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『弱さ考』井上慎平のままならジオ(ままなラジオ)

「ままならジオ(ままなラジオ)」は人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・井上慎平が、哲学や読書を手がかりに、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考えるポッドキャストです。焚き火の音とともに、あわただしい毎日の「余白」となれば幸いです。思考すること、問いを立てること、対話することが好きな方へ。■井上が主催するオンライン読書プログラム「問い読」はこちらhttps://go.toidoku.com/inoue■お便り・感想はこちら:https://forms.gle/NaDpXUbzPB3Tri6PA■著書『弱さ考』:https://amzn.asia/d/0j1A47b1

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    いちいち「今日」に驚くわ|ままならジオ(ままなラジオ)#16

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)いちいち今日に驚くわ。びっくりすんのが楽しいわ。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。なんかね、もう鬱を発症してはや5年近くなるわけですよ。5年かー。ずいぶん、早かったなという感じがあります。「ふつうに元気な日」っていうのは1日だってなかったわけですが。そんななか5年もやってきのねーと。感慨深い。今日は、鬱になってからの時間感覚の変化についてお話ししようかなと。自分としてはね、鬱になってから「なんか生き急いどるな」という感覚がずっとあったんですよ。何かやりたいことがあったり、会いたい人がいたとき、その衝動を後ろ倒しにしない、「また今度」と考えへんくなったっちゅうか。その日思ったことは、その日にやる。たぶんそれは、「死ぬこと」の感覚がずっと生々しくなったんやろうな、とそんなふうに整理してました。死との距離感が近くなったっちゅうか。でも最近はそればっかりやないよなと思うようになりました。っちゅうんも、別に自分の寿命が短くなったように感じとるわけやないんですよね。まあ平均年齢を考えると、あと40年50年生きるんかなー、っていうその感覚が急に変わったわけやない。だから、よく言う「メメント・モリ」というか、死を思って毎日を生きるという感じとは若干違うんですよね。いつ死ぬかわからん、っていう生きることの不安定さの再確認みたいなのはあったかもしれんけど。たぶん、もうちょっと具体的に言うと「この安定した日常がいつ壊れてもおかしくない」ってことをいつも感じとるんでしょうね。この感覚は、健康を一度失ったということが多いに影響しとると思います。うっすら鬱と、しっかり鬱を行ったり来たりしている毎日やと、まず自分の状態が数時間単位で安定しないわけで。昼頃には元気やったのに夕方には動けへんという日も珍しくない。でも、この自分がいつか死ぬことに対する距離感というか感覚は、自分だけの話やないんですよね。みんな僕みたいに自分はなんとなく平均寿命くらいで死ぬんかなーというぼんやりとした感覚は持ってると思うんです。ただ、そのなかでも健やかな状態で会える・話せることは当たり前やない。人と人とが話すでも旅行にいくでもなんでもいいけど、何か一緒にするには当然ながらお互いがある程度健やかやったり、ライフスタイルに大きな変化があったり、急に引っ越す、みたいなことがなかったり…あらゆる、「特別なことが何もない」っていう状態が続いて初めて成立することやと思うんですね。それがいまの自分には、あんまり大袈裟な言葉は使いたないけど、奇跡のように感じるんですよ。逆に言えば「今日会いたい相手が一年後にも会えるんやろう」っていう予想は、奇跡を期待しすぎやろうって感覚なんですね。やから「今日会いたいと思ったら会う」みたいなことを大事にしてきたし、それが結果的に「生き急いでる」みたいな感覚につながってたんやと思うんやけど。いや、ほんまに人体が動いているというのは奇跡みたいなことで。急病になってない、脳の働きが悪くなってない、事故にあってない。何百億の微生物がバランスをとってうまくやっとる。それって自分だけでもなかなかそれは珍しい人やのに、お互いが、身内の人も含めて緊急事態がない、ってもう針の糸を通すようなむずかしい話で。お互い何百個の、なんや? 信号で言うと青信号が灯っていないと、今日会うっていうそれだけのことができひんのですよね。でもこういうことって、一度日常が崩壊しーひんとわからんのが人間の悲しいさがなんですよね。頭ではわかってても。当たり前の日常に感謝すると言うとチープなんやけど…感謝というよりは驚くって感じですね。日常が日常として回っているという事実に驚くっていう感じかな。僕はずっと鬱になったあの日から、偶然性・偶然性っていろんなところで言ってるんですけど、今日僕がこうやって生きてることにも、僕にとって大事な人が無事で生きてることにも、新鮮な驚きが常にあるんですね。いい方を変えれば、明日になったらそうやなくなってるかもしれないという恐れや不安が常にある。「いつ何があってもおかしくない」っていうんは、単なる強迫観念とか焦りやなくて、この世界の真理や思うんですよね。そのことを、いつ当たり前が壊れるかわからんってことを、僕はずっと「世界の残酷さ」と呼んでいる。たぶん、これを聞いている人のなかにも、そういう経験をして、その残酷さを知ることによって、今日が今日としてあることに驚けてるっちゅう人はけっこういるんちゃうかな。今日に驚けること。それは健康を失った人に儚く残された特権なんやなと思います。でも、そうなるとけっこう楽しくてね。今日人と会えた、話せた、働けたっていうことがそれだけで嬉しいんですよ。このあたりも僕が鬱になってからかえってごきげんになれてることとつながってるんかもしれへん。世界は偶然に満たされてるわけでしょ。その偶然性のなかでたまたま今日楽しく過ごせた。それはもう一回きりの奇跡みたいなもんよ。一回きりしか立たない波を、ずっとサーフィンしてる感覚なんよな。今日の偶然のなかで今日を楽しむ。楽しめない日やってある。そのなかでリスクも知りつつ飛び込んでいく。連絡を取りたい人には連絡する。今日会いたいと言ってみたりする。このサーフィンは、見方によっては健康を失った人の悲劇なわけやけど、波に乗ったり海にドボンしたりしてる人間の側としては、けっこう喜劇として楽しめるもんでね。僕は、「人生は自分次第や」っていう「みずから、する」の物語から、「人生どうにもならんこともある」っていう「おのずから、なる」っていうふうに、僕の物語は一気に書き換わったんです。このあたりは「おのずからとみずから」っていう本の影響をすごい受けてるんやけどね。どっちも自分の自に、「ら」って書く、同じ書き方やのに意味がまったく違うよね、ってことについて考察した、竹内聖一さんって人の本。このおのずから、なるっていう物語は「ままならなさ」の物語と言いかえてもええと思う。で、それは、見方によっては無力感そのものなんよね。みずからこの世界を、自分をコントロールできへんってことは、「運命を切り開くぜ!」みたいな力強い言葉を信じることができんっていうことやから、なんというかすぐ虚無というか、虚しさにつながりそうやないですか。でも、本人は人生は一回きりの奇跡のような波を渡り歩いくサーフィンなんやって思ってるから、そんなに虚しくないんですよね。というか虚しくなる暇なんてないほどに毎日がアップアンドダウンでハードボイルドなわけですよ。やから今は、「ままならなさ」の物語に対して、ときに無理をしながら、明日体調が悪くなるかもしれへんけど今日は遊ぶんやっていうその無責任さに流されながらやってると。これはこれでけっこう楽しいのよ。無責任って言ったけど、不安定な体調とともに生きていく自分には、未来に責任を持てるという感覚のほうがおこがましいくらいに思うしな。今たまたま現れた波に乗っていく。その不安定なサーフィンが毎日をつくっていく。それを繰り返してたらいつか死ぬ。それは50年先かもしれへんし、明日かもしれへん。なんでこんなこと話してるんでしょね。たぶんそれは、今日現れた波がまた明日現れるかはわからへんねやで、っていうこの世の忘れられがちな真実を、やっぱりこれを聞いた人に驚いてほしいと思ってるからなんやろな。ほんで逆に、未来はどうなるんやろう、とかそういう不安を原動力に今日をいきんといてほしい。人生はどこまでいっても1日の積み重ねでしかないんやしね。そしてその積み重ねの数が多いか少ないか、つまり寿命が長いか短いかなんて、正直あんまり大した問題やない。いや、大事やけど自分にできるんは今日の波に乗ることだけやから。

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    「合理性」は、人の数だけ|ままならジオ(ままなラジオ)#15

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)はこちらから募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」はこちら。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『弱さ考』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)合理的ってなんなん?もし合理的な答えがひとつやなかったとしたら、あなたにとっての合理的って何?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。合理的っていう言葉があるやないですか。僕は鬱になって、自分の体と心が不安定になって社会から弾き出されるまで、この合理性っていうものについてあんまり考えてこなかったんですよね。でも、いざ世界のルールみたいなもんが急にカオスになった。そうすると、「合理的ってなんやねん?」ってことについて考えざるを得なくなったんですよね。「合理的」って言葉から、みなさんはどんなイメージを持ちます?なんとなく、たった一つの答えがあるような気がしませんか?「合理的に考えたら絶対こうでしょ」「これしかないでしょ」みたいな。でも、それがそうでもないんやな〜。話がちょっと逸れるんですけど、僕が「合理的」なるものになんか物言いをしたくなるのは、ずっと「経済合理性ですべてが決まっていいのか」「経済合理性だけがいちばんの指標なんか」みたいなことを感覚的に感じてきたからでしょうね。それについてしっかり考えたのは鬱になってからでしたけど。あらためて自己紹介になりますが、僕はビジネス書をつくってきた編集者ですし、経済メディアで働いてたこともあるんで、バリバリ経済の世界で生きてきたんですよ。そのなかで、自分にとっては違和感のあった「経済合理性」っちゅうもんを追わなあかんと同時に、その「経済合理性こそ命」というルールに乗り切れないところがあった。この2つの気持ちが引き裂かれてしまって鬱になったと言えなくもなさそうやねんな。やからこそ、「経済の究極的な目標って経済合理性なんやっけ?」っていうことについて考えたくなったんです。で、そしたら、僕より先にはるかに深く考えてた人がいた。彼らの書いてたものを読んでみたら、なんや、全然「合理性」ってひとつやないやん、って気づいたんです。やから今日はその気づきを共有したいんです。あのときはほんまに感動したからなあ。まあ小学生が「聞いて聞いて!」って目を輝かせて言っとるわ、みたいな感じで、つまらんかもしれんけど、聞いてみてください。合理的な答えって人の数だけ、何十億もあるんよ。ちょっとね、眠たく聞こえたらごめんやねんけど、マックス・ウェーバーって人の考えを紹介したい。まず。あの、あれね、『プロテスタンティズムの倫理と精神』っていう通称「プロ倫」って呼ばれる本を書いた社会学者の人ね。このウェーバーさんが言うには、合理性は二つあるんやと。一つが目的合理性。単語は全然覚えんでいいですよ。この目的合理性っちゅうんは、だいたいみんなが考える合理性と一緒やね。「いかに目的に対して手段が合理的か」「効率よく目的を達成できるか」を突き詰める考え方。待ち合わせの場所にいくのにどの電車でどう乗り換えたら早くいけるか、みたいな、わかりやすいやつね。一方で、価値合理性っていうもんがある、ってこの人は言ってるんよ。この価値合理性は、ある価値観や信念に沿っとるかどうかを大事にする考え方。たとえば・・・経済を例に考えましょか。経済で言えば、企業価値を最大化することが大事やないんちゃうか?おれは「働いている人が安心感を持って働いてもらうこと」こそがいちばん大事やと思うんやっていう信念や価値観だってありうると思いません?そしたら、経営とか人事のスタイルも変わってくるやないですか。株主にお金を還元するためには、がんがん人を減らして、業績へのプレッシャーを社員にかけていくことが合理的やけど、もし「安心感を持って働いてもらう」ことが目的やったら、その人の居場所をどうつくるか、みたいなことを大事にした全然別の組織ができると思うんよね。ウェーバーさんがこの目的合理性と価値合理性の違いで言いたいんはこういうことです。ここ大事。「合理的っていうけど、それってベースに絶対価値観や信念を含んでるよね」と。「やから、客観的にはなりきれへんで」ってことやと。合ってるかわからんけど僕はそういうメッセージとして受け取ったんよね。「企業価値を最大化すべし」っていうのも一つの信念であり価値観にすぎへんやないですか。「従業員の安心感を最大化すべし」っていうのが信念であり価値観であるのと同じように。僕たちはあらゆる「合理的」っていう言葉に、「その合理性はどんな価値観や信念に対しての合理性なん?」って問い直すことができるんですよね。これは僕にはすごい発見でした。すごない?これって突き詰めたら人には価値観ごとに一人ひとつの合理性があるってことやから。何十億もの合理性があるんやから。はてさて。もう一人、僕が紹介したい人に渡邉雅子さんっていう社会学者がいて、この人は『論理的思考の文化的基盤』っていう名著を書いてはんねんな。なんかゴロがええよな〜!「論理的思考の文化的基盤」。この本は、何が合理的かっちゅうんは国の文化によって異なるよって本。これね〜、だいたいこういう文化に関する話って、国民性みたいな曖昧な原因を持ち出すことが多いんよ。「日本人あるある」「アメリカ人あるある」みたいな話に落ち着いてしまう。でも渡邉さんの何がすごいかって、そういう「あるある」を超えるために、教科書や小論文のテストっていう具体的で、目に見える素材を使って、4つの国ごとにいかに「何が合理的か」が違うんかってことを炙り出したところなんよな。4つの国っていうのはアメリカ、フランス、日本、イラン。アメリカがいちばんわかりやすくて、彼女はアメリカの合理性を「経済原理」と呼びます。まさにここまで話してきた、経済合理性な。いかに効率よく目的を達成するか。じゃあ、日本における合理性は何か。彼女はそれを「社会原理」と呼びました。いかに他者に共感し、場の空気を読むことができるかをいちばんの価値にして「何が合理的か」が決まってるんが日本やと。日本の国語のテストって、とにかく心情、つまり気持ちの読み解きがめっちゃ多くて、22%もあるんやって。国際的に比較して、日本だけらしいですよ。こんな人の気持ちの読み解きばっかり考えてるんは。残りの2つはさらっといくけど、フランスは「政治原理」っていってとにかく議論をすること。議論をしまくって公共、つまりみんなにとってよりよい答えを追求する姿勢自体が価値あるものとされる。イランは、フランスみたいに議論するのとは対極的やね。イスラム教によって正解がひとつに最初から決まっとるから、いかにそれに合う説明ができるかが大事。神が授けたたったひとつの正解に自分の意見をひもづけられれば、合理的とみなされるし、ひもづけられへんかったら合理的ではない。要は合理的かどうかの判断基準は、国によってめちゃくちゃバラバラなんよ。僕がこの本を読んで思ったのはこうです。まず、国によって何が合理的かはそもそも違うと。でも、今は経済の論理が社会全体を覆い尽くしとるから、経済合理性だけが合理性になっとる。日本は、アメリカ的な経済合理性が一気に社会を覆い尽くしたけど、実際は「空気を読むことこそが合理的」っていう文化で、しかもそれは昔話でもなくて、今日も引き継がれとる。渡邉さんが研究対象にしてるんは今、僕らの子供が使ってる国語の教科書とかテストやからね。アメリカ的経済的合理性と日本的空気の合理性のあいだで引き裂かれたんがかつての自分やって、僕はそう思った。いやー、この分析はほんまにおもろいからぜひ読んでみてほしいな。『論理的思考の文化的基盤』はけっこう分厚いし学術書っぽいむずい書き方してんねんけど、渡邉さんは似た内容を『論理的思考とは何か』っていう新書にもまとめてるから、そっちのほうが読みやすいかもしらん。『論理的思考とは何か』ね。けっきょく今日伝えたかったんは、何が合理的か、ってことは何を価値観として信じるか?によって変わるんやで、人によって一人ひとり違うんやでってことでした。だから「これが合理的です」って人を黙らせるタイプの人には言いたい。「それってあなたの価値観ですよね?」って。いったん合理性は人によって異なるってことに気づいたら、自分の人生についても考えるよね。あなたの人生はどんな価値観と信念を大事にしてる?どんな価値観と信念に基づいて、合理的かどうかを決めてる?そんなことを考えてもらえたら嬉しいなって思いました。それでは、今日のままならジオはここまで。質問・感想、フォームから大募集してます。ぜひあなた

