EPISODE · Mar 7, 2026 · 24 MIN
#047「死後の行き先である、極楽浄土のことも何も分からず、仏に成るとは、どういうことかも分からず、親さまと呼ばれる阿弥陀さまのことも分からずに、「ただ本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ということだけなのでしょうか?」(頂いた質問)
from ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について) · host yamamoyama
今回は#046を聞かれた方からの質問について話をしました。 以下質問 ーーー 因果の道理や六道輪廻は、仏教全般に言える教えで、これは阿弥陀仏の本願の内容とは、直接的には関係がないから、本願疑惑心ではなく、疑煩悩であるということが分かりました。 また、阿弥陀仏の存在や極楽浄土の存在については、 そもそも、阿弥陀仏は、無上仏であり、色も形もない、真如(法性)そのものであり、信心獲得したからといって、凡夫に阿弥陀仏のことが分かるということはないと知らされました。 極楽浄土についても同じで、実際に信心獲得しても、極楽浄土が目に見えるようになるわけではなく、また確認のしようがないので、これもまた凡夫には極楽浄土の世界は分からないと知らされました。 しかし、そうすると、凡夫である私たちは、仏教で教えられている因果の道理や、六道輪廻のこと、また阿弥陀仏の存在や極楽浄土の世界のことなど、何も分からないまま、死後(後生)は、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ、仏に成るのでしょうか? 死後の行き先である、極楽浄土のことも何も分からず、仏に成るとは、どういうことかも分からず、親さまと呼ばれる阿弥陀さまのことも分からずに、 「ただ本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ということだけなのでしょうか? 獲信者と未信者の違いは、本願を疑いなく聞けているか?聞けていないか?の違いだけで、その他は何も変わらないのでしょうか? また、ネットラジオ版安心問答で、お話しをしていただけると、ありがたいです。 ーーー ○話の中で出てくるご文 ○唯信鈔文意【4】 大涅槃と申すにその名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。(浄土真宗聖典註釈版P709) <前後> 「極楽無為涅槃界」といふは、「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり、曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。「涅槃界」といふは無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。「界」はさかひといふ、さとりをひらくさかひなり。大涅槃と申すにその名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。(浄土真宗聖典註釈版P709) (略) 阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。(浄土真宗聖典註釈版P710) ○唯信鈔文意【3】 ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。(浄土真宗聖典註釈版P707) 質問・感想はブログ、メール、質問箱、メールにてお願いします。 安心問答ー浄土真宗の信心について [email protected] X(@anjinmondou)https://x.com/anjinmondou Peing(質問箱)https://peing.net/ja/anjinmondou
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#047「死後の行き先である、極楽浄土のことも何も分からず、仏に成るとは、どういうことかも分からず、親さまと呼ばれる阿弥陀さまのことも分からずに、「ただ本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ということだけなのでしょうか?」(頂いた質問)
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