PODCAST · religion
天理教の時間「家族円満」
by TENRIKYO
心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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教祖のお導き
教祖のお導き 福岡県在住 花田 浩美 去る1月26日、教祖140年祭がおぢばにて執り行われました。私たちの教会からは総勢17名が、福岡からおぢばに帰ることが出来ました。 大変寒い中でしたが、年祭に参拝できて、「ありがたかったね」「よかったね」「教祖に喜んで頂けたかな?」とお互いに喜び合い、その日の午後、大阪発のフェリーで帰るため、マイクロバスで詰所を出発しました。 しかし、ホッとした喜びもつかの間、奈良県と大阪の境目辺りの高速道路上で、前を走っているトラックがハザードランプの点滅を始めました。私たちが乗っているバスもゆっくりスピードを落としていきます。 どうやら渋滞に巻き込まれたようです。しばらくするとバスはぴたりと止まり、二車線とも全く動かなくなりました。 初めは年祭の影響で、交通量が多くて渋滞しているのかなと思っていましたが、消防車や救急車などの緊急車両が次々と路側帯を通り抜けて行きました。これは事故だ、しかもかなり大きな事故じゃないか…。 その時は、まだフェリーの出航時間まで余裕がありましたが、そのうちNEXCOの方が各車両に携帯用トイレを配り始めました。私たちのバスも人数分頂きましたが、その時に前方の事故の様子を聞いてみると、かなり大きな事故で、まだまだ通行できる目途が立たないとのことでした。 バスの中には、乳幼児、妊婦さん、ご高齢の方、がんの身上で横になっている方もいました。出港時間も迫り、だんだん心細くなってきました。 車内の誰かがスマホで調べると、トンネル内で、トレーラーとトラックが衝突し、車が横転したらしいと情報が入ってきました。私たちがいる場所から1.5キロ先に、トンネルが見えます。トンネルの中で車が炎上でもしたら、中の人たちが大変なことになると、皆で無事を祈りました。 ふと車の外を見ると、数人の女性が道路を歩いていました。何があったのか尋ねると、一キロ先に女性用の仮設トイレが設置してあるとのこと。私たちも車椅子の人を連れてバスを降り、一緒に歩きました。 高速道路を歩くなんて初めてで、ちょっと感動しました。しばらく歩くと、仮設トイレには200人ほどの長い列が出来ていました。並んで一時間近く経った頃、仮設トイレの容量がいっぱいになったらしく、携帯用トイレを使うしかない状況になりました。 私は余分に持っていたので、持っていない人がいないか確かめるため、並んでいる方一人ひとりに声を掛けていきました。すると、私の名前を呼ぶ声が聞こえました。 なんと列の中に、会いたいと思っていた、信仰を同じくする北海道の友人がいたのです。思いも寄らないことに驚き、感激のあまり、何度も何度も無事を確かめ合うかのように、抱き合いました。 私以外にも知り合いに会えた人や、トイレに並んでいる間に意気投合して友達になったりと、渋滞に巻き込まれたからこその出会いが多々ありました。 結局4時間後に通行止めは解除となりましたが、フェリーには間に合わず、陸路で福岡県へと戻ることになりました。 幸い、事故に遭った人たちは軽傷で済んだとも聞きました。大変なアクシデントではありましたが、その中でもバスの車内には笑顔がいっぱいでした。 「何が起こるか分からんけど、皆無事で良かったね」 「これも忘れられない思い出やね」 「護って頂いとるね」 と口々に喜び合い、教祖が最後の最後に私たちがもっともっと喜べるように、心一つになれるように、果たすべきことを与えて下さったのではないかなと思いました。 まさかの状況の中でも、不足することなく、誰を責めることもなく明るく過ごせたのです。そのみんなの姿を見て、本当にありがたく、嬉しく思いました。 無事に参拝できたこと。今こうして元気でいられること。それが、すでに大きなご守護。 普段何も起こらない日。無難で通らせて頂く日。それは〝何もない日〟ではなく、常に大きな難を小さくして頂き、小さな難を、何事もなく、無事にお連れ通り頂いている日なのだと感謝しました。 無難ではなく、小難という事故渋滞に敢えて関わらせ、見せて下さったお蔭で、普段どれほど護って頂いているかに、あらためてみんなで気づくことができました。 