EPISODE · Oct 2, 2020 · 45 MIN
われらのラッセル我们的罗素哲学19(第1章第16段落)
from われらの哲学 レオンラジオ 楠元純一郎
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」作詞作曲 楠元純一郎編曲 山之内馨<われらのラッセル哲学第19回(『哲学の諸問題』第1章第16段落)>ラジオ収録20200930↓「继续阅读」を押すとテキスト全文が読めます。↓【ラジオパーソナリティー】 楠元純一郎 (日本語翻訳・法学者) レオー (中国語翻訳・美術家・録音編集者)【ゲスト】 松尾欣治 (監修・哲学者・大学外部総合評価者) 冯宪中 (監修・国際経済学者)But these philosophers, though they deny matter as opposed to mind, nevertheless, in another sense, admit matter.しかし、これらの哲学者たちは、心に相対するものとしての物質を否定するとはいえ、それにもかかわらず、別の意味では物質を認めている。尽管这些哲学家否认物质是想法的对立面,但从另一个意义上来说他们也还是承认物质的存在。It will be remembered that we asked two questions; namely, (1) Is there a real table at all? (2) If so, what sort of object can it be?我々が二つの問題について問うたことが思い出されるだろう。つまり、(1)いったい、本当の食卓は存在するのか?(2)もしそれが存在するならば、それはいかなる対象でありうるか?我们还记得我们曾经问过这两个问题:到底有没有真实的桌子存在?如果有,它会是一种什么样的对象呢?Now both Berkeley and Leibniz admit that there is a real table, but Berkeley says it is certain ideas in the mind of God, and Leibniz says it is a colony of souls.いまや、バークレー司教もライプニッツも本当の食卓の存在を認めているが、バークレー司教はそれを神の心のある一定の観念(考え)であるといい、ライプニッツはそれは魂の群体であるという。现在,伯克利和莱布尼兹都承认真实的桌子存在,但伯克利认为它是上帝头脑中的确切想法,而莱布尼兹认为它是灵魂的群体。Thus both of them answer our first question in the affirmative, and only diverge from the views of ordinary mortals in their answer to our second question.かくして、彼らのいずれも我々の第一の問いについて肯定的に回答し、ただ、第二の問いへの答えについては、通常の人びとの考え方からかけ離れている。于是它们各自都肯定地回答了我们的第一个问题,只是在回答第二个问题时和一般普通人的观点有所分歧。In fact, almost all philosophers seem to be agreed that there is a real table :they almost all agree that, however much our sense-data -- colour, shape, smoothness, etc. -- may depend upon us, yet their occurrence is a sign of something existing independently of us, something differing, perhaps, completely from our sense-data whenever we are in a suitable relation to the real table. 実際、ほとんどすべての哲学者たちは、本当の食卓が存在することに同意しているようである。つまり、ほとんどすべての哲学者たちは、色、形、滑らかさ等、どれほど多くのセンスデータが我々に依存していようとも、それらの発現は我々から独立して存在しているなにか、そして我々が本当の食卓に適した関係にある場合はいつでも、我々のセンスデータからおそらく完全に異なっているなにかの記号(しるし)であるということに同意している。: (コロン)の秘密 コロンは「言い換え」。だから、howeverは逆説の「しかし」にはならないのですね!however much=no matter howどんなに〜していようとも事实上,似乎所有的哲学家都同意真实的桌子的存在:他们似乎都同意,无论我们多数的感觉数据——如颜色,形状,光滑程度——在多大程度上会是依赖于我们的。但每当我们和真实的桌子有一种合适的关系,这些感觉数据的出现是某物独立于我们存在的一种符号,或许完全地相左于我们的感觉数据 。
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われらのラッセル我们的罗素哲学19(第1章第16段落)
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