林 芙美子 放浪記第三部 その10 episode artwork

EPISODE · Jul 5, 2012 · 29 MIN

林 芙美子 放浪記第三部 その10

from 林芙美子 新版放浪記 第三部 · host えぷろん

参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813音声再生時間: 29分38秒shinpan-hourouki3-10a.mp3

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参照テキスト: 青空文庫図書カード№1813 音声再生時間: 29分38秒 shinpan-hourouki3-10a.mp3 * (七月×日) 薄曇り四年にわたる東京の 隙間をもれて 思い出はこの空気の濁り 午後にやむ雨 蝉(せみ)の声網目の如し 胸の轟(とどろき)小止(おや)みめぐる血 西片町のとある垣根の野薔薇(のいばら) 其処(そこここ)に捉(とら)われる風 小さき詩人よ 所在(ありか)なくさまよう詩人 窮して舞う銭なしの詩人 寂寞の重さにひしがれ 彷徨(さまよ)うは旅の夢跡 何処(どこ)やらに琴のきこゆる 消える音 消える夢 西片町の静かなる朝 金魚屋のいこう軒 浸み渡る円(えん)の水 赤い尾ひれのたまゆらの舞い 咽喉(のど)がかわく 真白な歯は水くぐる 歓びは枇杷(びわ)の果のしたたり 盗みて食う庭かげ 酢くしわめる舌は 英吉利(イギリス)語の如し 不愉快なバイブルの革表紙 しめって臭く犬の皮むけ 西片町の邸の匂い 枇杷の実はくさったまま 木もれびの下のキジ猫 森閑と静もれる西片町 金魚屋のバッカン帽子が呟く 詩人もしゃがむ 円にうつす水鏡 雲に浮く金魚の合唱 生死のほどはいまもわからぬ ただこの姿あるうちに召しませ 西洋洗濯のペンキ車 白い陶の表札と呼鈴 時間のとどまる一瞬の朝 この家々が澄まして悪を憎む ペンキ車は後追う詩人 どこやらでうその鳴き声 世に叫ぶ何ものも持たざる詩人 開闢(かいびゃく)とは今日のことなり 昨日はもうすでに消え あるは今日のみ今の現実 明日が来るのか…… 明日があるのか詩人は知らぬ (七月×日) 斑々(まだらまだら)に立つ斑々 人生の青さの彼方(かなた) 重く軽く生きる斑々 燈火によるかげろう 只ひきずられて生きる 忽然(こつぜん)と消えるも知らず 希望らしげな斑々の顔 悪念怨恨(えんこん)その日暮し どうせ死ぬ日があるまでは ムイシュキン様の憤怒(ふんぬ)絶望。 よりにもよって暗い顔 楽しい月日の人生なぞとは あわあわとたわけたことだ 辛抱強くよくも飽きずに Mボタンをはずしたり閉めたり 閃(ひらめ)き吹きあげる焔ほのおの息 斑々の辛抱強さの厚顔 頻(しき)りと雷同する斑々 時々はあじさいの地位名誉 下碑が鍋尻を洗う容貌(きりょう) 軽く重く衝突する斑々 床の間には忠孝 欄間には洗心 壁間には欲張った風流 ああ私は下婢となって 毎日毎日鍋尻を洗うのだ 斑々の偽善! 自分が何故こんなところにいるのか判らない。只、何となく家庭らしさをあこがれて来たようなあいまいな気持ちばかり。五円のおてあてではどうにもならぬ。――旦那さまは大学の先生だと云う。何を教えているのかさっぱり判らない。英国へ行っていたけいれきはあるのだそうだ。毎朝パン食。牛乳が一本。ひげをそって、水色裏の蝙蝠傘(こうもりがさ)を持って御出勤になる。大学までは、ほんの眼と鼻のところだのに、蝙蝠傘の装飾が入用なのだ。暑くても寒くても動じぬ人柄なり。歴史を語るのだそうだけれども、私は一度も講義を聞いたことはない。奥さんは年上で、もう五十位にはなっているのだろう。彫の深い面のような顔、表札の陶に似た濃化粧だ。奥さんの姪(めい)が一人。赤茶色の艶(つや)のない髪を耳かくしに結って鏡ばかり見ている。額が馬鹿に広くて、眼の小さいところがメダカに似ている。三十を過ぎたひとだそうだけれども、声が美しい。この暑いのにいつも足袋をはいたかたくるしさ。