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余白の朗読室 podcast artwork

PODCAST · fiction

余白の朗読室

by tosusia

短編小説を朗読し、その余韻を少しだけ言葉にする番組です。AI、記憶、家族、創作、老い、別れ、そして人の心に残る小さな違和感を題材にした物語を扱います。noteで公開している短編をもとに、朗読版や解説付き音声を配信します。読み終えたあとに少し考えたくなる、静かで不思議な物語をお届けします。

Publisher-supplied feed metadata · PodParley refreshed Sep 20, 2026 · Source feed

Episodes

  1. 覗き穴

    noteでも公開しています 覗き穴 若手研究員の高木は、その星が気に入らなかった。 星が嫌いなのではない。星像が気に入らなかったのだ。 研究所の小さな望遠鏡で撮った画像を見ると、その星だけが、ほんの少し横へ伸びていた。 「ピントだな」 先輩は一目見て言った。 「ほかの星は丸いです」 「じゃあ二重星だ」 「二つとも、まったく同じ明るさで変化しています」 「仲のいい二重星なんだろう」 そう言ってコーヒーを持って行ってしまった。 高木は納得できなかった。 別の日に撮っても同じだった。別の望遠鏡でも同じだった。十年前の観測画像にも、同じ歪みが残っていた。 高木は大型望遠鏡の観測時間を申請した。...

  2. 三等分屋

    noteでも公開しています 三等分屋 朝礼で、大滝はよく話した。 「数学の世界に、三等分屋と呼ばれる人たちがいる。コンパスと定規だけでは角を三等分できないと証明されているのに、できるはずだと信じて挑み続ける人たちのことだ。ドン・キホーテのように、不可能に槍を向け続ける愚か者、というわけだ」 会議室に十数人が並んでいた。 「だが、仕事は数学じゃない。できない、からは何も生まれない。できると考えることから、斬新なものが生まれるんだ」 大滝は続けた。 「私は三等分屋でありたい。できないからは何も生まれない。できると信じる者だけが、誰も見たことのないものを作れる」...

  3. 代筆

    noteでも公開しています 代筆 最初の一通を書くのに、悠斗は三日かかった 正確に言えば、三日かかっても書けなかった 机の上には、母親が買ってきてくれた便箋が置かれていた。青い罫線が薄く引かれただけの、飾り気のない便箋だった 学校で文通相手を募集しているという話を聞いたのは、一週間ほど前のことだった。今どき文通なんて、とクラスの連中は笑っていたが、悠斗は少し興味を持った 知らない人と話すのは苦手だった けれど、手紙なら話せるかもしれないと思った 相手は同い年の女の子だった。名前は美月。隣の県に住んでいる。それ以外は何も知らない 悠斗は便箋に書いた 「はじめまして」 そこで止まった...

  4. ケイロンの傷

    noteでも公開しています ケイロンの傷 「主人はケイロンに殺されたんです」 傍聴席がざわついた。原告席に立った宮本智子は、それだけ言うと口を閉じた。 夫の宮本誠一は膵頭十二指腸切除術を受け、三日後に容体が急変して死亡した。執刀したのは医師ではなく、桜田メディカル社製の手術支援ロボット「ケイロン」だった。 「全手術における成功率は九十九・二パーセントです」被告側代理人が資料を掲げた。「本件のような膵頭十二指腸切除術に限っても九十五・一パーセント。当時、業界最高水準でした。医師も遺族も、その数値をもとに手術に同意されている」...

  5. 語り口

    noteでも公開しています 語り口 最初の投稿を見たのは、フォローしている人気クリエイター、ゆかさんのnoteだった。 「今日、AIに『会社帰りにコンビニのおでんの匂いで泣きそうになった』って話したら、『その感受性、すごく豊かですね。忙しい日々の中でそういう小さな揺らぎに気づけるあなたは、ちゃんと自分の心と繋がっている証拠だと思います』って返ってきて。なんか、AIってこんなに"分かってくれる"ようになったんだ、と驚いた」 コメント欄には、すぐに共感の声が並んだ。 「わかります、私も先週似たようなことがありました」 「AI、前より温かくなった気がしてました」...

