EPISODE · Feb 10, 2026 · 33 MIN
#044「念仏する者を必ず助ける(念仏の回数や時節は関係ない)という本願であれば、念仏している私は必ず救われると安心してよいのでしょうか?」(頂いた質問)
from ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について) · host yamamoyama
#044 今回は、前回43回目の質問をされた方から、前回を聞いた上での質問を頂きました。 以下質問 ーー 話の中で出てくるご文 ①「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。(尊号真像銘文・浄土真宗聖典註釈版P643) ⇒阿弥陀さまは、第18願文に、「乃至十念」と、称名念仏を勧めておられますが、 念仏する者を必ず助ける(念仏の回数や時節は関係ない)という本願であれば、念仏している私は必ず救われると安心してよいのでしょうか? 信心と念仏の関係が、今ひとつ理解(整理)できていないので、お聖教を根拠に、信心と念仏の関係を教えていただけると、ありがたいです。 ②しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生する也。 (西方指南鈔・大胡太郎実秀に与ふる書・浄土真宗聖典全書3-P997) ⇒「ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし」 という法然上人のお言葉ですが、これは、私が称名念仏することによって、信心決定するという意味合いでしょうか? 私の口から出る称名念仏(南無阿弥陀仏)を、私の耳で聞いて(南無阿弥陀仏と聞いて)、お念仏一つで(南無阿弥陀仏一つで)、浄土往生(念仏往生)できると確信(安心)できたのが、他力信心なのでしょうか? こちらも、称名念仏と信心(真実信心・他力信心)の関係性についての疑問になりますので、 ①と②を合わせて、また、ネットラジオ版安心問答で、お話しを聞きたいです。 ーー 今回話の中で出てきたご文 信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。(親鸞聖人御消息7・浄土真宗聖典註釈版P749) --- 質問・感想はブログ、メール、質問箱、メールにてお願いします。安心問答ー浄土真宗の信心について(https://anjinmondou.hatenablog.jp) [email protected] X(@anjinmondou)https://x.com/anjinmondou Peing(質問箱)https://peing.net/ja/anjinmondou
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