EPISODE · Mar 1, 2026 · 26 MIN
#046「信心獲得すると、同じ仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を聞いても、おとぎ話や作り話ではなく、真実(事実)の話として、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?」(頂いた質問)
from ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について) · host yamamoyama
今回は#045からの質問です。 ーーー 45回目の質問された方からの追加の質問です。 (略) そこで、この疑いは、本願疑惑心なのか? それとも、疑煩悩なのか? いくつか具体例を挙げてみたいのですが、 親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願を疑い自らはからう心を、本願疑惑心と定義されているようですが、 たとえば、 因果の道理を信じられない心や、 私が六道輪廻(流転輪廻)をしている存在であることが信じられないこと、 阿弥陀仏の存在や極楽浄土の存在が信じられないことなどは、本願疑惑心になるのか? それとも、疑煩悩になるのか? 知りたいです。 未信の私にとっては、因果の道理や六道輪廻、阿弥陀仏の存在や極楽浄土の存在が、信じられません。 また、仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を聞いても、おとぎ話や作り話としか思えず、まるでファンタジーの世界の話を聞いているようです。 仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を何度聞いても、感想は同じです。リアル感が全くないです。 これが、信心獲得すると、同じ仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を聞いても、おとぎ話や作り話ではなく、真実(事実)の話として、疑いなく聞けるようになるのでしょうか? それとも、信心獲得しても、仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)は、おとぎ話や作り話、ファンタジーのような話のままなのでしょうか? その辺の話を、またネットラジオ版安心問答で話していただけると、ありがたいです。 -- ○話の中で出てくるご文 ・自然法爾章 無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときは、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。 質問・感想はブログ、メール、質問箱、メールにてお願いします。 安心問答ー浄土真宗の信心について [email protected] X(@anjinmondou)https://x.com/anjinmondou Peing(質問箱)https://peing.net/ja/anjinmondou
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