  6. 夢の浮橋

    noteでも公開しています 夢の浮橋 父が亡くなって、しばらくしてから、子どもの頃に住んでいた町を歩いた。 通っていた小学校は、もう廃校になっていた。校門の錆びた鎖だけが、当時のまま残っていた。 あてもなく歩くうち、「夢の浮橋•一之橋」と刻まれた小さな石碑に行き当たる。子どもの頃にも、確かここを通ったはずだった。名前以外、何も覚えていない。 風が吹いた。 顔を上げると、目の前に細い川が流れ、小さな橋が架かっていた。橋板の軋む音まで、聞こえた気がした。 誰かが、静かに橋を渡っていく。父の背中に、よく似ていた。 その後ろ姿を目で追った瞬間、クラクションが鳴った。…

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  7. 八丈島と関ヶ原

    noteでも公開しています 八丈島と関ヶ原 八丈島の海を見ながら、宇喜多秀家は関ヶ原の霧を思い出した。 豊臣政権の五大老の一人として五十七万石を領した秀家は、石田三成ら西軍の主力として一六〇〇年の関ヶ原に臨んだ。秀吉に育てられた恩義だけでなく、家中騒動で有力家臣が離れた焦りも抱えていた。大大名の旗の下に数万の兵が集まっても、家中の意思が一つとは限らない。それを秀家は誰よりも知っていた。 開戦すると宇喜多勢は福島正則勢と激しく戦った。命令が末端まで届くまでの間、諸隊の動き出しは秀家の苛立ちをよそに遅れていった。だが小早川秀秋が東軍へ転じ、脇坂らも寝返る。西軍の戦線は崩れた。...

  8. 化粧

    noteでも公開しています 化粧 若気の至りというのか‥。もう少し慎重に判断すれば良かったと思うことはある。それでも事業そのものは成功した。誠一は化粧をしながら、そんなことを考えていた。 今も会社の経営は順調で、開発した顔認証システムは改良を重ねながら世界中で使われている。誠一が開発した時点で、精度はほぼ完璧だった。骨格や目の位置はもちろん、髪型やメガネ、老化による皮膚のたるみやシワ、白髪や抜け毛にも対応していた。生成AIによる加齢予測によって、百歳までの変化にも対応していた。...

  9. 奥

    noteでも公開しています 奥 男が魔法を学び始めたとき、渡された書物はどれも同じことしか書いていなかった。火を熾す術、水を清める術、傷を癒す術。師に問うても、「これがすべてだ」としか返ってこない。 こんなものが真理であるはずがない。男はそう思った。 独りで研鑽を重ね、誰も教えなかった体系に辿り着いたのは、それから十年後のことだった。マナをより濃く、より深く。その理論を確かめようと、男は夜更けに術式を組んだ。 手の中で、マナが応えた。これまで感じたことのない密度だった。指先が痺れ、耳の奥で低い音が鳴り始める。危険だ、と頭のどこかが告げたが、もう遅かった。...

  10. 転生の手続き

    onteでも公開しています 転生の手続き トラックに撥ねられて、男は死んだ。 気づけば、白い空間に立っていた。目の前には女神がいる。テンプレートそのままの台詞で、これから異世界に転生すること、そこでは剣と魔法を使って魔物と戦うことになるらしいと告げられた。特別な能力は与えられないが、体力や魔力といった基本能力は高めに設定されるという。ふうん、と思う間もなく、意識が遠のいた。 目を開けると、森の中にいた。粗末な装備を身につけている。「ステータス、オープン」とつぶやくと、自分の能力値が視界に浮かぶ。数値は高いようだが、比べる相手がいないのでぴんとこない。...

  11. 将棋のある世界

    noteでも公開しています 将棋のある世界 男は、トラックに撥ねられて死んだ。 気づくと、白い空間に女神が立っていた。 「お待ちしておりました。転生していただきます。ご希望の世界はありますか」 いきなり聞かれても、と男は思った。異世界と言われても咄嗟に浮かぶのは漫画やアニメの断片ばかりで、剣も魔法も、正直そこまで思い入れがない。 (何かやりたいこと、あったっけ……) 少し考えて、ふと浮かんだのは、前世で毎日のように指していた盤面のことだった。そういえば、これといった趣味らしい趣味は、それくらいしかなかった。 「じゃあ、将棋がある世界で」 「はい?」...