日を追うごとに、1月26日のことが映写機のように思い出されました。あの日の出来事、一つ一つが必要なことで、誰かとの関わりや様々な出来事は、教祖のお導きや後押しであり、どんな事も喜べる、陽気な心を作らせて頂いているのだなあと考えると、何だかワクワクして、心に灯りがともったように温かい気持ちになりました。 教祖は、いつでもそばでお護り下さっていると感じます。お姿は拝する事が出来なくても、たとえ気づかなくても、ご存命で、確実に。 教祖140年祭を終えた今、私自身まだまだ未熟ですが、何事もなく通れる当たり前のような一日が、大難を小難、小難を無難にして頂いていることを忘れず、どんな時も教祖の大きく温かい親心を自らも持てるよう、通らせてもらおうと思います。 教祖、ありがとうございました。 人類の母親 天理教教祖・中山みき様「おやさま」は、どんな人にも無限のやさしさと温かさで接せられました。教祖に一度でもお会いした人は、誰もが言葉に言い表せないほどの温かい親心を感じ、そして誰もが一瞬にして魂を奪われたといいます。 人類の親としての教祖のお心は、子供可愛い一条であられます。早く難儀な人をたすけてやりたい。その限りなく深い親心に、人々はまるで磁石に引き付けられるように、教祖のお屋敷を再々訪ねて行きました。そして、穏やかに接するばかりでなく、時に厳しく天の理をお諭しになりましたが、そのような時には一転して近寄り難く、恐れ多い偉大な存在であられました。 教祖の道すがらを記した『教祖伝』には、このように記述されています。 お声は、平生は優しかったが、刻限刻限に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。 教祖は、子供に対しても、頗る丁寧に、柔らか優しく仰せられたというが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた。神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝する。厳しく理を諭し、優しく情に育んで、人々を導かれた足跡に、教祖の親心を仰ぐ。 さて、明治十九年、教祖は八十九歳の時、櫟本分署へ十二日間拘留されました。深夜に及ぶ厳しい取り調べを受けられましたが、そんな中でも、目の前に菓子売りが通ると、退屈して居眠りをしている見張りの巡査に、その菓子を買ってあげたいと仰せになりました。 また、拘留中にも、刻限刻限にはお言葉がありました。お言葉が始まりかけると、巡査が付き添っている孫の梶本ひささんに、「これ、娘」と注意をし、ひささんが「おばあさん、おばあさん」と止めようとした途端、響き渡るような凛としたお声で、「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり」と仰せられました。 その語調は、全く普段の優しさからは思い及ばぬ威厳に満ちており、ひささんは、畏敬の念に身が慄えたといいます。(第八章「親心」) 教祖は、人類の母親として、広く深い親心をもって、私たち人間の成人をお見守り下される、温かく親しみやすい存在であられるとともに、時に恐れ多くも近づき難い、圧倒的なエネルギーに満ちた存在であられたのです。 この優しさと厳しさ、二つ一つの両面のひながたに、元の神・実の神の地上の現われとしての教祖の存在が実感されるのです。 (終)
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そのひと言があったから
そのひと言があったから 助産師 目黒 和加子 「よく、曲がらないで育ったもんだ。そんな環境にいたら、道を踏み外して不良になってもおかしくないよ」 私の生い立ちの話になると、夫のめぐちゃんは、切なさと不思議さが入り混じった顔でそう言います。 「不良になるチャンスは何回もあったわ。悪くなっていく同級生や先輩も身近にいてたし」 めぐちゃんと私が育った昭和50年代は、素行不良の中高生が続出し、校内暴力・家庭内暴力が社会問題になった時代。 「今日を限りにいい子はやめる!悪い仲間に入ってグレてやる!って決意したことがあってんけどね。そのひと言があったから、道を外さんと踏ん張れてん」 「へえー。そのひと言って、なに?」 昭和43年。私が4歳の時、父の事業が失敗。父は多額の借金を残し、浮気相手のホステスと蒸発。