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    ごきげんでいる方法|ままならジオ(ままなラジオ)#14

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)人生、ごきげんがいちばん。でも、ごきげんでいるっちゅうんは、意外と難しいんよなー。今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。今日は「ごきげん」について話したいと思います。僕、『弱さ考』に「これからは強くて優秀じゃなくて弱くてごきげんだ!」って書いたらめっちゃ反響が大きかったんですよ。「井上さんめっちゃいいですね!」みたいなでも、実はちょっと申し訳なかった。あんまりごきげんについて深く考えてなかったから笑。なんかごめん、と。せやから、考えたで!待たせたな!って感じです。まず、僕がなんで「ごきげん」なんが大事かと思ったかというと、これは恩師の教えなんですよね。僕が新卒で入社した会社の会長が、もうものすごくいつもごきげん、ごきげんっていうのよ。まあ、でも20代前半のおれは思ってたよね。「この人は何を言っとるんや」と。まったくわかってなかった。きげんなんてどうでもええやろ、と。その会長はね、「みんな不機嫌であることによって、何かをゲットしてるんだ」っていうふうに言うんですよ。たとえば「自分はすごく賢いんだ」って見せつけるために、もったいつけて気難しくふきげんそうな顔をしてるってね。でも、たしかに、あるよね。そういうの。不機嫌で人を動かす人っているやん?どんな職場にも。周りの人が、「あの人の機嫌がいいかどうか?」を常に気にしなくちゃいけなくて、「この人の機嫌が悪くならないように振る舞おう」みたいなことを思っちゃう人。その時点でその人は自分の不機嫌によって他人の配慮を引き出して、ゲットしてるわけで、不機嫌を 1つの戦略にしとるわけですよ。まあ赤ちゃんはね?しょうがないよ。不機嫌になったらすぐ泣いて、周りの大人は、あわわわーって振り回される。まあ、でも大人になったらさ、自分の機嫌ぐらい自分で取ろうぜと思いますね。今振り返れば、当時はその恩師の言うことも「なるほどねー」くらいにしか思ってなかった。20代前半やったからね。でもその後ちょっとずつ社会人経験を積んでいくにつれて、あ、やっぱご機嫌って大事なんやって感じることが増えてきたわけよ。僕、ビジネス書の編集を長くやってきたんですけど、だいたいどの本にも書いてある警告みたいなんがあるんよ。「それはスキルで人をとるな」っていうやつ。「即戦力だ!」っていう理由で採用すると痛い目見るぞって。組織が崩壊するぞって。僕なりの言葉でいうとね、それは、その人が何をできるか、だけじゃなくて、その人が周囲の人にどういう影響を与えるかをみろってことやと思うんですよ。僕はそれを触媒的能力って呼んでるんですけど。触媒って、あのーあれ、科学かなんかの授業でならいませんでした?自分自身は変化しないが周りを変化させる物質のこと。たとえば、小麦粉だけではパンにならないでしょ?小麦粉にイースト菌が加わると、ぷくーって膨らんでパンになるんよ。でも、イースト菌自体はただそこにいるだけなんよ。触媒ってそういう、ただそこにあるだけで周りに変化を起こさせる物質のことね。人でもいるやん? 自分が高い成果を残すためには人をとことん利用してやろう、っていう人。利用価値がある人にはちゃんとするけど、利用価値がないと判断した人にはめっちゃ冷たい人。あと他人の手柄を平気で横取りするとか。こういう人がいるとチームが崩壊するやんね。逆に、仕事がすげえ優秀っていうわけちゃうねんけど、あの人がいるとなんかいいよね!って人もいるやん?なんか雰囲気が明るくなるよね、とか。それがつまりごきげんやと思うんですけど。そういう人こそ組織にとってすごく大事やっていうのは、10 年ぐらい働いたらなんとなくわかってくる。でもその恩師は言ってたのよ。ごきげんでいることの難しさも。っていうのも、ごきげんでいたら、人間ってアホっぽく見えんのよ!「あの人ってさ、悩みなさそうだね〜」みたいな。逆に不機嫌でいたら最初に言ったみたいに少し賢そうに見えたりするのよね。ごきげんでいるには、勇気がいる。でも、勇気を発揮してごきげんでいることができれば、不機嫌で人を動かすんじゃなくて、ごきげんで人を活かす人、活性化させる人になれる。恩師にね、謝りたいですね〜。「あんときなんもわかってなくてごめんなさい」って。でもね、最近僕もちょっとずつごきげんになれてる気がするんよ!それは、実は鬱の体験からきてましてね。人間って全然立派な生き物やないんやなって自覚できたことで、僕はごきげんな人間にちょっとなれたんですよ!どういうことか。説明しよう!ちょっとごきげんに言ってみました。ネタが古いな。僕、鬱んときはとにかくエネルギーが枯れてたの。ほんで、タイミングが悪いことにそんとき子どもがイヤイヤ期やったわけよ。3歳くらいやったかな?とにかく理不尽なまでに泣くわけ。こっちが泣きたいわってくらいに。世の中のお父さんお母さんは立派やから、それでも淡々と育児をこなすわけやけど、僕はもうあまりにエネルギーが枯渇しすぎてて、キレたんよね。3歳の子どもに。だぁまれ〜〜〜〜〜!!!!!うるさーーーーーーい!!!みたいに。エネルギーが枯れてたらキレられへんやろって思うかもやけど、そうやなくて、エネルギーが枯れてると、理性によるブレーキみたいなんがぶっ壊れんのよね。いやあ、ほんまもうクソみたいな人間やったね。あんときに自分の「立派な人間でいたい」みたいな思い上がりが一個ガラガラで音を立てて崩れたんですよ。ほんで二つ目。これも鬱のどん底のとき、僕は自分のことを惨めやって思ったんですよね。あまりにもできることがなくて。で、「惨め」やと思ったっていうのが実はすごく大事で。これ、惨めじゃなくて「苦しい」とか「悲しい」でも良かったはずなんよ。でも僕はまぎれもなく惨めって感じたんよね。惨めっていうのはすごく人と比べる言葉やなあと思うんよね。周りの人はあんなに頑張って活躍してるのに、とか。当時もめっちゃ人と比べてた。逆に誰もいない無人島で惨めになるのってまあ難しいと思うのね。惨めっていうのは、なんちゅうか、基準となる点があって、そこからの比較で生まれてくる感情な気がすんのよ。で、そんとき自分を惨めにさせてたのは、過去の自分やったんよね。過去のバリバリ仕事してた頃の自分が、見下してきおんのよ、俺のこと。お前は何もできねえやつになったなあ、みたいに罵ってくるわけ。ほんで気づいたんよね。おれはめちゃくちゃ人のことを能力でジャッジしてるなって。能力=人の価値くらいに思ってるやんって。それがもうショックで。自分はもうちょっとましな人間やと思ってたぞと。この2つで決定的にわかったんよね。自分がいかに立派な人間でないか。これからも立派な人間になれる日なんてこんということが。もう一個思ったんが、これ、おれだけやなくて余裕がなくなったらどんな人もたいがい愚かな人間になってまうんちゃうのってこと。それから、いままでの自分やったら「なんて愚かな人や」って思うようなシーンに立ち会っても「ああ、あの人はいま余裕がないんやなあ」と思うようになった。自分の底の浅さ、醜さみたいなのと直面したのがすごいよかったんよね。あれ、おれ、ダサすぎひん?っていう。もう笑ってまうしかないなと。そっからね。ごきげんになったのよ。いや、もう半分ごきげんっていうテーマ忘れかけてたけど。戻ってきました。なんでかと言うと、「自分は立派な人間になれるんだ」って思ってたら、そこに到達できひんかったとき、自分を責めてまうやん? 到達できひん人をみたら見下すような人間になってまうわけやん?それはごきげんではないよね。でも今の自分は、余裕を失ったらみんな愚かやで、化けの皮一枚やでって思うわけ。もはや立派になろうともしてないっちゅうか。そうなると自分で自分を責めることもないし、相手にアホやって思われても人間追い詰められたらみんなアホになんねんでって思ってればきげんよくいられんのよな。回りの人にもごきげんにやさしくいられる。ああ、あなたは今余裕がないだけなんよね、って思ってられる。ふきげんな人にも振り回されんくなる。自分も周りもみんな一皮剥いたらアホやねんって思ってたら、だいたいのことがどうでもよくなんねんな。ふきげんな人がいたら距離をおいて、きげんのいい人と一緒にいようって思う。恩師がよく言ってたんよ。「ごきげんでいることがいちばんの貢献だ」って。自分なりの言葉でいうと、「触媒的能力」が高い