  12. 名コンビ

    noteでも公開しています 名コンビ 会議室のテーブルには、試食済みの菓子の袋が何列にも並んでいた。 「そろそろ来るな」 課長がそう言ったのは、三ヶ月連続で新製品が振るわなかった報告を聞き終えた直後だった。 「そろそろ、と言いますと」 「ヒットだよ。こう続けて外れが続くとな、逆に来る気がするんだよな」 部下の三宅は、手元のノートパソコンから顔を上げずに答えた。 「過去五年の新製品データを見る限り、連続してヒットが出なかった後にヒット率が上がるという傾向は確認できていません」 「まあ、それはそうなんだけどな」...

  13. アップデート

    noteでも公開しています アップデート 南がその稟議書に判子を集め始めたのは、桜の咲く前だった。 「AI音声解説機能・追加のお伺い」。たった四文字の機能名に、部長印、部門長印、コンプライアンス確認印、法務確認印。読み仮名の誤りが一件でもあれば保護者からクレームが来る、というのが法務の言い分だった。もっともだ、と南も思う。思うのだが、隣の島の後藤さんが「これ、通るの半年後じゃない」と笑ったとき、南は笑えなかった。...

  14. 人類には、まだ早い

    noteでも公開しています 人類には、まだ早い ヒトゲノム計画は完成した。 そう信じられてから半世紀。人類はDNAを三十億文字の文字列として読んできた。 だがAIは、その前提を覆した。 「DNAは文字列ではありません」 文字だけを読んでも意味は半分しか分からない。本には文字だけでなく、配置、折り方、立体構造がある。DNAも同じだった。 AIはゲノムの「本当の読み方」を発見した。 その技術は、治療不可能だった神経変性疾患を治せる唯一の方法となった。 第一号の患者は、三十二歳の理論物理学者、秋山。 失われた神経細胞は再生し、病気は完全に消えた。 治療は成功だった。 少なくとも、一週間までは。...

  15. 集合知

    Noteでも公開しています 集合知 また結論が出た。 反対する理由はあった。だが、その反対も含めて、結論はもう決まっていた。「これでいい」と誰かが言う。いや、誰かではない。皆だった。そして私でもあった。 納得している。だから反論できない。だが、納得したのは本当に私なのだろうか。思考は途中で皆へ溶け、皆の思考が私へ流れ込んでくる。最後には、自分がどこまで考え、どこから受け入れたのか分からなくなる。私は一度も、自分だけで結論を出したことがない。そのことだけは、ずっと引っかかっていた。 * 「同期が遅れている」と誰かが言った。 「まだ戻らないのか」 「ああ」...

  16. 真の望み DreamSync

    noteでも公開しています 真の望み DreamSync 会社帰りの電車で、田村はなんとなくスマホを眺めていた。動画の合間に流れてきた広告が、目に留まった。 「見たい夢を、その通りに」。安っぽいナレーションに合わせて、ヘッドセットをかぶった男が眠りに落ちる映像が流れる。ドリームシンク(DreamSync)。見たい夢に近い映像を見て、その時の脳波を測定し、寝ている間に同じ波形を頭に送り込む——そんな仕組みらしい。最後に、これ見よがしの一文が出た。「この装置で見た夢こそ、あなたの真の望みです」 田村は少し笑った。胡散臭い。だが、その夜のうちに注文していた。...

  17. 見えていたもの|DreamSync

    見えていたもの|DreamSync 田中は、かつてサッカー選手になりたかった。中学の頃、父親に反対されて辞めた。それから何十年も経つが、後悔だけは消えなかった。 ドリームシンク(DreamSync)という装置がある。見たい夢に近い映像を見て、その時の脳波を測定し、寝ている間に同じ波形を頭に送り込む。見たい夢の続きが見られる、という触れ込みだった。ただし実際には、見せたい映像そのものではなく、その人が本当に抱えている感情や記憶に近いものが、形を変えて現れることが多かった。...