ヤクザまがいの借金取りが入れ代わり立ち代わりやって来て、一家心中寸前まで追い込まれました。 その後、大阪から遠く離れた父の所属教会に預けられ、次に信者さん宅に引き取ってもらい、半年後、大阪に戻りました。が、元の家ではなく、そこは親戚宅の三畳間。 事情を知らされていない私は、「パパはどこにおるの?」と母にたずねました。途端に母の顔がこわばり、つないでいる手が震え出したのです。 〝パパのことを聞いたらあかんのや〟。幼心に刷り込まれ、それからは言わなくなりました。 もちろん、母も父のことを一切口にしません。その後も別の親戚宅を間借りして、浮草のような暮らしが5年も続いたのです。 小学三年生の時、親戚宅から独立し、アパートを借りて母と私と弟の三人で暮らせるようになりました。母は生活と父の借金返済のため、看護師の仕事以外に内職もしていました。働きづめで余裕がなく、笑顔が消えていったのです。 「お母さんが暗い顔してる。なんとかせなあかん」 元気の出る明るい歌を笑顔で歌い、掃除、洗濯、アイロンがけに買い物、何でもしました。 「和加ちゃんが歌ってくれると心が明るなるわぁ。家のことをしてくれるから安心して仕事に行ける。ほんまにたすかるわ」と微笑む母。 「わ・か・ちゃん。あ・そ・ぼ~」 「今、お風呂の掃除してんねん」友達が誘いに来ても、あくまで家のことを優先。 「帰ってきたら、すぐお風呂に入れるようにしといたげよ」 母の笑顔見たさに懸命に家事をする、しっかり者のいい子だったと思います。 父のことはもっぱら親戚から聞かされました。 「自分がつくった借金を女房に丸投げして、ホステスと逃げる最低な人間や。お父さんみたいな人になったらあかんよ。あんな人でなし!」 父は周りの人を不幸にした張本人です。しかし、そんな親でも悪く言われると子供の心はえぐられ、次第に傷は深くなります。 中学生になって間もない頃、法事で親戚が集まりました。会社の社長をしていた親戚のおじさんが、酔った勢いで「和加ちゃん、お父さんに似てきたなぁ。横顔なんかそっくりや。あんたのお父さんは悪い奴でなぁ。有名大学を出てるから営業部長にしてやったのに、営業だと言ってキャバレーで会社のお金を使い込んだ。だから倒産したんや! 倒産が決まった時に『社長がバカだからこんなことになったんだ』なんて言いやがって!」そう言って、手元にあったおしぼりをテーブルに叩きつけたのです。 「すみません、すみません」小さくなってひたすら謝る母。その姿がみじめで情けなくて、〝お父さんのしたことやのに私にぶつけるんや。これからも言われ続けるんやろな。もう耐えられへん。いい子はやめる。グレてやる!〟と決意したのです。 さっそく、不良グループを観察。「どないしたら仲間に入れるんかなぁ」と探っていました。 そんなある日、夕食の片づけをしていると母が側に来て、ニコッと笑うと、「和加ちゃんが産まれた時、お父さんはすごく喜んだのよ」と言ったのです。父のことを一切話さない母が、しかも笑顔で。そのひと言だけ言って、隣の部屋に行ってしまいました。 産まれてきた我が子を見て喜ばない親はいないでしょうから、ごく当たり前のことを言っているだけですよね。しかし私にとっては、「私は望まれて産まれてきたんや、産まれてきても良かったんや、これからも生きていいんや」と、自分の存在価値を肯定してもらったと感じられる言葉だったのです。 なぜ、母はいきなりあんなことを言ったのか。おそらく親戚から罵倒され、苦々しい思いをしていた私に危うさを感じたのでしょう。このひと言は私の強力な踏ん張る力となり、これからも母のことを支え続けると決めました。 今から13年前、ひょんなことから父の住所が分かり、一人で会いに行きました。4歳で別れているので44年ぶりです。その後、時折お品物が届くようになり、手紙のやり取りをしていたところ、〝老健施設に入所したので、会いに来てほしい〟と書いてきました。 再会から10年以上が経ち、父は92歳になっています。これが最後になるだろうと、夫のめぐちゃんも一緒に来てくれました。耳が遠くなり聴こえないとのことなので、筆談出来るように紙とマジックを持って行きました。 介護士さんに付き添われ、エレベーターから降りてきた姿にびっくり! 小さくなって別人のようです。めぐちゃんと私に深々と頭を下げる父。ソファーに座って早速、筆談を始めました。 【お久しぶりです。主人も一緒に来ました。聞きたいことがあるのですが。私が産まれた時、お父さんはとても喜んだと母から聞きました。