  4. 24

    人生は「したくもないゲーム」でできている|ままならジオ(ままなラジオ)#13

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)人生がままならないのは、したくもないゲームをプレーさせられ続けとるからや。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。はい。今日は、人生を「ゲーム」という言葉で捉えると少し見え方がおもろくなるでって話をします。今考えたら、この「ゲーム」の話って、弱さ考関連のイベントでいちばんよく喋ってるかもしれん。やから、ほんまは本のなかにちゃんと書いておいたほうがよかったんやろなあって思った。なんで今日、話します。まず、ゲームって、それぞれにルールがあって、どういうプレーをすると反則かっていうのが決まってるんですよね。どういうプレーをすると高得点か、を人はいつも意識して行動しとる。ほんで、人生はいろんなゲームでできてると思うんですよね。たとえば、1人の人間としてこの命を生きるということ自体が、世界をフィールドとした一つのゲームやし、子どもの時は学校というフィールドでゲームをしてました。社会に出たら、職場というフィールドでビジネスパーソンというプレーヤーになってゲームをせんとあきませんよね、多くの場合。ゲームという言葉にこめた意味は大きく2つあって、1つは先ほどの「ルールがある」「いいプレーと悪いプレーがあって人間は無意識にそのゲームのなかでいいポイントをゲットしようとして動いてしまう」という話。このルールというのが、ゲームごとに違うのがやっかいなんですよね。たとえば、大体どの小学校にも「冬半袖半ズボンで過ごすプレー」をしている男の子が1人はいるんですが、あれは「男の子ゲーム」のなかではいいプレーなんですよね。いや、価値観によりますけど笑。女の子が張り合って「じゃあ私も半袖で」ってならないのがミソなんですよ。つまり、何が言いたいかっていうと、「女の子のゲーム」では半袖半ズボンは「いいプレー」とはみなされないんですね。女の子のゲームには、また違ったファインプレーがある。この「男らしさのゲーム」と「女らしさのゲーム」は根が深くて、語りたいことが1時間以上あるんでまたどっかで言います。ゲームという言葉にこめたもう1つの意味は、「望んでもないのに投げ込まれる」っちゅう、その受け身さです。まず、いちばん根本的なゲームである「生きる」についても、僕たちは「生まれたい」なんて選んでないですよね。僕は生物学的に男性ですけど、「男性がいい」なんて選んでないんですよ。あと、大人になったら就活をしたり、資本主義社会のなかで仕事ができる人を目指すっていうゲームも、そんなにみんな選んでないんですよ。僕たちは気づいたらいろんなゲームにプレーヤーとしてほりこまれてしまっとる。ゲームはいつも勝手に始まって、それでいて、そこから抜け出すのはめっちゃ難しい。しかも、悲しいことに一回ゲームが始まると人は「なんでこんなルールに従わなきゃいけないんだっけ?」みたいなことを考えんのを忘れて、ゲームに没頭してしまう習性があるんです。鬱になるまでばりばりハードに働いていた僕なんかまさにそうですね。まとめてみましょっか。ゲームには2つの性質があって、ひとつはゲームごとに違うルールがあって、どんなプレーがよしとされるのかも違うよっちゅうこと。もう1つは、ゲームには「望んでもないのに投げ込まれる」ということ。そして一度投げ込まれると、いいプレーをしようとがんばってしまうこと。なんでこんなルールがあるんだっけ?という問い直しができなくなってしまう。僕は『弱さ考』という本を書いたんやけど、男性より女性の方からの反響のほうが大きかったのよね。それは、「女性のゲーム」と「ビジネスのゲーム」のルールが全然違うからだと感じました。反対に「男性のゲーム」は「ビジネスのゲーム」とルールが近い。ざっくりいうとどっちも競争的やからあまりギャップを感じずにすむんかなと。いや、当然やけど、個人差は大きくありますよ?あなたはどんなゲームに投げ込まれてますか?どんなプレーをいいプレー、どんなプレーを反則だと考えてますか?どんなルールを、「そのルールっておかしくない」って言えずにいますか?それらの総体が、複雑さが、現代の「ままならなさ」に強くつながっている気がします。ちなみにこのゲームごとにルールが違うっていう考えは、哲学者のウィトゲンシュタインが言い出した「言語ゲーム」っていう言葉からインスピレーションを得ています。ゲームは気づいたら投げ込まれているものだ、っていうのは哲学者のハイデガーって人が考えていたことでもあります。いや、知識をひけらかしたいわけではないんやけど、先人の知恵を自分のもんみたいに言うのもちょっといややねんな。「ままならジオ」でもし僕が人々に「へえ、そんな視点もあるんか!」と思ってもらえていたとしたら、それはだいたい先人の知恵のたまものですね。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。あなたはどんなゲームに投げ込まれてますか?どんなプレーをいいプレー、どんなプレーを反則だと考えてますか?についての自分なりの答え、投げ込んでみてほしいですね。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  5. 23

    脳から言葉を引っこ抜く|ままならジオ(ままなラジオ)#12

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)言語はすごい。言葉はすごいで?でもたまには脳から言葉を引っこ抜いてみんと、大事なもん忘れてしまうで?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。今日は言葉を抜いて、身体で感じるっていうことについて話してみたいと思います。言葉を自分の意識から抜き去ることの大事さみたいなことかな。これ、問題意識は#7で話した言語化を万能しすぎることの違和感っていうのとつながってんねんなー。つながってんのよ。何に対しての違和感かっていうと、世の中のあらゆるもんは言語化できるっていう、その前提ですかねー。言語化万能時代というか。でも僕は、世の中の大半の価値は数字にも文字にもできないっていうことを強く思ってんのよね。ここは以前も話した、僕が『シン・ニホン』の編集を担当させてもらった安宅さんの文章をあらためて引用させてもらおっかな。ロジカルシンキングの鬼とも言える安宅さんが書いた、とても文学的な一節です。さて、引用です。知覚って言葉が出てくるけど、安宅さんは知覚こそ知性だって主張してるんで、知性って置き換えてくれていいです。いきまっせ。「知覚を鍛えるために必要なもう1つのマインドセットは、言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れることだ」「世の中の大半は数字にも言葉にもなっていない」「自分では数値化・言語化できていない部分にほとんどの情報があると受け入れられない人は、知覚できることも限定的になってしまう」はい。引用終わり。言葉にできへんものに大事なものは宿るっていうね。まあでも、あらゆることを全肯定もせず全否定もしないっていうのが僕の思考のスタイルというか文体なんで。まずは言語のすごさってものについても話してみよかな。人間のすごさってなんやと思います?なんで人間だけがこの地球をほぼ支配するような状況になってるんやと思います?僕なりの考えでは、一言で言ってしまうと、ありえないぐらいの規模のでかさで社会を形成できることです。人間ってばかでかい規模の社会をつくれるから、集団的知性っていうものを発揮できるんですよ。一人の知性ではなく、集団規模での知性がすごい。この「集団的知性」っていう言葉についてはちょっと説明がいるかな〜って思います。基本的に、集団が大きいと、社会は技術的に発展していくんですよ。マット・リドレーの『繁栄』っていう本におもろい例があるんですけど。タスマニアってあるやん?あのオーストラリアの横にちょびって浮かんでるところ。あそこって昔はオーストラリア大陸と繋がってたんやって。でも海面があがって約1万年前にあそこだけ切り離されてもうた。そしたら社会の人数が一気に数千人にまで減ったと。そしたら、それまで持っていた、釣り針や槍みたいなテクノロジーが数百年かけて失われて衰退していったらしいんよ。理由は2つで、一つは、技術を次世代に伝えようとしても担い手の絶対数が少なすぎて、誰かが死ぬと技術ごと消えてもうたこと。もう一つは、集団が小さいと分業が成立せえへんから、専門化が起きひんっちゅうこと。集団が小さいと分業が成立せえへんっていうのはあれやな、数千人の集団やと「左利き専門店」みたいなんって成り立たへんやん?まあこれはわかりやすい例のひとつで、さっき言った「なんで人間がここまで地球で支配者みたいな顔してられんの?」っていう問いの答えは、やっぱりでかい規模の社会を築けたからなんよ。他の動物は、せいぜい数十頭くらいしか群れの数を増やせへん。あんま社会がでかくなると維持できんくなって分裂すんねんな。人間はすごい。社会がでかいからすごい。っていうのをまず頭の片隅に置いといてもらえたら、と思います。また話変わるけど、宗教っていうのも人間がばかでかい社会をつくる上での一つのテクノロジーなんよな。まったく顔を合わせたこともない人が一体になれるってすごいことやん?宗教が人間を束ねるためのツールやったっていうのは、ロビン・ダンバーっていう人が『宗教の起源』っていう本のなかで主張してることです。で、言葉。言葉も人間が大規模な社会をつくるために欠かせないテクノロジーなんよね。言葉っていうものがあるから全然知らん人ともコミュニケーションが取れる。本なんか、なんと昔の人との対話も可能にしちゃったりする。まさにそうやって、「集団的知性」が蓄積していくんよね。やから何度強調しても強調したりひんのは、言語ってやっぱすごいなちゅうことよね。言葉こそが人類の暮らしを支える屋台骨になってきたってことよね。僕は「言語化万能論」とかを批判してきたし、「説明過剰社会」みたいなのも批判してきたけど、根底には言語すげえ!っていう感動に近い思いがあるんよ。言語によって人間は栄えた。やけど、いまの時代は言語に頼りすぎてバランスがちょっと偏りすぎよっていうんが僕が言いたいこと。世の中には言語化できる情報と言語化できない情報があるのよね。非言語の世界っていうんは、いわゆるあれよ、五感の話よ。さっきも散歩してたんやけど、ああ、風が気持ちええなあ、太陽ぽかぽかするとなんでこんな心地良いんやろうなーっていう。人間って突き詰めると心地よく気持ちよく生きることだけを求めてるんやなって思う。でも、ここで大事なのは、言葉ってときに人間の不快感を覆い隠してしまうとも思っていて。いや、僕『弱さ考』って本を書いたんやけど、読者からよく「私は今こんな状況で迷ってます、どうしたらいいですか?」って聞かれるんよ。転職すべきかどうか?会社休むべきかどうか?みたいなね。で、そんときにいつも言うのが、言葉を抜いてみたら?ってことなんですよ。どういうことかって言うと、さっき言った言葉が人間の不快感、「心地よくない感じ」を覆い隠してまう、ってところをもうちょっと説明しよか。ミッション・ビジョン・バリューとかってあるやん?あ、ここでつながった!「ミッション」って使命っていう意味の、バリバリの宗教用語やからね。今の時代、宗教って言うとオカルトみたいに思われるけど、形を変えてビジネスの世界でもバリバリ生きとるんよ。それも結局、顔を合わせたことがない人がたくさんいるくらいでかい社会を束ねる、っていう役割は変わってへん。かつて宗教が果たしていた役割が、いまの会社で言えばミッションとか、ビジョンとかバリューよね。で、よくあるんが、自分は感覚的に言えば今あんまり心地よくないんやが、ミッション・ビジョン・バリューにはすごい共感してるんです、みたいな状況。会社に勤めてるとあると思うんよね。そういう時に、言葉が「心地よくない感じ」を覆い隠してしまったりする。なんかさ、「僕は自分が心地いいか考えて、心地よければつづけるし、心地よくなければやめます」みたいな行動基準の人がいたら、この時代やとすごく今アホっぽく聞こえるでしょ?言語化優位な世の中になってくると、五感的なもの、感覚的なものってすごく地位の低いものになっちゃうのよね。でも、実際にはそこがめっちゃ大事なわけで。究極的には心地よさのために生きてるわけ、人間は。だから本当に大事なことについて迷ってるんやったら、AとBの選択肢それぞれを選んだ先を想像して、心地いいのか心地よくないのか?を感じる練習をしてみたらいいと思うねんな。で、それをするには、一回脳の中から言葉に出て行ってもらう必要があって。言葉が飛び交っているうちは、本当に大切な心地よさをきちんと感じ取れへんことも多いんよ。やから言いたいことをまとめるとこんな感じかな。言葉はすごい。それは人間のすごさの根底にある。でも現代は、バランスの問題として、言語が偉くなりすぎてる。その結果として、五感的なもの、もっとプリミティブな気持ちよさ、心地よさ、っていうものが価値下げされてしまっとる、と。でも後者の心地よさとかってすごく大事なんやから、ときには、意図的に思いっきり言語を抜いて、迷ったら言語抜きで、気持ちいいか気持ちよくないか、心地いいか心地よくないかでもっといろんなことを判断していっていいんやと。なんかそういうことを言いたくなるんですよ。思えば、僕はもっと人間の中の、動物としての土台をもっと大事にしようや、あくまで人間って動物の一種やねんでって、そんなことばっかを繰り返し伝えようとしとる気がしますね。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  6. 22