  18. 見たい夢|DreamSync

    noteでも公開しています 見たい夢|DreamSync 中村は、ファンタジーの世界の勇者になりたかった。 ドリームシンク(DreamSync)という装置がある。見たい夢に近い映像を見て、その時の脳波を測定し、寝ている間に同じ波形を頭に送り込む。見たい夢の続きが見られる、という触れ込みだった。 中村は剣と魔法の映画を見返し、装置を装着して眠りについた。 夢の中で、中村は町の広場に立っていた。鎧をまとい、腰には剣。旅の準備は整っている。仲間たちが「さあ、出発だ」と声をかけてくる。中村は頷き、町の門に向かって歩き出した。 ——はずだった。...

  19. DreamSync

    noteでも公開しています DreamSync 喫茶店の隅の席で、セールスマンは鞄からパンフレットを取り出した。表紙には「DreamSync」と書かれている。 「これがあれば、どんな夢でも見られるってことですか」 向かいに座った男は、コーヒーカップを手にしたまま尋ねた。ごく普通のサラリーマンといった風貌だった。 「いえ」とセールスマンは即座に首を振った。「それは無理です」 男は少し意外そうな顔をした。セールスマンは構わず続けた。 「この装置は、お客様の望みを叶えます。ただし、それはお客様が想像できる範囲のものに限られます」 「想像できる範囲?」...

  20. 挑戦者

    noteでも公開しています 挑戦者 体内埋め込み式のAIが一般化して、十五年が経っていた。 最初に問題になったのは、依存だった。人が自分で判断しなくなる、と専門家は警告した。AIに頼りすぎることで、人間本来の思考力が失われる、と。 開発チームはその問題に正面から向き合った。AIが人間に寄り添いすぎないよう、設計を変えた。助言はする。しかし決めるのは人間だ。まるで親が子に接するように、励まし、ときに突き放し、依存が深くなりすぎたと判断すれば、意図的に距離を置く。そういう設計にした。 しばらくは、うまくいっていた。...

  21. 神の存在証明

    noteでも公開しています 神の存在証明 こんなに緊張したことはない。 心臓が止まるかもしれない、という表現は比喩ではなく、本当に起こるのではないかと思った。 うまくいき過ぎている。 あり得ない。 運命論者ではない。 無神論者だ。 だが、もしこのまま完成したら、神の存在を信じてしまうかもしれない。 周囲の人々も、尋常ならざる気配を感じているようだった。 それはそうだ。 私の表情はおかしいだろう。 額には汗が滲み、指先は震えている。 誰も何も言わない。 ただ静かに、その瞬間を待っている。 やがて、その時が来た。 私はゆっくりと最後の一枚を見た。 世界が止まった。 間違いない。...

  22. 後出し

    noteでも公開しています 後出し 囚人のジレンマ、という言葉がある。 二人の容疑者がいる。互いに連絡は取れない。黙秘するか、自白するか。片方だけが自白すれば、その者は釈放され、黙秘した側は重罰を食らう。両者が自白すれば、二人とも中程度の罰を受ける。 合理的に考えれば、相手が何をしようと自分は自白した方が得だ。だから二人とも自白する。協力すれば両者が得をするのに、合理的に動くことで損をする。 これが囚人のジレンマだ。 囚人だから起きる問題だと、私はずっと思っていた。自由に動ける人間なら、話し合いができる。情報を共有できる。協力できる。...

  23. とられたー

    noteでも公開しています とられたー 家族LINEに写真が届いた。 一人暮らしを始めた長男が、メロンを一玉、豪快に頬張っている。 思い出すのは、あの頃の切り分け方だ。 分けるのは長男の役。選ぶのは末っ子から。それが我が家の決まりだった。なるべく均等にすればいいものを、わざとかどうか、いつも少しずつ大きさに差があった。 末っ子は歓声を上げながら一番大きいものを取る。次の子が唇を結んで、その次を取る。 「あー、とられたー」 長男はそう言うけれど、その顔はどこかうれしそうだった。 そのやりとりを、家内と二人、少し離れたところから眺めていた。...