本当ですか?】 「本当です。本当です。初めての子だからとても嬉しかった」うなずき、身を乗り出す父。 【子供時代はつらいことが多かったですが、母から聞いたそのひと言にチカラをもらって踏ん張れました。今は優しい主人と幸せに暮らしています。この人生で良かったと思っています。そのことを伝えたくて…。お身体大切に。くれぐれもご自愛ください】 「情けない親です。申し訳ない。遠路はるばるありがとう。お二人ともお元気で」 短い面会が終わりました。 昨年、父は他界しました。この母のひと言があったから、道を外すことなく、今の幸せにつながっているのだと思います。 心に吹く風「〝結果〟よりも〝経過〟が大切」 私が住む熊本では最近、小中学校の運動会を五月に行うところが増えてきました。全国の公立小学校で、春に開催する学校の数が、秋の開催校を上回っているというデータもあります。入学したての一年生には少しばかり負担かもしれませんが、熱中症対策に加えて、競技を通じて新学年のクラスの団結が強まるという報告もあり、この傾向は今後も続いていくと思います。 運動会で考えたことがあります。「あれは体育の大会だから、クレームが出ないのではないか」ということです。 ご存じの通り、学校教育には「知育、徳育、体育」という三つの基本的な指針があります。たとえば、同じことを「知育」でやったらどうでしょう。 朝から全校児童が校庭に集められ、入場行進をする。家族が弁当を持ち込み、シートを敷いて声援を送る。本部テントに来賓を招いて席を作る。賑やかな音楽を流しながら、「せーの」で全員が〝計算ドリル〟や〝漢字の書き取り〟をして、一等賞の子をみんなで褒めたたえる―。こんなことをやったら、間違いなく保護者から「なんということを…」とクレームが来るでしょう。 「知育」ではだめで「体育」だから許される大会。こういう見方をしてみたら、また違った風景が見えてきます。なかには運動が苦手で、みんなが見守る前で一番最後を走るのが嫌な子だって、間違いなくいるはずなのです。 私はかつて、子供が通う小学校のPTA会長をしていたとき、運動会の開会式で、こんなあいさつをしました。 「おはようございます。待ちに待った運動会、楽しみにしていた人もいるでしょう。でも、かけっこはちょっと苦手だな、という人もいると思います。 ところで、みんな〝名探偵コナン〟って知っていますか? 見た目は小学生の子供が、次々と難しい事件を解決し、犯人を見つけていく。アニメだけどすごいなって思います。でもあれ、最初から犯人が分かっていたら面白いですか? また、野球やサッカーの試合をテレビで見ますよね。あれは、結果だけ分かればいいのなら、なにも試合の中継を見なくても、あとでニュースを見ればいいですよね。なんで、あんなにテレビの試合に熱中するのでしょう。 実はみんな、〝結果〟よりも、どうしてそうなったかという〝経過〟が大切だと知っているのです。だから、その経過に熱中するんです。 いいですか。今日の運動会では勝つ人、負ける人が出ます。でも、その結果よりも、もっと大切なことがある。それは、その結果が出るまでに、自分が、また自分のチームが、どれだけ頑張ったかという経過です。昨日の練習よりも、前を行く人との差をちょっとでも縮められたら、そのときは自分に大きな拍手を送ってくださいね」 同じことは大人の私たちにも言えると思います。現代は「勝ち組」と「負け組」に分かれ、結果を出さなければ生き抜けない世の中だといわれています。しかし、本当に大切なのは、〝結果〟として失敗しないことよりも、その結果が出るまでの〝経過〟です。負けない人間、失敗しない人間などいません。しかし、その失敗から何かを学ばないと、次も同じところで失敗を繰り返してしまいます。 実は、テレビドラマに出てくる女医さんではありませんが、「失敗しない」秘訣があります。それは、失敗を失敗で終わらせないこと。失敗した段階では「まだ終わっていない」と思うことです。その失敗から多くを学び、それが次の成功につながったとしたら、その失敗は、成功への〝経過〟にすぎません。 神様は、可愛いわが子である人間に、時には病気や悩み事など、苦しい思いをさせられることがあります。しかし、それは本当の幸せへ導かれる〝経過〟なのです。それを信じて、神様の思いに気づき続ける心を保ちたいものです。 (終)
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