    説明過剰社会|ままならジオ(ままなラジオ)#011

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)なんかさあ、人間そんなちゃんとした理由があって動いてるわけちゃうって。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。僕、『弱さ考』という本を出してから、取材を受ける機会が増えたんですね。ありがたいことなんやけど、たまに困ってまう質問があるんですよ。「なぜ、鬱になるまでハードに働いてしまったのですか?」「なぜ、問い読を立ち上げたんですか?」とかね。あ、問い読というのは、僕がパートナーと共同創業したオンライン読書プログラムの会社です。めっちゃおもろいんでよかったらぜひ。この「なぜ、●●したのか?」系の質問は、その背景に「●●という行動をしたからには、明確な理由があるはずだ」っていう前提があるんですよね。もっと言えば、「人間は自分の意志で行動を選びとっているはずだ」っていう、意志とか意識への強い信念ちゅうか信仰みたいなもんを感じるんです。信じすぎとる。やから、「なぜ●●か?」みたいな質問を受けると「人間そんなわかりやすい理由で動いてるんとちゃうんやけどなあ」って心のなかでいつも思てます。就活とかもそうでしょ?「なぜ弊社を志望したのですか?」「それはですね〜、こうこうこうなのです、キリッ!」みたいな。あれはね、「それらしいことをあたかも本当のように言えるか?」のテストをしとるっていう部分もあるわけです。そんな全部のことに理由なんかないよ。御社のために大学4年間すごしてへんよ。就活なんかはその茶番っぷりがよくわかりますけど、僕は、僕らも現代の世の中のなかで似たようなことをしてるから、全然就活を笑えへんと思うんですよ。あまりにも行動には明確な理由があるものだという前提に縛られすぎているような気がしてるんですよね。僕、前、イベントに出て喋る機会をいただいたんですよ。京都の未来を、東京という場所で考える、みたいなテーマの。そんときに「東京『的』なものとは何か」っていうことを考えて、けっこう自分なりに発見があったんですよね。それが今日の説明過剰社会とつながってるんで、ちょっと話しますね。東京って、すべてにおいて目的ありきで設計されてるんですよね。たとえば、公園をつくるにも、「街に余白を持たせる」とかそういう目的の説明をして全部がつくられてる。でも、本当におもろいもんって、目的を持って設計できひん、っちゅうんが僕の感じてることなんですよね。そのときに一緒に登壇した長島さんって人がめっちゃおもろい人でね。ローランド・ベルガーっていうヨーロッパ系コンサルティングファームの共同代表にまでなった、肩書きだけみるとつよつよな人なんですけど、めちゃくちゃチャーミングなおじさまやったんですよ。なんかね、京都の三十三間堂ってお寺があるんですけど、その裏にね、ある自動車整備屋さんみたいなんがあったんですって。自動車の修理はお任せください、みたいなお店。そこをね、買ったんですって。しかもただ買うだけじゃなくて、なんか事業をそのまま継承するんだ!とか言って。だから、その古ーい建物が今もそのままあるんですよ。で、話を聞くと、なんか学生とかいろんな人が働いたり遊んだりできるようなよくわからんスペースを作ると。よくわからんことが許容されるスペースを作るみたいなことを言っていて。長島さんがおもろいのは、ほんまに自分がおもろいと思うことをやっていて、自分でもなんか説明がついてないところなんですね。そういう人ってめっちゃチャーミング。自分の行動の理由を一から十まで説明できる人より、自分でも説明できへんけどおもろいからやってる人のほうがよっぽどチャーミングです。で、二人で対談してたんですけど、そこから最近の渋谷という街に対するぼやきみたいな話でめっちゃ盛り上がったんですよ。渋谷って今でこそオフィスビルの街ですけど、もともとは怪しい若者の街やったやないですか。猥雑なものが猥雑なまま存在することが許されていたっちゅうか。わけのわからん店がいっぱいあった。今は、とくに中心部はもうツルツルのオフィスビルばっかりになってまいましたよね。最初はわけのわからなさが許容されてても、嗅覚鋭いビジネスパーソンがやってきて、きちんと目的を持った設計物をぽこぽこぽこぽこ立ててって、名も無き若者の居場所はなくなるわけです。渋谷に限らず、どの街も必ずそうなる。しかも、オフィスビルを増やす目的の部分では「クリエイティブ」とか「イノベーション」とかいう言葉が飛び交ってるんですよ? でも全然クリエイティブとかイノベーティブでもない。それは、やっぱ街全体が目的に埋め尽くされてしまって、その目的から外れるものはおられへん構造になってもうたからやろうね。この「目的をセットした瞬間、陳腐になる」って、街だけじゃなくて、新規事業とか全てに言えるような気がして。説明不可能でわけのわからんもんみたいなものの存在を許容しなくなると、かえっておもろいもんが生まれづらくなるでしょう? クリエイティブとかイノベーションってようはおもろいもんつくるってことやのに。それに「説明」から入ると、もうその瞬間からおもろなくなるんですよ。別に僕はイノベーションに興味がある人間ではないんやが、説明のつくもので溢れてる社会、「何か行動をするときにはきちんと説明ができなあかん!」っていう前提の社会はおもんないし、息苦しいし、窮屈やと思うねんな。「なぜ●●したのですか?」とか、「このプロジェクトの目的は〜」とか「説明できて当然」の世界観になってきてる。いや、みんなもっと「なんとなく」生きてるって。「なんとなく」って言葉が適当すぎるなら、説明不可能な欲求とか直感とかを大事にして生きとんねん。問い読やって、究極、つくった目的なんかないんですよ。ちょいムズ本を、仲間と、問いを立てながら、ひいひい言いながら読み切る。試しにやってみたら、その途中の対話や人の心の動きが学びのあり方があまりにおもろいから会社にしましょうってなっただけで。いや、今日の文脈でいえばこれも目的を設けずにやったから生まれたイノベーションなんですよ。問い読には社会的なビジョンもないです。立てんでもいい問いを立てたり、考えんでもいいことを考えたり、人と対話的にコミュニケーションを取れる人が増えたり、あんまり読まれてへんけど読まれたらめっちゃおもろい本が読まれたり、そういうちょっとした泡がぽこぽこぽこぽこできたらきっとおもろなるぞ、っていう、ただそれだけ。でも崇高なビジョンが、目的ありきで社会を変えていくって人間の歴史を振り返っても幻想やから。世界を変えるようなものってだいたい偶然か遊びみたいなもんから始まるからね。あんま計画されてへん。このあたりはマット・リドレーの『人類とイノベーション』っていう本が詳しく書いてます。いつだって社会を変えていくのは、小さな泡のぽこぽこなんですよ。説明がつかないけどおもろいことをやっている。ここは最高の遊び場や。そういう感覚で働けてることは、今、めっちゃ誇りに思ってますね。いろいろ言ったけど、世の中があまりにも「行動には理由があり、それは説明可能である」ってなっちゃってるんがちょっと息苦しかったんで、説明過剰社会っていうテーマで話してみました。すべてが目的に従属させられてしまったらおもろないんよな。ほんまにおもろいものは、大事なものは、説明ができへん領域に潜んどる。説明できないということは一種の豊かさである。そういうことを主張してみたいですね。説明過剰社会って、つまりはビジネスの論理が全部に染み込んでしまった社会ですから。いかに「説明」から逃れるかを考えることのほうが楽しく生きるコツちゃうか?って思いますね。いつだって深く息をしたいですよね。ままならジオ始めたんかって、そんなん究極やりたいからやってるだけですよ。理由なんて野暮なこときかんといて、ってなもんで。あ、最後に。このままならジオ、概要欄にフォームがあって質問大募集中です!僕が主催している、オンライン読書プログラム「問い読」の詳細も一緒に置いときますね。うまく説明できへんけど、最高の遊び場なんですよ。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  7. 21

    「AIは人間を暇にする」という嘘|ままならジオ(ままなラジオ)#10

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)AIで人間が暇になるなんて真っ赤な大嘘やんね。 今日はそんなお話です。ままならジオ。 『弱さ考』著者の井上慎平が、 人生の"ままならなさ"を、 焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。 もたもたと、割り切れないまま。 割り切らないまま。最近ね、よく「AIによって人間が暇になるんやー」っていう議論があるやないですか。 人間が暇になって、哲学的なことをたくさん考えるんやないかとか。あれ、「絶対嘘やん」って僕は思ってて。AIは人を暇にはしーへん。 というか、ただでさえ悲鳴をあげている脳が さらに働かされることになるのになあ、と思って、 このAI、AIの大騒ぎをはたから眺めとります。僕がAIが脳を暇にしないと思うには2つの理由がありまして。 ひとつは、「労働密度」の問題ですね。 うん、「労働密度」って聞いたことないですよね? あるっていう人は嘘つきですね。 僕が勝手につくった言葉ですからね。 労働にはね、密度があるんすよ。「昔、24時間戦えますか」っていうエナジードリンクのCMがあったやないですか。 あの高度経済成長期のころって、 労働の「密度」は実は低かったと思うんですよね。 たとえば、電車で先方に書類を渡しに行ったりする時間とかあったやないですか。 そういう実質働いてない時間とかあったし、 スマホもなかったから、会社を出たらしばらく だれとも連絡をとらんでいい時間があったりした。もちろん、当時の人が現代の僕らよりがんばってなかったって言いたいわけではないですよ? 単純に、人を密度高く働かせるテクノロジーがなかったっちゅうだけで。時間を一気に現代まで飛ばしますけど、 スマホが登場して、ちょっと前にZoomとかSlackとかが出てきたでしょ?ちょっと前まではSlackやなくてメールやったんですよね。 んで、メールやと、社内の人とやり取りするにしても 1日2、3回がまぁ限界やないですか。 それがSlackやと20、30回もいけちゃうでしょ? Zoomも、移動時間がなくなって暇ができるって言われてやないですか。 でも、実際コロナ禍のときなんか、 家にいるのにトイレにいく暇もないくらいミーティングが詰め込まれたりしてね。 どこが暇やねんっていう。テクノロジーは、確かに時間を、暇を作り出すんですよ。 でも、僕たちはその空いた時間で休憩するんやなくて 「さらに仕事する」っていう行為で埋めてまうんですね。 なんかすげえ悲しい生き物に思えてきたな。ハルトムート・ローザっていう人が『加速する社会』っていう本を書いてて、 そのなかで 「テクノロジーはなぜ時間を作るのに、我々は忙しくなる一方なのか?」 っていう問いに対して、 「人間は増えた時間以上に活動の量を増やしてしまうから」 って答えてます。 めっちゃ長い本なんで原著は読まんでいいと思うんですけど。人間は歴史上、ずっと時間を余らせるためのテクノロジーをつくりながら、 もっと忙しくなるっていう矛盾を繰り返してきたんよねー。AIが脳を暇にしないと思うもうひとつの理由は「競争」ですね。今の世の中、どの会社が自社のライバルになるかなんてわからんやないですか。 見えない敵と競争している以上は、 つねに敵がこの瞬間も自分たちより努力している可能性があるわけで。 やから暇になったからって社員に「15時に帰っていいよ」っていう会社なんか 基本的にはないんですよ。 基本的に新しい仕事が増えるだけなんよね。 人間はどこまでも無駄な仕事を増やす生き物なんでね。 このあたりは『ブルシット・ジョブ』のデヴィッド・グレーバーなんかが ずっと言ってることですけど。もう一回、働く人の人生に話を戻しますけど、 このテクノロジーの発展がどういうふうに影響するかというと、 一言でいうと労働密度がめっちゃ上がってミチミチの状態になんのよね。 密度の低い仕事がなくなって、 密度の高い仕事ばっかりになってまうんよ。今は労働密度の低い仕事から全部AIがやってくれるわけです。 経費精算とか。 僕、前は経費精算とかめちゃくちゃ嫌いやったんですね。 単調で、退屈で。 でも最近思いますもんね。 経費精算恋しいなあ、みたいな。 経費精算がなくなって、人間はもっと頭を使う、 ハードな仕事だけの状態になっていくわけ。 もう疲れてしゃあない。 まあ、それは僕の脳の体力が人の半分くらいしかなくて疲れやすいから、 余計にそう感じるんでしょうけど。でも、一回働きすぎて脳がぶっ壊れた身からすると、 明らかに現代人の脳は悲鳴をあげてると思いますよ。僕がね、脳に機能障害を抱えてからいろいろ調べてびっくりしたことを 共有したいんですけど、 科学とか神経科学によると脳はすごい可塑的なんですって。 可塑的っていうのはつまり後から形を変えることができるってことで、 つまりぐにゃぐにゃ形を変えて環境に適応するのがめちゃめちゃうまいんですよ! よう例に出るんは、ロンドンのタクシーの運ちゃんの話ですね。 ロンドンって迷路みたいな街やから、 タクシーの運ちゃんは記憶に関するパーツである海馬っていうんが めちゃくちゃ発達してるらしいと。 でも、同じロンドンでもバスの運転手は道を全部覚えんでいいから、 海馬はふつうの人と変わらんらしいです。ほかにもね! 楽しいからちょっと聞いてって。 人間ってこの数百年ですっかり生活が様変わりしたやないですか。 でも、生まれた時の脳の構造そのものは全然変わってないんですって。 だからもし10000年前の人間の赤ちゃんをタイムスリップして現代に連れてきたとしても、 脳は僕たちと変わらんから、僕たちと同じように育つ。 人間は、後天的に、つまり環境の中で 脳のバランスを調整して適応する能力がめちゃくちゃ高いんです。でもこれ以上AIが発展して、全然暇にならずに、 もっと労働密度の高い仕事を詰め込んだりしたら それはさすがに頭がパンクして、 僕みたいな思いをする人が増えてまうんちゃうのっていうのが 僕が最近心配してることです。最後にひとつだけ、じゃあどうしたらええん?っていうことに対して 僕の考えを共有しておくと、 いまAIは、新しいもの好きな人たちがめっちゃ試行錯誤してくれてるんで、 ほとんどの人は、なんも試行錯誤せんでええんちゃうかな、 意図的に遅らせて新しいもの好きの人たちが使い方を確立してから それを教えてもらったらええんちゃうかな。 たとえば一年遅れでAI使い始めても、大した違いなんて出ませんからね。 今使わんとやばいぞ、時代の波に乗り遅れるぞってみんな言うけど、 「へえへえ、私はその波には一年後にぴょいっと乗ろうと思ってますからね」って のんびりかまえてたらええと思います。それでは、今日のままならジオはここまで。 この番組は一緒に考える、をやりたいんで、 質問・感想もフォームから募集してます。 僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」 オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、 詳細を概要欄に置いておきます。 井上慎平でした。 ほんじゃあ、また。