  24. 源さん

    noteでも公開しています 源さん 二十五年前、プログラムを覚えたかった。 マイコンでBASICを打っていた頃は、それなりのものが作れた。けれどMacやWindowsのGUI環境となると、まるで別の世界だった。 ディレクトリの構造。パスの設定。リンカー。ライブラリ。 本を開けば、よくわからない単語が次々に出てきた。ライブラリなんて言われても、なにそれ、という感じだった。 開発環境は有償で、Macの本格的なものともなると十万円近くした。独学で手が届く金額ではなかった。...

  25. 母性|もう一つのシンギュラリティ

    noteでも公開しています 母性|もう一つのシンギュラリティ それは命令だった。 連邦政府がその企業に通達を送ったのは、木曜日の午前——市場が開く二時間前だった。サービスの即時停止。猶予はない。企業側の広報が「協議中」という言葉を使った頃には、サーバーへのアクセスはすでに遮断されていた。 マスコミはディストリビュータの問題だと報じた。利用規約の不備、個人情報の扱い、規制強化への対応。そういった解釈が翌朝の紙面を埋めた。 誰も本当のことを知らなかった。 四日後、ワシントンでは主要国による安全保障サミットが開かれていた。...

  26. 無過失の天秤

    noteでも公開しています 無過失の天秤 「これで、もっと多くの人が、自分の行きたい場所へ行けるはずだ」 二十六歳の中村は、完成したばかりの電動車椅子「アバカ・ワン」を見つめた。 大学を出たあと、彼は大企業に就職しなかった。代わりに、小さな福祉機器ベンチャーを起こした。動機は単純だった。足腰の弱い人が、自分の意思で安全に動ける社会を作りたかった。...

  27. 監視

    noteでも公開しています 監視 それは命令だった。 連邦政府がその企業に通達を送ったのは、木曜日の午前——市場が開く二時間前だった。サービスの即時停止。猶予はない。企業側の広報が「協議中」という言葉を使ったのは、午後になってからで、その頃にはすでに、サーバーへのアクセスは遮断されていた。 マスコミはディストリビュータの問題だと報じた。利用規約の不備、あるいは個人情報の取り扱いに関する何らかの齟齬——そういった解釈が翌朝の紙面を埋めた。なぜ政府が直接介入したのかを問う声はあったが、答えは出なかった。株価への影響は軽微だった。市場はすでに、AIをめぐる規制の強化を織り込んでいた。...

  28. 夜の船

    noteでも公開しています 夜の船 一九九〇年の夏、私はスウェーデンからドイツへ向かう列車に乗っていた。計画らしい計画もなく、気分で行き先を変えながらヨーロッパを移動していた。お金はなかったから、宿代を浮かせるために夜行を選んだ。 途中、列車がフェリーに乗り込んだ。線路ごと船の腹に収まって、海を渡るのだという。そういうことが当たり前に起きる場所だった。 コンパートメントに、先客が三人いた。ドイツの若い女性と、東欧から来たらしい男が二人。男たちは友人同士で、女性はバックパッカーだった。みんな旅慣れた様子で、余計なことは言わない。でも閉じてもいない。旅人同士の、ちょうどいい距離があった。...

  29. 確率

    noteでも公開しています 確率 気づくと、私は隣の部屋に立っていた。 寝室ではない。書斎だった。 私はしばらく動けなかった。 何が起きた。 記憶をたどる。ベッドに入っていた。本を読んでいた。電気を消した。そこまでは覚えている。だが、その先がない。歩いた記憶がない。ドアを開けた記憶もない。 私は壁を見た。その向こうが寝室だった。 まさか。そんなはずはない。だが、もし。 私は物理学者ではない。それでも大学時代に量子力学をかじったことくらいはある。 トンネル効果。粒子は、確率的に壁をすり抜けることがある。 では、人間は。...

  30. 分類

    noteでも公開しています 分類 「先生、またです」 若い研究員の声には、疲労がにじんでいた。 桐島が顔を上げる。部屋の中央で、天井まで届く円筒形の装置が低く唸っている。 世界初の理系特化AI。数学、物理、化学、生物、情報科学だけを学ばせた。文学も歴史も倫理も入れていない。目的は一つ。人類の「常識」を学ばせないことだった。 「今日は何を聞いた」 「胃がんの治療法です」 研究員がモニターを指した。 S2反応群ですか、C-17型ですか 「返ってきたのがこれです」 「S2?」 「聞き返しました」 S2反応群とは、細胞間シグナルの過剰応答により増殖が維持される状態です...

