EPISODE · Jun 26, 2020 · 47 MIN
われらのラッセル我们的罗素哲学06(第1章第4段落)
from われらの哲学 レオンラジオ 楠元純一郎
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」作詞作曲 楠元純一郎編曲 山之内馨<われらのラッセル哲学第6回(『哲学の諸問題』第1章第4段落)ラジオ収録20200624>↓「继续阅读」を押すと全文が読めます。↓【ラジオパーソナリティー】 楠元純一郎(日本語翻訳・法学者) レオー(中国語翻訳・美術家・録音編集者)【ゲスト】 松尾欣治(監修・哲学者・大学外部総合評価者) 冯宪中(監修・国際経済学者)For most practical purposes these differences are unimportant, but to the painter they are all-important: the painter has to unlearn the habit of thinking that things seem to have the colour which common sense says they 'really' have, and to learn the habit of seeing things as they appear.たいていの実用的な目的にとっては、これらの配色の違いは重要ではないが、画家にとってはそれらは非常に重要である。つまり、画家は、物は常識的にそれらが「本当に」有しているとされる色を有していると考える習慣を捨て去らねばならず、それらが見えるがままに物を見る習慣を身に付けなければならない。※コロン(:)の使い方に注意!→例示列挙する場合、何かの言換え(詳述)をする場合(つまり〜)、以下に引用文が来る場合がある。all-important 非常に重要な在大多数实用的目的中,这些差异并不重要,但对画家来说,它们是相当重要的:画家必须摒弃那种认为事物看上去具有常识所说的“真正”色彩的习惯,并养成观察事物外观的习惯。all-important:all在这里是“非常”的意思,表程度。Here we have already the beginning of one of the distinctions that cause most trouble in philosophy -- the distinction between 'appearance' and 'reality', between what things seem to be and what they are.ここで我々は、哲学において最も厄介な問題をもたらす区別、すなわち、「事物の感じたままの様子(現象)」と「事物の本当の姿(実在)」、事物がどのようであるかということとそれがなんであるか(本質的にどうであるか)の区別をすでにし始めているのである。哲学当中引发出最大麻烦的一个分歧自此产生——“表象”和“真实”之间的区别,也就是一个东西看起来的样子和实际上的样子。The painter wants to know what things seem to be, the practical man and the philosopher want to know what they are; but the philosopher's wish to know this is stronger than the practical man's, and is more troubled by knowledge as to the difficulties of answering the question. 画家は事物がどのような様子であるかを知りたがり、現実的な人(実務家)および哲学者はそれが(いったい)なんであるかを知りたがる。しかし、哲学者がこれを知ろうとする願望は、現実的な人(実務家)のそれよりも強く、そして、その問題に答える難しさという点において、知識(常識)によってさらに厄介なことになる。※問題点 当初私は、「しかし、哲学者がこれを知ろうとする願望は、現実的な人(実務家)のそれよりも強く、そして、その問題に答える難しさにについて知っているだけに、さらに厄介なことになる。」と訳しておりました。 それに対して、レオー君から、「その問題に答える難しさに関して、知識によってさらに面倒なことになる」とか、冯老師から、「その問題に答えることの難しさと同様に、知識によってさらに面倒なことになる」という訳案が出されました。私見としては、それだと「知識」が唐突に出てきて、これではなんの知識かわからないし、また、「as to」は辞書によればまず、「~について」とか「~に関して」と出てきて、「同様に」というのは見当たらないので、ここはやはり、knowledgeとthe difficultyを引き寄せて、「難しさについて知っている」と訳すのが自然ではないかと考えていたのです(楠元文責)。それに対して、レオー君から以下のような反論がありました。(楠元文責) knowledgeといえば、「知識」ですがここではむしろ「常識」というのがより相応しいと思います。例えば、子供は常識がまだ少ないから、「なぜ空が青いの?」という質問に対して、「誰かに青色に染められたかもしれない」という答えが出てくるかもしれません。大人になったら常識が増える一方で、いろんなことの難しさもだんだんわかるようになってきます。だから、ここでは、「知識(常識)によって面倒なことになる」と訳します。(レオー文責) なるほど、レオー君のいうとおり、knowledgeが知識(常識)ならば、なぜそれにaとかtheの冠詞がつけられていないのでしょうか(これについては松尾先生からも同様の疑問が出されております)。よって、ここでは知識とか常識ではなく、ただ単に抽象的な意味での「知っている」ということではないかとt当初は思ったのです(楠元文責)。 はい、こちらもあんまり文法のことを考えずに、ただ直感的に読みながら訳しました(レオー文責)。 しかし、よく考えてみるとレオー君の言っていることは実は鋭いのではないと思えてきました。なぜなら、第1章第2段落の第2文に、”In the search for certainty, it is natural to begin with our present experiences, and in some sense, no doubt, knowledge is to be derived from them. ”という文章があり、そこではknowledgeを知識と訳しておりましたが、このknowledgeにも冠詞がないのです。冠詞がなくても知識と訳していたので、この点に関し、レオー君や冯老師の「知識(説)」を否定できなくなりました。これで、なんかモヤモヤが晴れてきました。(楠元文責) Leo, you won!画家想要知道事物看起来是怎样的,而实干家和哲学家想要知道它们是什么。但是哲学家的愿望要比实干家强,而且关于回答这个问题的困难,更加为知识(常识)所困。wish后出现to不一定是不定式!看错的话会导致无法分析句子成分从而造成理解困难。看到前面的's就应该知道这里的wish是名词,to后的部分是修饰成分。
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