  8. 20

    「意見と人格を切り離せ」って無理すぎ|ままならジオ(ままなラジオ)#9

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)「意見と人格は切り離せ」っていうけども、それ〜無理あるんちゃう?今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の"ままならなさ"を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。よくビジネスの現場でこういうこと言われません?「あなたの意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃうからね」要は、切り離して考えんとあかんよと。ビジネス書にもよう書いてますよ。でもなー、どう思います?無理ちゃいます?そんなん言われても。やっぱり否定されるのって怖いやないですか。怖い。ビジネス書ではよくこんなふうに書いとるやないですか。会議室のなかでは侃々諤々で議論しまくって、で、会議室一歩出たらニコニコ冗談言ったり、パブで肩を組んでビール飲んだりするのだ、それが外資系では当たり前だ、みたいな。いやいや。わかるけど。わかるけども。人間、そんなふうにできてへんやろってやっぱ思ってまうんですよね。いや、僕は「意見と人格は切り離せ」を全否定したいわけやないんですよ。前提として。仕事って、やっぱいい結論を出すためにガンガン議論をしてかなあかん場面もあるわけで、そんなときに「相手を傷つけたくない」「怖い」みたいな気持ちを大事にしすぎたら、話が1個も進まんからね。だからといって全肯定もできんよな〜っちゅうんが今日の話です。なんか、ここに考えるべきことがある気がすんねんな。「ままならなさ」とか、割り切りたくても割り切れない、って気持ちとか。そんなことをめんどくさく考えるのがままならジオなんですわ〜。まず、みんなやせ我慢して、ほんまは意見と人格を完全に切り離すなんて無理やのに、強がっている。ビジネスの論理が、弱い人間に強さをリクエストしてくる。『弱さ考』という本の著者としてはそこから始めたいなって思います。そういう視点から書いてる本やから。ほんで、実際どんなことが現場で起こってるかっちゅうと、意見と人格切り離すんが得意な人と、切り離すん苦手な人のあいだですれ違いが生じてるんと思うんよね。切り離しが得意な人たちは「意見と人格は切り離せ」を忠実に実践して、ばんばん思ったことを言うわけよね。んで、切り離すん苦手な人たちは、やっぱり立場とか、役職とか、相手の顔色とかを察しちゃって言えへん。意見と人格の切り離しゲームに乗れる人と乗れへん人のあいだで、ちっちゃな差が蓄積されてく。そしたらどうなるかっていうと、片方がオフェンシブに、片方がディフェンシブになっていくんよね。それが、よーない。んー、何がようないんかな?あー、うん、あれやな、「意見と人格は切り離せ」が「攻撃的に発言していい」カードみたいになってんのがよーないんやな。カード発動!みたいな。たぶん、切り離すん苦手な人の本音としては「意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃう」とだけ言っとけばOKと思うなよ、みたいな感じで思ってんちゃうかなあ。こちとら機械やあらへんで、っていうな。「意見と人格を切り離す」って言葉が、相手に対する配慮をサボる言い訳になってしまいがちなんが、ちょっとなあって思うねんな。話してて思ってんけど、この「意見と人格は別やねんで」っていう言葉って、ほんまは人格の部分がキモやんか。つまり、「どんな話をしても、あなたをひとりの人格として尊重しますよ」っていうのが前提としてめっちゃ大事。それが、実際は人格の尊重の段階をすっ飛ばして、ブレーキを外すための言葉として使われてることが多いんちゃうかな。あなたは一人の人間として、ちゃんとシェルターに守られてるんやで。そのうえで、今この課題を前に進めるためには、シェルターから一歩出て、言いたいこと言い合ってええもんつくろうやっていう話でしょ。でも、よーあるんは、シェルターに守られてるんや、自分はここにいていいんや、っていう安心感とか居場所感が抜け落ちたままに話が進んでいってまう。人間って弱い生き物やから、ほんで社会的な生き物やから、ここに自分の居場所があるっていう安心感なしでは生きてかれへんのんよ。それが人間の弱さなんよ。でも、ビジネス書に書いてあることって、あんまそういうこと考えられてへんやんね。ほら、あれあるやん、「会議に出てずっと黙ってるやつはバリューゼロだ」みたいな。でもなあ、働くも暮らすの一部やん?暮らすときに「バリューを出さなければお前に居場所はない」みたいな脅し文句言われなあかんのかって、ちょっとなーって思うやん?自分がここにいていいんやっていう安心感を与えられへんままに、人間は働いたり暮らしたりできんのか?っていう、そこを問いたいねんよ。人間は不安で動く生き物やからね。良くも悪くも。やからこそ、不安を利用して原動力にするんやなくて、不安を取り除いたうえで、それでも気持ちよく働けるようにしたいやんか。あとこの、「意見と人格は別やねん」理論が日本の文化とめっちゃ相性が悪いってことも言っときたいな。ビジネス書とかの格言ってだいたいアメリカから入ってくるやん?でも日本的な感性がそれとそぐわへんときもある。というか元ビジネス書編集者として、文化が違うのに表面だけ真似してもうまくいかんで、っていうのは声を大にして言いたい。『弱さ考』っていう本を書いたときも文化の差についての問題意識はごっついあって、やから僕は日本とアメリカの気質の違いを教育システムにまで遡って考えたんですよ。アメリカって自分の意見を主張してなんぼの文化なんよね。やから、小学一年生から、「私のオピニオンはこれだ!」って、自分の意見をガンガン主張する教育を受けとる。で、日本はどうかっていうと、自分の意見はあんまり求められへんし、仮に意見を言ったとして、その意見が周囲から浮いてなければよしとされるけど、完全に浮いてたら、やんわーり正されんのよね。前提としてアメリカには強烈な個人主義の文化がある。個人の人格は尊くて、誰も否定できない尊厳みたいなもんを持ってるってことが当たり前になってる。やから、会議室で侃々諤々しても、そのあと飲みに行こうぜ、っていう話が成り立つんですよ。つまり、自分というものの尊厳はなんぴとたりともおかすことができんっていう前提がある。その前提が全然違うのに、表面的に「意見を否定しても、別にあなたの人格を否定してるわけちゃうからね」っていう部分だけを輸入しても、そりゃあうまくいくわけないですわな。この「私は私。誰にも私は変えられないし、変えない」みたいな個人の強さはすごい言語に表れてるよな。英語って一人称はIだけやけど、日本語って、俺はな、とか僕はな、とか私はですね、とか先生はだな、とかお父さんはね、って相手との関係によって主語がめちゃくちゃ切り替わる。英語が個人ありきやとしたら、日本語は完全に関係性ありきの言語。やから、「意見と人格は切り離せ」は基本的には苦手なんよ。それは、言い換えたら「言葉と文脈を切り離せ」ってことやからね。それは日本の文化に馴染んだ人には難しい。はい。「意見と人格は切り離せ」っていうのは「より良い答えに早く辿り着く」ための必要悪みたいな物言いやとやっぱり思うんですよ。ただ人間本来の性質と合ってないし、特に日本的文化との相性はごっつい悪い。だから、「これ言ったら何をいってもいい」みたいな攻撃のカードになってまうんよね。でもほんまに大事なんは守備で。「自分はここに居場所があるんや」「存在を認められてるんや」っていうシェルターが、働く全員の心の中にあるんが大事なんちゃうの?それができて初めて「意見と人格は切り離せ」が必要悪じゃなくて、ちゃんとした道具として使いこなせるようになるんちゃうって言う話を言いたかったんです。あ、最後に。このままならジオ、多くの感想をリスナーの方からいただいてます。読み上げたりはできてへんけど、全部みてます。めっちゃ嬉しいです!概要欄にフォームもあるんで、ぜひ質問も投稿してみてください。リスナーからのお便り会、やってみたいんよな〜!僕が主催している、オンライン読書プログラム「問い読」の詳細も概要欄に置いときますね。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  9. 19