私は、この民子さんの素足を見た事がない。 喜びにつけ、悲しみにつけ、私は私の人生に倦怠(けんたい)を感じはじめた。偶然から湧(わ)いて来る体験、そンなものにほとほと閉口頓首(とんしゅ)、男といっしょにいるのも厭(いや)、夜の酒場勤めも長続きするものではないとなれば、結局は女中にでもなるより仕方がないけれど、これも私の柄にはあわない。今日で三日になるけれど、何となく居辛い。ここの雨戸の開閉がむずかしいように、何とも不馴れなことばかりなり。 己惚(うぬぼれ)の強さがくじけてしまう。何とも楽なことではないけれども、楽をしようなぞとは思わぬかわりに、ほんの少々のひまがほしい。女中ふぜいが、深夜に到るまで本を読んでいるなぞとは使いづらいに違いない。こちらも気の引けることだけれども、今夜こそは早く電気を消して眠りにつこうと思いながら、暗いところではなおさらさえざえとして頭がはっきりして来る。越し方、行末のことがわずらわしく浮び、虚空を飛び散る速さで、瞼(まぶた)のなかを様々な文字が飛んてゆく。 速くノートに書きとめておかなければ、この素速い文字は消えて忘れてしまうのだ。 仕方なく電気をつけ、ノートをたぐり寄せる。鉛筆を探しているひまに、さっきの光るような文字は綺麗に忘れてしまって、そのひとかけらも思い出せない。また燈火を消す。するとまた、赤ん坊の泣き声のような初々しい文字が瞼に光る。段々疲れて来る。いつの間にかうとうとと夢をみる。天幕のなかで広告とりをしていた夢、浅草の亀。物柔らかな暮しと云うものは、私の人生からはすでに燃えつくしている。自己錯覚か、異様な狂気の連続。ただ、落ちぶれて行く無意味な一隅。ハムスンの飢えのなかには、まだ、何かしらたくらみを持った希望がある。自分の生きかたが、無意味だと解った時の味気なさは下手な楽譜のように、ふぞろいな濁った諧音(かいおん)で、いつまでも耳の底に鳴っているのだ。 (七月×日) 暑いので、胸や背中にあせもが出来る。帯をしっかり結んでいるので、何とも暑い。蝉がジンヤジンヤと啼(な)きたてている。台所で水を何杯も飲む。窓にかぶさっている八ツ手の葉が暑っくるしい。明日は一応ひまを取って、千駄木へ帰ろうと思う。 こうしていてはどうにもならないのだ。五円の収入では田舎へ仕送りも出来ない。心の籠(こも)った美しい世界は何処にもない。自分で自分を卑しむ事ばかりだ。己惚れと云うものが、第一に自分を不遇のなかに追いこんでいるのだ。ものを書きたい気持ちなぞ何もなるものではないくせに、奇抜なことばかり考えては、自分で自分をあざけり笑うのみ。人には云えないけれど、自分がおかしい。何もまともなものは書けもしないくせに、文字が頭の芯にいつも明滅していると云う事はおかしい事なのだ。たかが田舎者のくせに、いったい文学とは何事なのでございましょうか? 神様よ。屡々(しばしば)、異様な人生が私にはある。そして、それに流されている。何かをやってみる。そして、その何かがすぐ不成功に終る。自信がなくなる。 失敗は人をおじけさせてしまう。男にも、職業にも私はつまずいてばかりいる。別に、誰が悪いと恨むわけではないのだけれども、よくもこんなに、神様は私と云うとるにたらぬ女をおいじめになるものだ。神様と云うものは意地の悪いものだ。あなたは、戦慄(せんりつ)と云う事を感じた事はないのだろう……。 やかましい音をたててジョウサイ屋が路地口に来る。物売りの男を見るたびに、行商をしている義父の事を思い出す。たまには五十円位もぽんと送ってやれないものかと思う。隣家の垣根に、ひまわりが丈高く後むきに咲いているのが見える。 来世は花に生まれて来たいような物哀しさになる。ひまわりの黄は、寛容な色彩。その色彩の輪のなかに、自然だけが何とない喜びをただよわせている。人間だけが悩み苦しむと云ういわれを妙な事だと思う。――奥さんは近いうち新潟へ帰郷の由。早くこの家を出なければならぬ。 夕方、八重垣町の縫物屋へ奥さんの夏羽織の仕立物を取りに行く。戸外を歩いていると吻(ほ)っとする。