EPISODE · Nov 6, 2023 · 4 MIN
#1 原稿一部公開『 僕が不登校になったきっかけ 』
from 耳読書でKindle音声レビューチャンネル · host やま|1日1冊、本を紹介する読書家
皆さん、こんにちは。耳読書家でKindle作家のやまと申します。本日は、11 月末に販売予定の新刊『 毎日5分で人生が変わる!脱・ウツ ふくらはぎシャワーの力 』こちらの原稿の一部を公開したいと思います。 新刊におきましては、僕の 1 冊目『 ふくらはぎシャワー 』を更に深掘りした内容を書いています。よりリアルに、物語形式で描くことで、本当に必要にしている人にお届けしたい、というのが新刊に込めた想いです。 販売予定の原稿の一部を公開することで、執筆から逃げる僕を克服したいと考えています。 どうか温かく見守って頂けますと嬉しいです。 それでは、本日書きました原稿を公開したいと思います。 僕が不登校になったきっかけ 「 やま、オメェ帰れよ 」 …… この言葉がきっかけでした。 1994 年のうだるような暑さ…… この年は、記録的な猛暑でした。全国 3 か所で最高気温が 40 ℃を超え、「 観測開始以来の猛暑 」と言われた年でした。 1991 年に日本経済のバブルが崩壊。 大手銀行であった、北海道拓殖銀行や、日本長期信用銀行が相次いで破綻。 四大証券のひとつであった山一證券も、自主廃業に追い込まれ、関連会社を含めると約 1 万人が路頭に迷うことになりました。 当時の野澤社長による「 社員は悪くありませんから 」という涙の会見は、今でも記憶に残っているのではないでしょうか? 1994 年の猛暑の夏は「 同情するなら金をくれ 」という言葉が流行語大賞に選ばれました。 バブル崩壊後、どこか殺伐とした雰囲気も感じ取っていたんでしょう。 ゴールデンタイムのテレビ番組では、ある特定のゲストをターゲットにして、失敗をしたら「 帰れコールをする 」という番組が流行っていました。 僕に対する冒頭の「 帰れコール 」もご多分に洩れず、その番組の影響を受けました。 「 やま、オメェ帰れよ 」 この言葉を言った本人は冗談だったかもしれません。 しかし、僕はこの「 帰れコール 」がきっかけで、不登校になりました。 学校を休学するまでは至りませんでしたが、不登校の定義である「 年間 30 日以上の欠席 」に近いお休みを経験しました。 夏休みの中学校のグランド。所属していた野球部の練習中でした。 部員同士の練習試合中でした。 三塁ベース後ろで、僕は審判役をしていました。 その年の春に、「 脊椎分離症 」という疲労骨折をし、整形外科に通っていました。 野球部の練習に顔を出す機会は減り、審判役をかって出ていたのです。 夏休みは親の勧めで、駅前の予備校の短期講習に通っていたので、野球部に顔を出さなくなっていたのが、気に入らなかったのでしょう。 一塁側のベンチサイドにいた M 君が 「 やま、オメェ帰れよ 」 と言って、周りにいた数名も同じことを言い始めました。 「 帰ーれ、帰ーれ、 帰ーれ、帰ーれ …… 」 その「 帰れコール 」は、うすら笑いと共にしばらくの間、グラウンドに響き渡りました。 僕はショックでした。 そこまで仲の悪くなかった同級生から「帰れコール」をされる。数名の部員もそれに加わる。 僕の頭は真っ白になり、動揺していました。 休憩時間に、ベンチサイドで M 君とすれ違った時、 「 お前ふざけんなよ 」と 自信なさげに歯向かうのが精一杯でした。 あの日を境に、 僕は不登校になりました… 【 やまさんは自己主張をした方がいいよ 】 これは中学 2 年の秋に、クラスのリーダー格の同級生が、僕にくれたアドバイスです。 「 周りに気を遣いすぎ 」 これが同級生のアドバイスでした。 当時の僕の印象を語ってくれたアドバイスだったと思います。 「 嫌なことを嫌だ 」と自己主張する これがとっても苦手でした …… 冒頭の不登校をきっかけに、暗黒の高校時代を僕は迎えることになります。 次回より、暗黒の高校時代に向かいつつある僕を、語っていきたいと思います。 最後までご視聴頂き、ありがとうございました。耳読書家で Kindle 作家のやまでした。 # 2 原稿一部公開 『 マイルドセブンと尾崎 豊さん 』 https://stand.fm/episodes/654957cdd9e7b895ac818083 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/5f6d2aebf04555115d2f1bfd