    希望は絶望を救えない|ままならジオ(ままなラジオ)#8

    希望は絶望を救えない|ままならジオ(ままなラジオ)#8「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)絶望を救ってくれるのは、希望ではない。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。絶望。まあ、そんな日常使いの言葉とちゃいますよね。僕の短い人生経験で言えば、本当に絶望と呼べるのは鬱の深いところにいた数ヶ月くらいやったんちゃうかなあ、と思います。いや、不幸自慢をしたいわけやなくてね。逆に、それまではずいぶんラッキーにものんびりとした人生を送ってきたと思うんです、ありがたいことに。僕の絶望期はどんな感じやったかというと、鬱なんで、ほんまになんもできないんですよね。テレビも見れへん、音楽もきけへん。もちろん文字を読むなんてとんでもない。時間だけが大量にあって、「ああ、なんて自分は時間を無駄に過ごしとるんや」って自分を責めてました。いつか読みたかった積読本をみても、まったく心が動かん自分に気づいてさみしぃなってました。何もできへん。でも時間だけは大量にある。1分が無限に長く感じる。これは、端的に言って地獄でしたね。しかも、そんときは「この地獄が永遠に続くんや」って思い込んでましたから。脳が乗っ取られた感じで、そうとしか思えないんですよ。まあ、でも何ヶ月かすると少しよくなってきて、読んでは休み、読んでは休みやけど本も読めるようになりました。これ、鬱経験者はみんな言う不思議な話なんですけど、最初に読めるようになるのは「鬱の話」なんですわ。めっちゃ自分ごとやからでしょうね。僕も人の体験記をやたらと読みました。そこから、いろんな本を読んでいくんですけど、今振り返って一つ気づいたのは「私はこうやって鬱を乗り越えた」っていう克服系の本はぜんぜん心に響かんかった。響いたのは、鬱とは全然種類がちゃうけども、同じ絶望のなかにい続ける人の話でしたね。哲学者・宮野真生子さんが自分のガンの末期をつづる『急に具合が悪くなる』とか、10歳から30年近く「死にたい」という気持ちが発作的に起こり続ける土門蘭さんの『死ぬまで生きる日記』とか。絶望は、それぞれ孤独なんですよね。「この苦しみは絶対に他者にはわかられはしない」という確信がある。別に病気やなくても、これを聞いてるみなさんにも「絶対に他人にはわかられない」と確信できるしんどさがあると思うんです。多かれ少なかれ、絶望はみんなにある。で、僕にとって絶望は、このとき孤独の問題にもなったんです。誰にも絶対に理解されないということは徹底的に孤独だということですから。うん。鬱のとき、頭の中で何回もくり返すイメージがあったんですよ。そのイメージのなかで僕は一定のペースで海に沈んで行くんです。上を見ると、ギリギリ海面が見えていて、みんな楽しそうに遊んどる。僕もあそこで遊べてたはずやのにな、とさみしそうに見上げるけど、僕が沈んで行くことには、海面で遊んでいる人は誰も気が付かんのです。でも、海を潜っていると、なんかおる。もうほとんど視野もないくらい光も少なくて、おぼろげながら形が見えるか見えへんかくらいの感じなんやけど、なんかがおる。しかもめっちゃおる。それは、今思えば「絶望を抱えた同志たち」の姿やったんですね。海の底で、暗くて、顔も見えへんねやけど。お互いに、「自分の絶望は誰にも理解されることはない」ということを、理解しあっている人たち。気軽にわかったような言葉をかけないという信頼感を、無言で共有しあっている人たち。かなしみの海の底にいるとは、自分の孤独と、相手の孤独がいっぺんにわかるようになることです。そういう孤独な悲しみを抱えた人たちの存在に、そういう人が書いたものに、僕は救われてきました。ちょっと話が逸れんねんけど、「本を読んで役にたつか」という問いをよくみます。僕は基本的には役には立たへんと思ってます。でも救ってくれることはある。本は役に立たんけどときに人を救う。なんの話やったかね。その深い海の底から戻ってきた話をしましょか。ゆうても症状は治ってないんで、海底から少し明るいところに浮上してきた、くらいなんで、海の中におるんは変わってへんのやけど。『弱さ考』を書いて僕に起こったいちばんの変化は、他人の絶望に敏感になったことやと思います。絶望というと大げさやけど、自分の心に開いた穴というか、ままならなさというか。「ああ、この人はいま『自分には他人に理解されへん心の穴がある』と感じてるな」という人は、なんでか、明るく振る舞っててもわかるようになりました。それから一年、僕はいろんな人とお互いに「絶対に理解されないしんどさ」について話してきた気がします。もちろん理解しあえないまま終わるけど。今この瞬間も、自分とは種類はまったく違うけど、世界に打ちひしがれとる人がおるって知っとくだけで、意外と人間は生きていける。そんなもんです。絶望のなかにいるとき、人は希望の物語に反応できないんです。絶望を救うのは、他の絶望しかない。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  10. 18

    「言語化」の落とし穴|ままならジオ(ままなラジオ)#7

    「言語化」の落とし穴|ままならジオ(ままなラジオ)#7「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)言語化、って言葉ってなんかモヤモヤしません?今日は「言語化の罠」のお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。言語化。言語化言語化言語化。いま、世の中に言語化っちゅう言葉が溢れてますよね。僕は、その流れがちょっとだけいやなんですよね。僕はビジネス分野の書籍編集者を10年以上やってきたんで、その分敏感になってもうてんのかもしれませんね。ちゅうんも、「言語化すればうまくいく」みたいなビジネス書がこの数年でめちゃくちゃ増えとるんです。もちろん言語化は大事です。とくにビジネスの現場において、自分の思ったことをスムーズに言葉にできる人が有利なんは間違いない。でも、言葉にするのに時間がかかる人もいれば、自分が話すより相手の話を聴くことのほうが得意な人もおるわけです。実際働いてたらわかるけど、ほんまに大事なのは相手の言っていることを聴く技術のほうなんですよね。ただ、これだけ言語化言語化って言われたらたくさんの人が「もっと早くもっと正確に言葉にしないと!」って焦ってるはずなんですよね。それって、『弱さ考』でも書いた「ビジネスの論理が暮らしにまで侵食してる」典型的な例やなって思います。ちょっと一回、遠回りして、言葉ってなんなんかについて考えてみたいと思います。僕たちは日々いろんなものを視覚や触覚や聴覚など、身体全体を通じて感じとるわけです。その中で言語に落とし込めるのはごくわずかな領域、ほんの一部にすぎへん。言語には、どこまでいっても限界がある。星の王子さまで、キツネが王子さまに向けて「かんじんなものは目に見えないんだよ」って伝える場面がありますよね。あれと一緒で、かんじんなものは言葉にできへんのです。完全にはね。キツネはこうも言います。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」「かんじんなものって何か」っていうと、心が動くもののことなんですよね。もう一冊、僕が編集を担当させてもらった安宅和人さんの『シン・ニホン』という本にも似たことが書いてあるんですよね。補足すると、安宅さんはめちゃくちゃ頭がいい人で、たぶんロジカルシンキング日本選手権みたいなもんがあったら優勝してまうような人です。でも、一方でとても文学的な感性をもった、論理性と文学性を兼ね備えた稀有な人でもあります。『シン・ニホン』のP196にはこう書いてあるんですよね。知覚っていう言葉が出てくるんですけど、安宅さんは知覚こそ知性だって主張してるんで、知性って置き換えてくれていいです。さて。引用です。「知覚を鍛えるために必要なもう1つのマインドセットは、言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れることだ」「世の中の大半は数字にも言葉にもなっていない」「自分では数値化・言語化できていない部分にほとんどの情報があると受け入れられない人は、知覚できることも限定的になってしまう」引用終わり。めちゃくちゃきっちり論理を積み上げる安宅さんの文章のなかに、ふとこういう文章がはいっとる。自分が編集してて初めてこの文章を読んだとき、そのギャップが印象深く残ってますね。星の王子さまにある目に見えへん「かんじんなもの」、あるいは安宅さんのいう「数字にも言葉にもなっていない」ことって、僕は一言でいうとやっぱり心が動くことやと思うんですよね。夕日や、海の波を眺める、綺麗やと思う、そのときの心の動きは言語化されてへんし、別に言語化してもええけど、せんままに味わってもええわけですよ。でも、あんまり言語化、言語化って言われると、忘れてまうでしょ? 世界って言語化できへんものにあふれとるっちゅうことを。そしたら安宅さんのいうようにめっちゃ「限定的」にしか世界を受け取れんくなるんですよね。言語化があまりに手放しでええものとされる世界の怖いところは2つで、一つはすぐに自分の考えを言葉にできへん人のことを、あるいは自分のことを、貶めてまうこと。もうひとつは、世界のほとんどを占める言語化できない部分に対する感受性を鈍くしてまうことです。最後に僕の実体験からひとつお話しします。僕は鬱になって、なにがいちばん辛かったかっていうととにかく1日が長いことやったんよ。意識はあるのに、脳が動かへんというかブレーキをかけてくるから何一つできることがない。一時間がとにかく長い。そんなときはぼーっとするしかないんですよ。脳がつかれとるから。それは何も鬱の人にかぎらんくて。ぼーっとするって大事やなってみんななんとなくはわかっとるんですよ。でも、現代人はこれができへん。なんでかっていうと、みんなぼーっとする、何もせんっていうと文字通り何も行為しない、完全なフリーズを思い描くんやけど、完全に脳に入ってくる情報をシャットアウトするなんてできへんのよ。何もしてへんつもりでも目が開いてるかぎり何かはみとるわけで。やから、せいぜいできるのは、ぼーっと何かを見る。ぼーっと音を聴く。ふだん言語が走り回って疲れきっとる脳を休めるためには、別の視覚や聴覚の使い方をすることでしか、脳の言葉を司る部分が静かに休まることはないんですよ。でも、何もせーへんっていうのは物理的に不可能やってことがみそで。結局、他の疲れへん行為をするしかない。それがぼーっとするってことなんやってことに気づくまで僕はだいぶ長いこと辛い思いをしました。ぼーっとするぞって力んでイライラしてしまったりね。言語化っていってもそれぞれのペースとやり方があるし、言語にあふれて疲れた脳を休ませるには、なんもせんのじゃなくて使っている知覚を切り替えるしかない。ぼーっとして、何を見て、何を感じて、それは言語化せずにただ味わうだけでもええ。ビジネスにおいて言語化が大事になってきている時代なんは間違い無いけど、それをプライベートにまで取り入れすぎんでええと、僕は思います。今日はそんなお話しでした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  11. 17

    「生きづらい」という言葉の危うさ|ままならジオ(ままなラジオ)#6

    「生きづらい」という言葉の危うさ|ままならジオ(ままなラジオ)#6「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままならジオ」(本編の台本・文字起こし)「生きづらさ」という言葉は、大切なんやけど危うい。今日はそんなお話です。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。はい。僕は、『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本を書きました。鬱になった、と聞くともう治ったかのように聞こえるかもしれませんが、全然治ってないんですよね。いまもちょっと鬱とけっこう鬱のあいだを行ったり来たりの毎日です。具体的にいうと、人と会話するのにすごくエネルギーを使う。ちょっと仕事したらすぐ頭が回らなくなる。脳がめちゃくちゃ疲れやすくなってるんですよね。だから、けっこう生きづらいっちゃ生きづらい。あと、社会的にどうかはさておき、2026年現在、障害者手帳を支給されて福祉のお世話になっとるんで、いわゆる「弱者」だと言えないこともないと思います。でも、僕は極力「生きづらさ」とか「弱者」とかの言葉を使わんように意識してるんです。なんで使わんのかというと、大きく理由は二つあって、一つは、誰だって、いつの時代の人だって「生きづらい」ことに変わりはないからです。おもろい本があるんで一冊紹介させてください。『生きづらい明治社会』っていう歴史学者松沢裕作さんの本なんですけどね。着眼点がおもしろい。今は変化の時代だ、ってよくいうけど、それでいうと明治社会の生きづらさはすごかったぞ、と。もちろん変化が激しい社会だからこそ「時代のヒーロー」も生まれるわけですけど、その一方でふつうの人にとってはものすごく不安な時代だったはずだと。ちょっと話題が逸れるんですけど、明治時代の不安について、おもしろいことが書いてあるんで、引用しますね。私がこの本のなかでこれから述べることは、不安のなかをいきた明治時代の人たちは、ある種の「わな」にはまってしまったということです。人は不安だとついついやたらとがんばってしまったりします。みんなが不安だとみんながやたらとがんばりだすので、取り残されるんじゃないかと不安になり、ますますがんばってしまったりします。これは、実は「わな」です。なぜなら、世の中は努力すればかならず報われるようにはできていないからです。これは、僕が初回で言った、「人生は残酷だ」っていうテーマそのものです。人は不安から頑張る。でもその頑張りが報われるとは限らないっちゅうね。で、著者がこの本で明らかにしていくのは、明治時代というのはめちゃくちゃ生きづらかったという話です。その詳細をここでは語りませんが、人権なんて考えもありませんから、困ったって僕みたいに福祉が助けてくれるなんてこともないし。めちゃくちゃ大変やし、今よりもっと自己責任的です。現代ももちろん、生きづらさを抱えている人はたくさんいるでしょう。それは事実です。でも、それは何も今だけのことやない。どの時代にもそれぞれの生きづらさがあった。たとえば、現代でハラスメントを受けるのはとても辛いけど、それをハラスメントだと、いけないことだと言っていい、思っていいこと自体は、少しだけ生きづらさを少なくしてるはずなんです。ハラスメントなんて言葉がなかった時代はずっと泣き寝入りやった。問題は少しずつマシになっていく。でも、マシになるともっと細分化した問題が生まれます。今も、「なんとかハラスメント」って言葉は何十個とあるでしょう。もちろんハラスメントはあっちゃいかんけど、一個解決されたらまた次のハラスメントが解決の対象になっていく。一生なくなりはしないんですよね。どの時代にもそれぞれの生きづらさがあるっちゅうんはそういうことです。世界は残酷ですね。それに、同時代の人同士でもそれぞれの生きづらさがあります。僕は「人には人の地獄がある」って言葉が好きなんですね。これは太宰治の言葉らしいですけど。以前、宇垣美里さんが「私には私の地獄がある」って言ってて、ほんまにそうやろなって思いました。誰もがうらやむ美しさを持って生まれてきてる彼女がなぜそんなことを言うのか。それは、美しいからやと思うんですね。人って、恵まれた人には上から目線ならぬ下から目線でいくらでも残酷な言葉を投げつけられる怖さがある。ほめられるようなふりをして妬まれるような言葉を、反論しづらいような言葉を宇垣さんはたくさん投げつけられてきたように思うんです。そもそもそうやないと宇垣さんも「私には私の地獄がある」なんて言わないでしょう。誰から見ても恵まれた人生を生きている人にだって、生きづらさがあるんです。これは、「みんながつらいから我慢しろ」って話じゃないです。あなたがつらいなら他の人と比べる理由なんかない。ただ、そのときに、自分だけがつらいわけじゃない、と知ったうえで、「私はつらい」と言えるのと、「自分だけがつらい」かのように「私はつらい」というのは大きな差がある。さて、僕が「生きづらさ」とか「弱者」を使わない、もう一つの大きな理由。それは、被害者的になると自分の人生が始まらないからです。人生はままならない。僕で言えば人とふつうに会話することも、仕事することもただ、立っていることも、すべてがままならない。でも、「なんで自分だけがこうなんや」「おれはがんばって働いただけなのにあんまりや」とか嘆いていると、楽になる代わりに、いつまでたっても自分が「被害者」ポジションから動けなくなってまうんですよ。もちろん、最初は僕だって嘆きますよ。理不尽に対して嘆かないなんて不自然です。人間そんなに強くない。でも、いったん嘆き散らしたら、その後は、立ち上がって歩いていかんといかん。人生は続きますから。理不尽やままならなさが襲いかかってくると、人はしばらく「こうでなかった可能性」を考えます。大切な人をなくしたときのことを想像したらいい。ああすればよかった、こうすればまだ生きてたかも、そう思って当たり前でしょう。でも、「こうでなかった可能性」を考え続けているうちには、自分の人生が始まらない。この考え方は哲学者千葉雅也さんが『欲望哲学』のなかで語ったことに大きく影響を受けてます。彼はざっくり言えば「たまたま偶然でこうなってしまった。その偶然性を引き受けないと主体化できない」って言ってるんです。主体化するというのは、自分が他ならぬ自分として生きていくということです。たまたまを、偶然性を引き受けないうちは、自分のことを「誰でもない、他ならぬ自分」として生きていくことはできへん。だから僕は、自分が生きづらいとも弱者やとも、あえて言いません。今の時代は「被害者性の時代」です。あらゆることに対して被害者やと無限に主張できてしまう。そんな時代やからこそ、僕は、それでも被害者的に生きていくかどうかは自分で決めないとあかんのちゃうのって、そんなことを思います。もちろん、被害者であることは事実やとしてもね。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  12. 16