どの往来も打水がしてある。今日は逢初の縁日だと、とある八百屋の店先きで人が話しあっている。バナナがうまそうだし、西瓜も出ている。久しく西瓜も食べた事がない。 ふっと、田舎へ帰りたい気がする。赤い袴(はかま)をはいた交換手らしい女が三四人で私の前をはしゃぎながら行く。大正琴の音色がしている。季節らしさのこもった夕暮なり。金さえあれば旅行も出来よう、この季節らしさが口惜しくなって来る。いつまでも、仕事探しで、よろよろと、二十歳の私の青春は朽ちてゆくのかもしれない。漂うに任せての生活にも本当に厭になってしまう。自分らしい落ちつき場所と云うものは仲々みつからぬものだ。 人生と云うものはこんなに何かしらごちゃごちゃと寄り添っていながら、わざと濁った方へ、苦しい方へ、退屈な方へ流されて行ってしまっている。そして、人々は不用意に風邪を引く。何処で引いたのかは気がつかない。夜、メダカ女史が泣いていた。どのような原因なのかは知らないけれども、取りみだして泣いている。白いカバーのかかった座蒲団の重ねてある暗いところで泣いている。書斎は森閑としている。 台所で一人で食事。来る日も来る日も、なまぬるい味噌汁と御飯。ぬか漬の胡瓜(きゅうり)を一本出してそっと食べる。ああ、たまにはジャムつきのパンが食べたい。 奥さんが、小さい声で叱っている声がする。恩を仇(あだ)で返されたようなものよと云う声がする。学者の家と云えどもいろいろな事あり。――メダカ女史の見栄坊がねこそぎ失脚してしまった。その後は声をたてて泣く。女の泣き声が美しいのに心が波立つ。やぶれかぶれで、またぬか漬けの茄子(なす)を出して食べる。 酢っぱい汁が舌にあふれる。 凪(なぎ)に近い暑さ。風鈴が時々ものうく鳴る。明日はこの家を出たいものだ。何しろ、蚊が多いのはやりきれない。台所をかたづけて、水道で躯を拭いていると、ひどい藪蚊(やぶか)にさされる。皮膚が弱いのですぐぷっとふくれる。浴衣を水洗いして夜干しをして置く。いい月夜なり、写真のような白と黒の影で、狭い庭のそこここに白い人が立っているような錯覚がする。 (七月×日) 濁った水を走る、小さい魚の眼にも、澄んだ真夏の空が光っている。およそ、模範的だなぞと云う人間ぐらい厭なものはない。歩いている人間がみんなそうだ。二本の足をかわりばんこに動かして、まるで、目の前に希望がぶらさがっているような、あくせくした行進だ。 この世の中にどんな模範があるのだろう。人いじめで、いやらしくて、大嘘つきで、自分ばかりをおたかく考えている人間。口に人類だの人道主義だなぞと云って、あのメダカ女史をうまいことだましたに違いない。その恋人は一生足袋をはいて暮さなければ格が落ちるとでも教育されたのに違いない。 女には反抗する姿勢がないのだ。すぐ、じめじめと泣き出す。 夜、上野の鈴本へ英子さんと行く。 猫八の物真似、雷門助六のじげむの話面白し。ああすまじきものは宮づかえ、千駄木へ戻って、井戸で水を浴びる。 物干に出て涼んでいると、星が馬鹿に綺麗だ。地虫が啼いている。蚊が唸っている。夜更けまで、何処かで木魚を叩くような音がしている。長い月日を西片町で暮していたような気がする。英子さんは、二三日して大阪へ戻る由なり。その後のことはまた考えればいいのだ。せめて、二三日、黙ってぐっすり眠りたいものなり。 (七月×日) 昼近く、読売新聞に行き、清水さんに面会に行くが、とうとう詩を返される。帰り、恭ちゃんのところへ寄る。ここも、不如意な暮しむきなり。節ちゃんと縁側で昼寝。氷水を十杯も飲みたい気持ちで眼が覚める。節ちゃんは子供を柱へくくりつけて洗濯。 何処へも行き場のない、行きくれた気持ちで縁側で足をぶらぶらさせていると、路地の外をものうい唄をうたってジンタが通る。籠の鳥でもちえある鳥は、人目しのんで逢いに来る。……何だかその唄が身につまされて心のなかが味気なくなって来る。庭のすみに、小さい朝鮮朝顔の桃色の花がいっぱい咲いている。久しぶりで、しみじみと花の咲いたのをみた。恭次郎さん仲々戻らない。