EPISODE · Mar 15, 2022 · 54 MIN
われらのラッセル我们的罗素哲学91(第7章第19~21段落)
from われらの哲学 レオンラジオ 楠元純一郎
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」作詞作曲 楠元純一郎編曲 山之内馨<LeoNRadio日の出 われらのラッセル哲学第91回(『哲学の諸問題 "The problems of philosophy" by Bertrand Russell』第7章19~21段落)>ラジオ収録20220313日本語訳 楠元純一郎中国語訳 張暁良日本語訳監修 松尾欣治 福留邦浩中国語訳監修 東洋大学大学院・法学部留学生たち録音師 レオー第19段落But the newness of the knowledge is much less certain if we take the stock instance of deduction that is always given in books on logic, namely, 'All men are mortal; Socrates is a man, therefore Socrates is mortal.'しかし、もし我々が論理学の本によく見られる演繹の場合、つまり、「すべての人は死すべきである。ソクラテスは人である。ゆえにソクラテスは死すべきである」を検討すれば、その新しい知識にはほとんど確実性はない。但是,如果我们拿逻辑学书籍中常见的演绎来说,知识的新颖性就没那么确定了,即: 人皆有一死; 苏格拉底是人,因此苏格拉底终有一死。In this case, what we really know beyond reasonable doubt is that certain men, A, B, C, were mortal, since, in fact, they have died.この場合、我々が合理的な疑いなく本当に知っていることは、A、B、Cといった特定の人たちは、彼らが実際すでに死んでいるため、死すべき運命にあったということである。在这种情况下,我们在合理怀疑之外真正知道的是,因为某些特定的人A、B、C终将会死去,所以事实上他们已经死了。If Socrates is one of these men, it is foolish to go the roundabout way through 'all men are mortal' to arrive at the conclusion that probably Socrates is mortal.もしソクラテスが彼らのうちの一人であるならば、おそらくソクラテスは死すべきであるという結論に達するのに「すべての人は死すべきである」というのを経由して回り道をするのは馬鹿げている。如果苏格拉底是这些人中的一员,那么由到头来人皆有一死而得出苏格拉底可能会死的结论是愚蠢的。If Socrates is not one of the men on whom our induction is based, we shall still do better to argue straight from our A, B, C, to Socrates, than to go round by the general proposition, 'all men are mortal'.もしソクラテスが、我々の帰納法が依拠している彼らのうちの一人ではないならば、我々は「すべての人は死すべきである」という一般命題によって回り道をするより、依然としてA、B、Cからソクラテスに直接議論した方がよいだろう。如果苏格拉底不是我们的归纳所依据的人之一,我们仍然应该直接从A、B、C到苏格拉底进行论证,而不是绕过人皆有一死的一般命题。For the probability that Socrates is mortal is greater, on our data, than the probability that all men are mortal.なぜなら、ソクラテスは死すべきであるという蓋然性は我々のデータ上はすべての人が死すべきであるという蓋然性よりも大きいからである。因为根据我们的数据,苏格拉底死亡的可能性比所有人死亡的可能性要大。(This is obvious, because if all men are mortal, so is Socrates; but if Socrates is mortal, it does not follow that all men are mortal.)(このことは明らかである。なぜなら、もしすべての人が死すべきであるならソクラテスもそうであるが、しかしもしソクラテスが死すべきであるならすべての人も死すべきであるということにはならないからである。)(这是显而易见的,因为如果人皆有一死,那么苏格拉底也是; 如果因苏格拉底终有一死,那么所有人也终有一死是不成立的。)Hence we shall reach the conclusion that Socrates is mortal with a greater approach to certainty if we make our argument purely inductive than if we go by way of 'all men are mortal' and then use deduction.したがって、もし我々が「すべての人は死すべきである」を経由して行くならばその場合、演繹法を使うというよりも、純粋に帰納法で議論するならば、より大きな確実性を伴って、ソクラテスは死すべきであるという結論に達するであろう。因此,我们将得出结论,如果我们用我们的纯粹归纳去论证的话,苏格拉底必死的确定性,要比我们使用人皆有一死的方法后,再使用演绎的方式的确定性更大。第20段落This illustrates the difference between general propositions known a priori such as 'two and two are four', and empirical generalizations such as 'all men are mortal'. このことは「2+2 =4」のようなアプリオリに知られている一般命題と「すべての人は死すべきである」のような経験的一般化との間の違いを例証している。这说明了例如2加2等于4的先验知识的一般命题,与例如人皆有一死的经验概括之间的区别。In regard to the former, deduction is the right mode of argument, whereas in regard to the latter, induction is always theoretically preferable, and warrants a greater confidence in the truth of our conclusion, because all empirical generalizations are more uncertain than the instances of them.前者に関しては演繹法が議論の正しい方法であるが、後者に関しては帰納法が常に理論的に好ましく、我々の結論の真理についてより大きな信頼を保証する。なぜならば、すべての経験的な一般化はそれら(アプリオリに知られている一般命題)の事例よりも不確実であるからである。对于前者,虽然演绎法是正确的论证方式,而对于后者,归纳法在理论上总是可取的,并且给我们结论的真实性更大的保证,因为所有的实证归纳法都比它们的实例更不确定。第21段落We have now seen that there are propositions known a priori, and that among them are the propositions of logic and pure mathematics, as well as the fundamental propositions of ethics. 我々はいま、アプリオリに知られている命題があること、そしてその中には倫理学の基本命題はもちろん論理学と純粋数学の命題があるということがわかった。我们现在已经知道,有一些命题是先验已知的,其中包括逻辑命题和纯数学命题,以及伦理学的基本命题。The question which must next occupy us is this: How is it possible that there should be such knowledge?次に我々の関心を引く問題はこれである。つまり、そのような知識はどうすれば可能なのか?である。我们接下来必须考虑的问题是: 怎么可能会有这样的知识?And more particularly, how can there be knowledge of general propositions in cases where we have not examined all the instances, and indeed never can examine them all, because their number is infinite?そしてとくに、我々がすべての個別事例を検討しておらず、そしてその数が無限であるがゆえにそれらすべてを検討することはできないような場合において、一般命題の知識はどうすれば存在し得るのか?更具体地说,如果我们没有研究所有的实例,而且实际上也不可能研究所有的实例,因为它们的数量是无限的,那么怎么可能存在一般命题的知识呢?These questions, which were first brought prominently forward by the German philosopher Kant (1724-1804), are very difficult, and historically very important.ドイツの哲学者、カント(1724年-1804年)によって最初にはっきりと示されたこれらの問題は、とても難しくそして歴史的に非常に重要である。这些问题是由德国哲学家康德(1724-1804)首次明确提出,这是非常困难的,也是历史上非常重要的。
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