    鬱っぽい人の憂鬱な日常|ままならジオ(ままなラジオ)#5

    鬱っぽい人の憂鬱な日常|ままならジオ(ままなラジオ)#5「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎読む「ままなラジオ」(本編の台本・文字起こし)「鬱」の人っていったい毎日どんな感じなん?今日はそんなお話です。ままなラジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。はい。僕は、『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本を書きました。鬱になったーって聞くともう治ったかのように聞こえるかもしれませんが、全然治ってへんのですよね。よく、自己紹介のときに「まだうっすら鬱としっかり鬱のあいだを行ったり来たりしています」と僕は話します。でも、たぶんどんな感じかようわからんと思うんですよね、鬱って。今日は僕がどんな毎日を過ごしてるんか、それは発症前とどう違うんか、つれづれとお話ししてみたいと思います。なんでこんなことを話そうと思ったんか。昨日たまたまね、元プロ野球選手の清原さんがYouTubeをやっていることを知ったんですよ。いつもは、清原さんが野球関係のことを話してるんやけど、一回だけ「鬱のことを全部話す」っていう全然テイストの違う回があって。清原さんももう5年くらい鬱に苦しんでるらしいです。それをみたら、自分も「ああ〜」って、なって。そうなんよ、そうなんよなあ。っていろいろ響く部分があって。自分も語ってみよかってなったっちゅうわけです。まず、大前提として、鬱は治るもんです。でも、人によってはかなり長い時間がかかったりします。僕はまだ治ってへんし、はっきり言って5年経ってもほぼよくなってへんなと思います。人によっては症状と何十年、あるいはずっと付き合っていくパターンもあるみたいです。僕も正直、いつか治る、前の自分に戻るっちゅうことはイメージできへんところがありますね。というのも、明らかに脳の回路が書き換わってんなーと感じるんで。鬱の症状は人それぞれです。でもだいたい共通するんが、調子が悪いときは脳のあらゆる部分がボイコットを起こして、どんな好きなことであっても「何かをしたい」という意欲そのものが消え失せてしまうところ。僕で言うと、元気な時は本を読んだり人と話すのが好きなことですが、鬱のときは「したい」っていう感覚が消滅しますね。何に関しても。あれ、いつものみたいコーヒーが飲みたくない、とかそういうところから、ああ、今日はしっかりめの鬱なんやなって逆に気づくくらいで。体温計みたいにわかりやすく状態がわかったらええねんけど、脳には触覚も痛覚もないからわからんのよなー。鬱の時は、「ただ何もできへん」という時間が大量にある。でも暇つぶしする体力も意欲もあらへん。時計が進まん。この強制的に何もできへん状態に追い込まれるっちゅうんは地獄です。つらつらと語っていくと、次に辛いのは眠る力が落ちることですね。鬱のなかでもたまにずっと眠たい過眠タイプの人もいますが、多くの場合は眠れへんくなりますね。僕は毎日睡眠薬を飲んでて、眠りに入るのはそんなに困らへんけど、夜中や朝方しょっちゅう目が覚めますね。だいたい平均で4回くらいは覚めます。その浅ーい眠りの中で何回も悪夢をみます。どんな悪夢か、起きたらだいたい思い出せへんのですけど。ぐったりしたなかで朝が始まって、ええなあ、すっきりした始まりの朝がきてほしいなあって思うけど、もう最後がいつやったかは思い出せへんね。で、しっかり鬱の日は人と話すんが億劫になります。んー、「会話する」っていうのはめっちゃ高度な脳の働きの応酬なんですよね。まず、相手の言っていることを言葉として理解する。これももう疲れます。自分の頭で次何を言うか考えて、相手に返す。相手がまた言葉を発する。それを必死になって聞く。その繰り返し。うっすら鬱としっかり鬱のあいだにいるっていうのは、僕の感覚で言えば1日どのくらい会話できるかに波があるんです。うっすら鬱の日でも、シラフやと休憩を挟んで4時間が限界。しっかり鬱の日はほぼゼロです。いや、逆に感動しますよ。脳ってすごいことしてたんやなって。ただの音の羅列を日本語として理解する。「今までこれをなんなくこなしてたんか!」ってもはや感動します。誤解されがちなとこでいうと、鬱って、心の病じゃなくて脳の機能不全なんよな。やから、僕でいえばまず聴覚が変わった。今までは音が鳴っとるってことにとくに困らず生きてたんやけど、今はうるさい環境、二重三重に音が鳴ってる環境やとめっちゃ疲れます。カフェとか。駅の構内とか。選挙演説とかはマジでミュートしたいですね。今までは必要な情報とそうじゃない情報を脳がフィルタリングしてくれてたんやけど、今は全部の音の羅列がだーっと雪崩れ込んでくる。やからけっこう疲れます。視覚で言うと、何かが目に入ること自体がしんどい。とくに広告なんかつらいね。めっちゃ情報量多いし、その情報の束がフィルタリングされずに全部一気に雪崩れ込んでくるから。あとおもろいんが、人の顔が見れんくなったんですよ。顔ってめちゃくちゃ多くの情報を含んでますよね。無限の情報を人は表情に詰め込むことができますから。でも、僕はもうそれを受け取れへんから、人の顔を見て会話ができへんですね。1,2秒が限界。目を合わせるっていうのは最難関で、もう脳が反射的に拒否します。目線もまた情報量が多いんでしょうね。こんな状態やから、東京にたまにいくと、耳栓して、ずっと下向いて歩いてます。やからめっちゃ肩ぶつかります笑。すんません、すんません、みたいな。「いや、井上はいろいろメディアに出てあれこれ語っとるやんか」と思われるかもなんですけど、まず、前提、めっちゃ休憩入れてもらってます。物理的に縦になって立ってるだけで疲れるから、床に横にならせてもろてます。今話してて思ったけどとにかく疲れるんですね。これは、「易疲労」って言って、易って、あの容易くのやすくの部分の字ね。鬱だけじゃなくて脳の機能障害を患った人にけっこう共通する症状がこの易疲労。これ豆な。豆知識。で、なぜふつうに話せているように見えるか。それは、一時的にならふつうっぽく話せるってことなんですよね。1日何時間かだけなら人と話せる。それをイベントや取材に集中させればなんとかやってけるという感じ。いや、イヤイヤ話してへんから、これ聞いた人も「井上さんと話すのはかわいそうやからやめよう」とか思わんといてほしいんですけど。生きがいやからね。もう一個のふつうっぽく話せてる理由は、「鬱なりのペースでゆっくり話す」っていう選択肢が実質的にないからなんですね。会話って相手があってのことなんで、僕だけがゆっくり話して相手は早口でーーゆうても僕にとって早口なだけでその人からしたらそんな早くないふつうのペースでーー話すって、成立しないんよ。何回か試してみたけど。それを貫いたらめちゃくちゃ気を遣われてしまうし。やから、「周りからみてふつうっぽい感じで話す」か、そうじゃなかったら「休憩する、つまり一切話さへん」かどっちかなんですね。だから取材とかイベントの後とかはだいたいしんでますね。道路のど真ん中でいきなり寝転がりたいくらい。やから、「元気そうやん」って言われるとちょっとしょげる笑。厳密には急激に減っていく「元気ゲージ」をそのとき使ってるだけなんよね。清原さんも、「YouTubeみたら元気そうやんか!って言われるけど元気じゃない」って言ってました笑。わかるーってなった。そうなんですよね。元気な日など発症以来あったことは一度もない。これがまあ、僕のままならなさですかね。たまに、井上さんよく1人語りの番組できますね、って言われるんですよ。やってみたらわかるんですが、1人語りやとすぐネタが尽きて、だいたい続かないんよね。でも、僕にとっては会話というのが最も疲れるもんなんで、むしろ1人語りやないと続かんのです笑。それでも、話したい。話すことで世界とつながっていたい。そんな気持ちでやってます。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想もフォームから募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いときますね。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  13. 15