財布をはたいて、釜あげうどんを二つとって節ちゃんと食べる。金は天下のまわりもの、いずれは、のろのろとした速度で、また金のはいる事もありましょう。 逢初の縁日は 香具師(やし)がいっぱい 粉だらけの白い朝鮮飴(あめ) 螢売(ほたる)うりに虫売り 大道手品は喝采(かっさい)でいっぱい カーチンメンドの冷し飴 臆病者の散歩 カアバイトの臭い燈火 バナナ屋のねじり鉢巻 ええあの太いのがくさるのよ ゴム管で聴く蓄音機 ホーマーの詩でもあるのかな 深山の薄雪草にも似た宵 綿の水を吸って絹糸草が青い 水中花はコップの中で一叢(ひとむら) アルペンの高山植物らしく 男を売る店は一軒もない 乾いた海ほうずきの紅色 心臓が黙って歩いている ああ五時間もすれば またどんな人生がやって来るのだろう 不可能のなかに後退してゆく脚 少しずつ思いの色が変化する ゴマ入りの飴玉をしゃぶる 縁には紐ひものない玉手箱。 (七月×日) 英子さんが一緒に大阪へ行かないかと云う。大阪へ行く気はしないけれど、岡山へは帰りたい。久しぶりに、母にも逢いたいものなり。英子さんの旦那さんより十円かりる。岡山まで行きさえすれば、帰りは何とかなるだろう。昼、西片町に荷物を取りに行く。メダカ女史が荷物と、五十銭玉六つくれる。この本は、貴女のではないでしょうと云って、伊勢物語を出して来る。はい、私のですと云うと、いいえ、これはうちの本ですと云う。何だかシャクゼンとしないので、これは、私が夜店で買ったのだからと、台所にいつまでも立っていた。メダカ女史しらべて来ると云って引っこんでいったけれど、暫(しばら)くして黙って、「勉強家ね」と云って持って来る。本と云うものは女中風情の読むものではないと思っていたのに違いない。ありましたかと尋ねると、メダカ女史は返事もしない。ああやれやれだ。昔男ありけりだ。大した事でもない。 夜、英子さんと、英子さんの子供と三人で東京駅へ行く。汽車へ乗る事も久しぶりだけれども、何となく東京へなごりおしい気持ちなり。別れた人が急になつかしくなって来る。八十銭のボイルの浴衣がお母さんへの土産。 プラットホームはひっそりとして、洋食の匂いがしている。見送りの人もまばら。ホームを涼しい風が吹いている。流暢(りゅうちょう)な東京言葉にもお別れ。横浜を過ぎる頃から車内がひっそりして来る。山北の鮎(あゆ)寿司を英子さんが買う。半分ずつ食べる。英子さんの旦那さんは大工さんだが無類にいいひとなり。 何ものにもとらわれる事なく、何時までも汽車旅をつづけていたいようなのんびりさだ。汽車に乗って、岡山へ帰るなぞとは昨日まで考えつかなかった事だけに愉しくて仕方がない。さきの事はさきの事で、また、何とか、人生のおもむきは変ってゆくであろう。譜面台のない人生が未来にはある。私はそう思う。自分の運命なンか少しも判ってはいないけれども、運命の神様が何とかお考えになっているのには違いない。ぞっとするような事も度々だけれど、この汽車に乗れる幸福はまことに有難いことだ。東京へ再び来る事があったら十円は身を粉にしても返さなければならない。西片町はさよなら。 何事もおぼしめしのままなる人生だ。えらそうな事を考えてみたところで、運命には抗しがたい。昔男ありけりではないが、ああ、あんな事もあった、こんな事もあったと、暗い窓を見ていると、田園の灯がどんどん後へ消えてゆく。少しも眠れない。一つのささやかな遍歴の試みが、私をますます勇気づけてくれる。何でも捨身になって働くにかぎる。詩なぞはもうこんりんざい書くまい。詩を書きたい願望や情熱は、ここのところどうにもならない。大詩人になったところで、人は何とも思わぬ。狂人のようになれぬ以上は、このみじめな環境から這い出すべしだと思う。夜の雲がはっきりみえる。

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林 芙美子 放浪記第三部 その10

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