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皆さん、こんにちは。耳読書家でKindle作家のやまと申します。本日は、11 月末に販売予定の新刊『 毎日5分で人生が変わる!脱・ウツ ふくらはぎシャワーの力 』こちらの原稿の一部を公開したいと思います。 新刊におきましては、僕の 1 冊目『 ふくらはぎシャワー 』を更に深掘りした内容を書いています。よりリアルに、物語形式で描くことで、本当に必要にしている人にお届けしたい、というのが新刊に込めた想いです。 販売予定の原稿の一部を公開することで、執筆から逃げる僕を克服したいと考えています。 どうか温かく見守って頂けますと嬉しいです。 それでは、本日書きました原稿を公開したいと思います。 僕が不登校になったきっかけ 「 やま、オメェ帰れよ 」 …… この言葉がきっかけでした。 1994 年のうだるような暑さ…… この年は、記録的な猛暑でした。全国 3 か所で最高気温が 40 ℃を超え、「 観測開始以来の猛暑 」と言われた年でした。 1991 年に日本経済のバブルが崩壊。 大手銀行であった、北海道拓殖銀行や、日本長期信用銀行が相次いで破綻。 四大証券のひとつであった山一證券も、自主廃業に追い込まれ、関連会社を含めると約 1 万人が路頭に迷うことになりました。 当時の野澤社長による「 社員は悪くありませんから 」という涙の会見は、今でも記憶に残っているのではないでしょうか? 1994 年の猛暑の夏は「 同情するなら金をくれ 」という言葉が流行語大賞に選ばれました。 バブル崩壊後、どこか殺伐とした雰囲気も感じ取っていたんでしょう。 ゴールデンタイムのテレビ番組では、ある特定のゲストをターゲットにして、失敗をしたら「 帰れコールをする 」という番組が流行っていました。 僕に対する冒頭の「 帰れコール 」もご多分に洩れず、その番組の影響を受けました。 「 やま、オメェ帰れよ 」 この言葉を言った本人は冗談だったかもしれません。 しかし、僕はこの「 帰れコール 」がきっかけで、不登校になりました。 学校を休学するまでは至りませんでしたが、不登校の定義である「 年間 30 日以上の欠席 」に近いお休みを経験しました。 夏休みの中学校のグランド。所属していた野球部の練習中でした。 部員同士の練習試合中でした。 三塁ベース後ろで、僕は審判役をしていました。 その年の春に、「 脊椎分離症 」という疲労骨折をし、整形外科に通っていました。 野球部の練習に顔を出す機会は減り、審判役をかって出ていたのです。 夏休みは親の勧めで、駅前の予備校の短期講習に通っていたので、野球部に顔を出さなくなっていたのが、気に入らなかったのでしょう。 一塁側のベンチサイドにいた M 君が 「 やま、オメェ帰れよ 」 と言って、周りにいた数名も同じことを言い始めました。 「 帰ーれ、帰ーれ、 帰ーれ、帰ーれ …… 」 その「 帰れコール 」は、うすら笑いと共にしばらくの間、グラウンドに響き渡りました。 僕はショックでした。 そこまで仲の悪くなかった同級生から「帰れコール」をされる。数名の部員もそれに加わる。 僕の頭は真っ白になり、動揺していました。 休憩時間に、ベンチサイドで M 君とすれ違った時、 「 お前ふざけんなよ 」と 自信なさげに歯向かうのが精一杯でした。 あの日を境に、 僕は不登校になりました… 【 やまさんは自己主張をした方がいいよ 】 これは中学 2 年の秋に、クラスのリーダー格の同級生が、僕にくれたアドバイスです。 「 周りに気を遣いすぎ 」 これが同級生のアドバイスでした。 当時の僕の印象を語ってくれたアドバイスだったと思います。 「 嫌なことを嫌だ 」と自己主張する これがとっても苦手でした …… 冒頭の不登校をきっかけに、暗黒の高校時代を僕は迎えることになります。 次回より、暗黒の高校時代に向かいつつある僕を、語っていきたいと思います。 最後までご視聴頂き、ありがとうございました。耳読書家で Kindle 作家のやまでした。 # 2 原稿一部公開 『 マイルドセブンと尾崎 豊さん 』 https://stand.fm/episodes/654957cdd9e7b895ac818083 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/5f6d2aebf04555115d2f1bfd
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