EPISODE · Jun 17, 2026 · 3 MIN
上山が生んだ医学の「神様」!日本初の帝王切開を成し遂げた、大森治豊の“酒好き”逆転人生と“神業”の真実
from Yamagata Walks 〜足跡に眠る、忘れられた山形の物語〜 · host Yamagata Walks
今回のエピソードでスポットを当てるのは、山形県上山市が誇る、まさに「神様」と称された人物、大森治豊(おおもり はるとよ)です。日本近代医学に計り知れない足跡を残し、「日本腹部外科の開祖」とまで呼ばれた彼の生涯は、まさに波瀾万丈のドラマでした。 温泉と城下町の風情が残る上山から生まれた大森治豊の最大の功績は、何といっても「日本で初めて帝王切開を成功させた」ことです。今でこそ当たり前の医療行為ですが、彼が生きた明治時代、人のお腹に刃を立てることは武士の「切腹」、すなわち「死」を意味する禁忌中の禁忌でした。そんな時代に、お腹を切り開いて母子両方の命を救うという前代未聞の偉業は、当時の人々にとってまさに「神業」としか言いようがなかったのです。 しかし、彼の天才性はそれだけにとどまりません。明治18年、福岡での歴史的な帝王切開手術において、取り出された新生児が仮死状態だった際、彼は全く動じることなく、即座に「気管切開」を施し、見事に蘇生させています。帝王切開に加えて、新生児への気管切開まで成功させたことは、当時の新聞が「神業」と報じたのも納得の、驚くべき医術と判断力でした。この偉業は、かみのやま温泉の「カミン」近くに立つ記念碑にも、「帝王切開創始者 大森治豊先生宅址」として今もその功績を伝えています。 そんな「神様」とまで呼ばれた大天才、大森治豊は、若かりし頃からエリート街道をまっしぐらだったのでしょうか?実は、その人生は「逆転劇」と呼ぶにふさわしいものでした。明治維新後、上山藩が藩の未来を託すべく優秀な若者を東京に派遣する「貢進生」の選考で、彼はまさかの落選をしてしまいます。理由は「酒好き」であったため。「大森の如き飲酒家はとうてい見込みがない」という厳しい評価は、彼にとって大きな屈辱でした。 しかし、大森治豊の真骨頂はここから発揮されます。彼はこの屈辱をバネに、「見込み違いであることを自分の力で証明してやる」と奮起。藩の援助を一切頼らず、独学で猛勉強に励み、なんと東京大学医学部の前身である大学東校に、自力で見事合格を果たします。この不屈の反骨精神こそが、後の「神業」を生み出す原動力となったのです。 彼の人間味あふれる「酒好き」の側面は、藩医であった父、大森快春譲り。父もまた将軍家からの誘いを三度も断るほどの誇り高い人物であり、診療所に酒樽を置いて患者に振る舞うほどでした。若き日の治豊も、夜中に勉強する際、行燈の火でお酒を燗しながら、そのお酒が温まるまでの時間を惜しんで猛烈に書物をめくったという、なんとも風情のある逸話が残されています。上山の地で育まれたこの不屈の精神と、人間味あふれる温かさが、彼の高潔な人格を形成していったのでしょう。 明治12年、大森治豊は東京大学医学部の記念すべき第一回卒業生となり、日本で初めて「学位としての医学士」を手にしたわずか18名の精鋭の一人となります。お雇い外国人医師から学んだ最先端のドイツ医学、特に消毒法の知識は、帝王切開成功の重要な鍵となりました。その後、福岡に赴任した彼は、最終的に九州大学の前身である京都帝国大学福岡医科大学の初代学長にまで上り詰めます。最新鋭の病院を建設し、多くの優秀な後進を育成し、今日の日本の医学の礎を築き上げました。 故郷上山で「見込みがない」と評された青年が、自らの力で医学の道を切り開き、日本の医療史に輝かしい足跡を残し、ついには九州の大学のトップにまで上り詰めた大逆転人生。名利を求めることなく、ただひたすらに医学の進歩と人の命のために尽くした大森治豊の情熱と不屈の精神は、私たちに大きな感動と勇気を与えてくれます。
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上山が生んだ医学の「神様」!日本初の帝王切開を成し遂げた、大森治豊の“酒好き”逆転人生と“神業”の真実
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