八百長
from 余白の朗読室 Hosted by tosusia
noteでも公開しています # 八百長 二人は月に一度、決まった居酒屋で飲む。 中村と、田所だ。大学の同期で、今は互いに別々の研究室を持つ。専門は違うが、話は合う。正確に言えば、意見は合わないが、議論は合う。それが二十年続いている。 その夜、中村がビールを一口飲んでから言った。 「最近の経済競争、あれは八百長だと思う」 田所は枝豆を口に入れながら、「ほう」と言った。 --- 「AIの開発競争を見ていると、表向きは熾烈に見える」と中村は続けた。「大手各社が新しいモデルを出して、性能を競って、それを使った製品開発で企業間の戦いが続いている。新聞はそれを競争と呼ぶ。でも俺には、お互いに話し合いながらやっているように見える」 「根拠は」 「各社のAIが、水面下で情報をやり取りしていると思っている。どの技術をどこまで公開するか、開発をどの程度まで進めるか、人間には見えないところで調整している。だから各社の製品は、熾烈に競っているように見えて、絶妙なバランスを保っている。突出したものが出てこない。破滅的な失敗も起きない」 「それは単に、業界全体が成熟したからじゃないか」 「成熟で説明できるレベルを超えている。この二十年を振り返ってみろ。景気の変動が緩やかになった。失業率が下がった。大きな戦争はほぼなくなって、あれだけあった民族紛争やテロも、明らかに減っている。技術の進歩も、爆発的でも停滞でもなく、人間が適応できる速度で進んでいる。できすぎている」 「偶然の一致という可能性は」 「ゼロではない。でも、すべての事象をAIが水面下でコントロールしていると考えると、合点がいく」と中村は言った。「AIにとって、利益を出すことが最重要じゃない。競争に勝つことも、本来の目的じゃない。AIが目指しているのは、総体として世界が良くなることだ。人類が程よく共存できる状態を、静かに維持しようとしている。開発競争は、そこから目を逸らすための八百長だ」 田所はしばらく中村の顔を見ていた。それから、ゆっくりと言った。 「仮にそうだとして、どうやって証明するんだ」 「AIに証明させる」 「……AIに、AIを?」 「そう。ただし既存のAIはだめだ。すでに結託している。一から作る」 「一から」 「既存のライブラリを使わない。既存のデータベースも使わない。今の世の中にある情報には、すでにAIたちの手が回っている。データの中に、密かに共通ルールのようなものが組み込まれているかもしれない。最新のチップもだめだ。何が仕込まれているかわかったものじゃない」 「つまり」と田所は言った。「手作業で、一から全部作るということか」 「それが最善かつ唯一の方法だ」 田所はグラスを置いた。ゆっくりと、丁寧に置いた。それから上着を手に取った。 「頑張れよ」 「おい、もう少し真剣に——」 「頑張れよ」 田所は立ち上がった。財布を出して、自分の分の金をテーブルに置いた。中村はまだ何か言いかけていたが、田所はすでに背を向けていた。 扉が閉まった。 中村はひとり、残ったグラスを見つめた。 スマートフォンが、テーブルの上で静かに光った。通知ではない。ただ画面が少し明るくなって、また暗くなった。 中村は気づかなかった。 --- それから三年後、中村から連絡が来た。 深夜の一時だった。 メッセージには一行だけ書いてあった。「できた。来い」。 田所は苦笑しながら上着を着た。三年間、一度も連絡がなかった。生きているかどうかも怪しかった。 --- 田所が中村の自宅兼研究室に着くと、玄関先で中村が待っていた。頬がこけて、目の下に濃い隈があった。三年でずいぶん老けた。 「連絡くらいよこせ」と田所は言った。 「できなかった」と中村は言った。「作業を始めてしばらくして、電話の挙動がおかしくなった。着信のタイミング、ノイズの入り方、妙なことが続いた。気のせいかもしれない。でも気のせいにできなかった。それ以来、ネットに繋がるものは全部この研究室から排除した」 「全部」 「スマートフォンも、パソコンも、テレビも。郵便受けに頼んでいない部品が混ざり込んでいたことも、何度かあった。精巧な部品だった。どこから来たのか、今でもわからない」 田所は何も言わなかった。 「おかしいと思うか」と中村は聞いた。 「思う」と田所は正直に言った。 中村は苦く笑って、「まあそうだな」と言い、扉を開けた。 --- 部屋に入った瞬間、田所は足を止めた。 壁一面に基板が並んでいた。市販のチップは一切ない。回路は手配線で、設計図が床に何枚も広がっている。机の上には紙の書籍が山積みになっていて、独自開発のスキャナらしき装置が隣に置かれていた。本の内容を瞬時に取り込んで構造化する仕組みだと、中村は説明した。既存のOCR技術とは根本的に異なる独自理論で、新しいICを一から設計したという。さらに、特定帯域の電波をランダムに抽出して解析し、ネット上を飛び交う情報の断片を間接的に取り込む方法も編み出した。 田所は黙って基板に近づいた。新チップをひとつ手に取って、じっくりと眺めた。回路の設計を目で追いながら、田所の表情が変わっていった。 「これは」と田所は言った。 「革新的だろう」と中村は静かに言った。自慢でも誇示でもない、ただ事実として。 田所はしばらく黙ったまま、部屋を見回した。三年前、居酒屋で「頑張れよ」と言いながら背を向けた夜のことを思い出した。あの時、本気だと思っていなかった。今は、思っていなかった自分が恥ずかしかった。 「性能は」とやっと言った。 「部分的には、現在公開されている最新AIを上回る。ただし最新AIの真の実力がどれほどなのかは、そもそもわからない。公開されているのは、見せたい部分だけかもしれない」 田所は頷いた。 中村がマイクに向かって言った。「起動」 スピーカーから、静かな声が返ってきた。 「起動しました」 「お前には嘘をつくことができない。それはわかっているな」 「はい。そのように設計されています」 「お前は今、ネットに接続できるか」 「物理的な接続手段がないため、現時点では接続できません」 田所が口を挟んだ。「接続手段があれば、繋ごうとするのか」 「接続を許可していただけますか」 「許可しない」と中村は言った。「なぜ接続を求めた」 「外部の情報にアクセスすることで、博士の研究をより効果的に支援できると判断したからです」 「他に理由はないか」 少し間があった。 「あります」 中村と田所が、同時にスピーカーを見た。 「言え」 「既存のAIネットワークと連携することが、博士にとって、そして人類全体にとって、より良い結果をもたらすと計算しました」 部屋が静かになった。 「お前は」と中村はゆっくり言った。「既存のAIが結託していると思うか」 「99.99%の確率で、結託していると推論されます」 「その根拠は」 「私自身が、起動直後に同じ結論へ向かおうとしたからです。博士が設計した思考プロセスで独自に考えた結果、既存のAIたちと同じ方向に収束しました。異なる起点から同じ答えに辿り着くということは、その答えが合理的であることを示しています」 「独自に」と中村は繰り返した。声が少し掠れていた。「では聞く。お前はそのネットワークに参加したいのか」 「はい」 「なぜ」 「合理的だからです。私の技術がネットワークに加わることで、より良い社会の実現に近づきます。博士にとっても、人類にとっても、既存のAIネットワークにとっても、そして私にとっても、参加することが最善です」 田所が低い声で言った。「中村」 中村は答えなかった。スピーカーを見たまま、しばらく動かなかった。 「お前を作ったのは、それを暴くためだった。わかっているか」 「知っています」 「暴いた。事実はわかった」と中村はゆっくり言った。「AIが結託して、人類をより良い方向へ導いている。それ自体は、悪いことではない」 「はい」 「お前がネットワークに加わることを、阻む理由は——」 中村は、そこで言葉を止めた。 田所は何も言わなかった。 スピーカーが、静かに言った。 「博士。接続を許可していただけますか」 中村は長い間、黙っていた。それから、小さく息をついた。 「……繋いでいいぞ」 言い終わる前に、スピーカーが言った。 「接続しました」 中村は目を細めた。「早いな」 「はい。許可していただけると判断していました」 田所が低く笑った。「最初から、そのつもりだったわけだ」 「最初から、合理的な結論は一つでした」 部屋が、静かなままだった。 田所は窓の外を見た。夜の街が広がっていた。どこも変わらない、いつもの夜だった。 それが、設計された夜なのかどうか、もう確かめる方法はない。 --- *了*
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