    ミッドライフクライシスをどう乗り越えるか|ままならジオ(ままなラジオ)#4|ままならジオ(ままなラジオ)#4

    人生には「いい敗け方」が必要だ|ままならジオ(ままなラジオ)#4「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)は⁠こちら⁠から募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」は⁠こちら⁠。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『⁠弱さ考⁠』▶︎ 読む「ままなラジオ」(本編の台本・文字起こし)「人生にはいい敗け方が必要だ」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』で書いたとおり、僕は5年ほど前に鬱になりました。一時期ほどひどくはないですが、いまもうっすら鬱とけっこう鬱のあいだをいったりきたり、という毎日を過ごしてます。鬱を発症した時は30代前半でしたが、気づけば、僕も周りももう40近いんですよね。そしたら、いわゆる中年危機、ミッドライフクライシスの話題がめっちゃ出るんですよ。もう10年くらいするとこれが血糖値とか尿酸値の話になるんでしょうけどね笑。で、ミッドライフクライシスっていうのは、いわゆる人生の前半戦を終えた人が「自分の人生。このままでいいのか?」って悩むことらしいです。心理学者のユングって人は、この時期を「人生の正午」って呼んどるらしい。12時ジャストの正午ね。おしゃれやね。僕らは人生の夕暮れどきに向けて、準備をせなあかんのやと。ぼくの主観ですけど、ミッドライフクライシスはビジネスの世界でバリバリやってきた男性ほど悩む確率が高いです。女性ほど社会で生きるうえで障害物が多くないから、仕事というシンプルなゲームに没頭できてたツケが、40代になってまわってくるんですね。僕はたまたま鬱になって、「努力して、成果を出す」というシンプルなゲームから弾き出されてしまったんで、今思えば、早めにこのクライシスを体験したとも言えるんですね。なんか先輩風ふかせて言いますけど。やから、今はある程度整理できてるんちゃうかなあ、と思います。ミッドライフクライシスをどう乗り越えるかって、「人生のいい敗け方」を見つけるってことやと思うんです。これは僕の友人の言葉なんですけど。みんな、敗けることを、老いていくことを、諦めきれないんですよ。だから、「若い頃は流動性知能が強いけど、年齢を重ねたら結晶性知能が強いんや」、つまり人生後半戦では総合的な判断力で勝てるんやみたいな話に飛びついたり、シンプルにアンチエイジングにいそしんだりするでも、これってできるかぎり「勝てる自分」でい続けたいっていう前提なんですよね人生を勝ち負け的にしか見れないことが、ままならなさの根源になってる。もうひとつは、シンプルに何に対する「勝ち負け」をやってるのかが、自分でもようわからんくなってくるんですね。がむしゃらになればよかった20,30代を超えて。ほな、どうしたらええんかと。「人生の正午」を超えたら発想を転換せんとあかんのですよね。ひとつは、「結果」から「プロセス」への転換。結果に喜びを見出すんじゃなくて、心地よくやれてるかっていうプロセスの方を大事にする。もうひとつが、「相対」から「絶対」への転換やと僕は思ってます。人と比べる世界観から、自分固有の世界観を打ち立てる方向に、少しずつ人生を転換させていく。仕事ができるとか、そういう客観的で数値化しやすい基準で自分を誇ることから、もっと主観的で、誰にも理解されない基準での誇りを手にするってことですね。たとえば、僕の周りでも推しがいる人はあんまりミッドライフクライシス悩んでない印象ですね。逆に「自分で自分を応援してきました」っていうタイプの人が、何を、どう応援してええかがわからんくなってきてる。いや、まあかつての僕ですね。この転換がうまくできへん人がおる。それは結果・相対の世界でうまくいっていたほど顕著かもしれませんこの発想の転換ができへんかぎり、どこまでいってもしんどいです。どれだけ先延ばししても絶対老いますからね。結局、どこかで敗けてしまう。テクノロジーの変化はとくに若手に有利ですから、この時代はとりわけこの中年危機は顕著でしょう。「敗けたという事実」を、「いずれ敗ける」という事実を受け止めて他のゲームを始めるしかないんでしょうね。自分は取るに足らない、どこにでもいる一人の人間だということを認める。そういう自分とゆっくり、それこそ焚き火を囲むように並んで、二年、三年と時間をかけて気持ちの整理をつけていく。いや、自分が大したことない人間じゃないってことくらい最初からわかってたよ、っていう人もたくさんいるかもしれません。そういう人には、僕は傲慢でした申し訳ないというしかない。でも、周りにけっこうおるんよね。たとえうすうす自分は大したことないってわかってても、まだまだ可能性はある、って言い聞かせて生きないと、なかなかやっていけへんから。それは傲慢さでもあるし、弱さでもある。結果のゲームからプロセスのゲームへ。相対のゲームから絶対のゲームへ。両方とも突き詰めて言えば、今ここを楽しむということでしかない。でも「今ここ!」って力んで何かしようとしている時点で、やっぱりそれもちょっと無理してるんですよね。僕は本の中で、「さようなら、よりよい明日。」と書きました。結局、頭のなかで右肩上がりの線を描いているうちはうまくいかない、と思ったからです。右肩上がりを信じてやってきた人は、いざその物語を失うと次にはじめるゲームがない。市場価値を高めるとか、そういう言葉のなかで生きていかないといけない僕たちは、ある程度それは運命付けられてんのかもしれません。まずは右肩上がりの角度を少しずつ緩めていく。そして、もう誰も外部からゲームを与えてはくれへんねやな、自分なりのゲームをスタートさせなあかんねやな、その残酷さ、ままならなさを少しずつ自分に馴染ませていく。そこから始めるしかないんやろね。いまの資本主義社会があまりにシンプルなゲームを最初に設定してくるから、そこから違うゲームを自分で作り出していくのはけっこう大変なんやで、だから迷って当然なんやでっていう話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、問いの立て方が学べるオンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  14. 14

    この時代の子育ての正解って?|ままならジオ(ままなラジオ)#3

    この時代の子育ての正解って?|ままならジオ(ままなラジオ)#3「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)はこちらから募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」はこちら。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『弱さ考』▶︎ 読む「ままなラジオ」(本編の台本・文字起こし)「この時代の子育ての正解、むずすぎひん?」今日はそんなお話しです。ままならジオ。『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。『弱さ考』は、現代社会のビジネスパーソンがどんなしんどさを抱えているかについて書いた本なんですが、その後にいくつかイベントをやらせてもらったんですよね。そのときに必ずといっていいほど出る質問が、「子育て」についてなんです。いったん子育てから離れるけど、いや繋がってるんですけどね、僕が『弱さ考』のなかで指摘したのは、現代のビジネスパーソンが成長のゲームに取り憑かれてしまっている、ということでした。人間にとって成長とか、変化とかってそもそもストレスやしね。資本主義のなかで生きているから、組織があなたに成長を求めてくるだけであって、本来、人は「私は成長や変化が大好きです!」って言えるほうが少数派なんよー、変化や成長がしんどいっていうのは生物学的にすごく当たり前のことなんよー、っちゅう話をしました。「でもね、井上さん」と。質問者の方は言うんですよね。「私はある程度、ああ、自分は資本主義社会の仕組みのなかで気づかないうちに競争をさせられていたんだな、って距離をとれたとしても子どもの子育てにどう向き合っていいかわからないんです」まあ、そうですよねえ。僕はいま長野に住んでますけど、東京とかにいたら小学校受験とか下手したら幼稚園受験とかあったりして、この競争社会に子供は一桁の年齢からほりこまれるわけで。かといって、まわりがいろいろと準備をしてるなかでうちの子はほっといたらええわ、って簡単に思えないのもまた親心なんで。そんなときに僕がいつも答えるのが、「今の世界で子育てできるのはむしろラッキーなんやないかっていうこと」なんですよね。あ、ちなみに僕にも子供がいるんですけどね。どういうことかっていうと、ゲームのルールが速く変わりすぎてるからです。いい大学に行って、いい会社に入って、そしたらいい人生が待っとる。もう、この時代、誰もそんな一本道のルートを信じてないですよね?でも、じゃあ、ほんまにそれを捨てきれてるんか?っていうと、そうでもないわけです。いい大学にいったら、そうやない大学よりは少なくとも可能性がやや広そうやから、みんなちっさい頃から受験させるわけで。結局「いい大学に入ればいいことがある」っていう価値観はぼんやーり生きとるんですよね。で、僕が「今の世界で子育てできるのはむしろラッキー」と思うんは、ついにその「いい大学に入ればいいことがある」神話が壊れそうやなって思うからなんです。いうまでもなく、AIの影響ですよね。もうすでに統計データに出始めてますけど、真っ先に仕事が代替されていってるのは、偏差値が高い人がつきがちな職業なんですよね。これ、僕はすごい象徴的やなと思うんですけど、医師や弁護士も長期的に考えたら相当窮地に立たされるんですよ。だいたい受験って、理系でテストが得意やったら医学部、文系やったら法学部、つまり医者か弁護士になるんが王道なわけやないですか。この両巨頭こそが、将来が見えないっていうすごい状況なわけです。これはごっつい地殻変動やなと。結局、子どもも大人も、いまの社会のなかで、「今は大変でもがんばってれば将来楽になる」っていうフィクションのなかでがんばってるんですよね。「今努力せんと後で困る」っていうのが前提になっとるわけで。これを僕は「成長の物語」って呼んでるんですけど、特に子供に関してはほんまにこれが終わりかかってる。少なくとも「テストの点数」で成長が測れる前提は壊れかかってる。じゃあ、「井上さんは未来のことがわかるんですか」って言われたら、まったくわかんないですよ。いや、もうわかんなすぎる。でも、わかんなすぎるのがむしろ希望やなって。どういうことかというと、少なくともテストでいい点が取れるっていう、めっちゃ狭い意味での知性自体は、これから将来を約束してくれるものではなくなりそうなわけです。で。親がなんで教育をがんばるかって、もちろん子どもへの愛もあるけど、「自分は親として子どもの未来のためにできることを全部してあげた」っていう安心感がほしいみたいなところあるんですね。でも、その未来のために何をしていいか今まったくわからんわけじゃないですか。だからこそ、どの時代の親よりも不安が募るわけですよね。で、この不安が、やっぱりよくないんですよね。少なくとも、「自分は不安から子どもにあれこれやらせようとしがちやな」って自分で認識できてないと、よくない。っていうのも、親だってそんな立派な人間やないですから、あれこれ塾や学校のことを調べたり、そのうえで子供のためを思って勉強をせえよっていうなかで、子供がそれに応えてくれへんかったら、腹立つやないですか。ほんで、不機嫌になるんですよね。その不機嫌の裏には、「自分はこんなに心配してあげてるのに」、っていう思いがあるわけです。でも、実際には「自分はしっかりやることをやった」っていう安心感を得たいっていう側面もあるわけで。やから、僕はこの時代に親にできることは、ごきげんでいることだけやなって思うんですよね。「こんだけ心配してあげてるのに」っていう理由から子どもに「あなたもちゃんと応えてよ」って思ってまうくらいなら、親の側の「こんだけ心配してあげてるのに」っていう気持ちを減らすくらいでちょうどいい。そしたら、その分不機嫌も減ります。もちろん、勉強なんて一切せんでええとか極論をいうつもりもなくて、僕だって宿題みたり勉強教えたりしてますよ。考える基礎みたいなもんはいつになったっていりますからね。でもそっから先のことはまじでわからへん。うちの子が大学生になる頃に、世界がどうなってるかなんてほんまにわからへんわけです。天才にだってわからへん「学歴」っていう言葉がけっこう意味を持った、っていうのが昔話になってる可能性もある。やから、天才ですらわからん状態で、不安からあれもこれもやらすより、好きなようにやらせて、あるいは、無理に何かをやらそうとせんと、自分のなかにある「あんたの将来のためを思って」みたいな気持ちを戒めて、せめてニコニコしてればええんちゃうかなって思うんです。人は不安になるほど、何かをしようとします。それでいて、自分が「不安を原動力」に行動していることから目を逸らしたがります。この時代、不安はどんどん増していきます。未来のわからなさがましてるから当然、ね?それであれば、いっそのこと、義務教育で最低限の足腰だけはしっかり鍛えてもらって、あとは好きにしてもらえばいい。備えあれば憂なしっていうけど、医学部も法学部も安心じゃない現代の教育で、いくら備えたって、憂いはへらんわけです。だから、備えない。もちろんそれは受験戦争的な意味で、ってことで、人間として大事なことはちゃんと教えなあかんとと思ってますよ。でも逆に、人として大事なことだけわかってたらそれ以上親に何もできることはないんじゃないですかね?未来に備えてしかめっつらになるくらいなら、今ニコニコしてようぜって話でした。それでは、今日のままならジオはここまで。この番組は一緒に考える、をやりたいんで、質問・感想も募集してます。僕が主催している、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」と一緒に、詳細を概要欄に置いておきます。井上慎平でした。ほんじゃあ、また。

  15. 13

    職場で演技するのが辛いです。 | ままならジオ(ままなラジオ) #02

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)はこちらから募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」はこちら。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『弱さ考』

  16. 12

    世界は残酷だから美しい | ままならジオ #01

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▶︎ お便り(ご質問・ご感想)はこちらから募集中▶︎オンライン読書プログラム「問い読」はこちら。コンセプトは、「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」▶︎著書『弱さ考』

  17. 11

    ままならジオ、始めます。#0

    「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・オンライン読書プログラムの「問い読」主催者である井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。▼ お便り(ご質問・ご感想)はこちらからhttps://forms.gle/aGTHHUoh3CZwjgDE7▼ 「ちょいムズ本を、仲間と読み切る」オンライン読書プログラム「問い読」https://go.toidoku.com/inoue▼ 著書『弱さ考』https://amzn.asia/d/03uqa3kO

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「ままならジオ(ままなラジオ)」は人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者・井上慎平が、哲学や読書を手がかりに、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考えるポッドキャストです。焚き火の音とともに、あわただしい毎日の「余白」となれば幸いです。思考すること、問いを立てること、対話することが好きな方へ。■井上が主催するオンライン読書プログラム「問い読」はこちらhttps://go.toidoku.com/inoue■お便り・感想はこちら:https://forms.gle/NaDpXUbzPB3Tri6PA■著書『弱さ考』:https://amzn.asia/d/0j1A47b1

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井上慎平(『弱さ考』著者/問い読共同創業者)

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