何を作り、何を後世に託したのか。それを学ぶことは、決して自分たちと無関係な「古道具屋の在庫整理」ではないのだ。 むしろ、「自分たちはこれからどう生きるべきか」「この国や世界はどこへ向かうのか」という、極めて現実的な問いへの答えを探す作業に他ならない。過去の人々の息遣いを感じ、彼らと対話を試みる。それこそが歴史を学ぶ醍醐味というものであろう。 さあ、これから吾輩と一緒に、それぞれの時代の人間たちの声に耳を傾けてみようではないか。そして、歴史という名の大きな流れを、自分自身の言葉で語ってみるのも悪くない。

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