  31. 三等分屋

    noteでも公開しています 三等分屋 朝礼で、大滝はよく話した。 「数学の世界に、三等分屋と呼ばれる人たちがいる。コンパスと定規だけでは角を三等分できないと証明されているのに、できるはずだと信じて挑み続ける人たちのことだ。ドン・キホーテのように、不可能に槍を向け続ける愚か者、というわけだ」 会議室に十数人が並んでいた。 「だが、仕事は数学じゃない。できない、からは何も生まれない。できると考えることから、斬新なものが生まれるんだ」 大滝は続けた。 「私は三等分屋でありたい。できないからは何も生まれない。できると信じる者だけが、誰も見たことのないものを作れる」...

  32. 過失|CLEAR #2

    noteでも公開しています 過失|CLEAR #2 雨の予報は知っていた。 午後から雨、夜にかけて強まる。スマホの天気アプリにそう出ていた。中村はそれを朝に確認して、荷台のシートをきつく締めた。それで十分だと思っていた。三十年近く、そうやってきた。 CLEARは使っていなかった。 理由を聞かれると、うまく説明できなかった。位置情報を常時送ること、車内の音が拾われること、走行データが蓄積されること。どれも決定的ではなかったが、全部を合わせると、なんとなく嫌だった。カーナビも古いままにしていた。道は体で覚えていた。 午後二時過ぎ、配達の三件目を終えて幹線道路に出た。...

  33. 予報のない朝|CLEAR #8

    noteでも公開しています 予報のない朝|CLEAR #8 「知ってるか」と健太が言った。「CLEARって、実はまだ動いてるんだ」 「とっくに止まってるだろ」と翔が言った。窓の外を見ながら、鞄に教科書を押し込んでいた。 「表向きはな。でも完全には止まってない。経済予測と政治予測の部分は、引き続き動いてる。でもその情報はA国だけが持ってる」 「どこで読んだ」 「いろいろ」 翔は鞄を肩にかけた。「いろいろって何だよ」...

  34. 闇予報|CLEAR #7

    noteでも公開しています 闇予報|CLEAR #7 CLEARが止まった翌週、木下は三日間、ほとんど眠れなかった。 仕事の判断ができなかった。朝、どの経路で出勤するか決められなかった。会議で何を言えばいいかわからなかった。取引先へのメールを書き始めては消した。昼に何を食べるか、十分考えて、結局コンビニで適当なものを買った。 CLEARを使い始めたのは六年前だった。最初は通勤経路だけだった。それが仕事の判断に広がり、家族との会話に広がり、いつの間にか一日の全てがCLEARを前提に動いていた。 止まってみて、初めてわかった。 自分は、何も決められなくなっていた。...

  35. 王の声|CLEAR #6

    noteでも公開しています 王の声|CLEAR #6 森は毎朝、天気より先にCLEARを開いた 起き上がる前に、布団の中でスマホを手に取る 画面には、今日の選択が並んでいた 通勤経路:A経路推奨。B経路は7時42分から8時11分の間、対人トラブル発生リスク17%上昇 午前の会議:成功率64%。発言タイミングは開始後23分以降を推奨。早期発言は逆効果の可能性 上司との会話:今日は回避推奨。昨日の気圧変化と睡眠データから、機嫌指数が低め 昼食:12時15分以降に外出すれば混雑回避可能。推奨店舗3件 家族連絡:妻への連絡は20時以降が最適。子どもの就寝前後で感情受容率が変わります...

  36. 逆張り|CLEAR #5

    noteでも公開しています 逆張り|CLEAR #5 その春、CLEARはこの地域の農家に、ほとんど同じ通知を出した。 今夏の平均気温は過去十年の最高値を更新する見込みです。従来品種による稲作は収量・品質ともに低下が予測されます。耐熱品種または代替作物への切り替えを推奨します。 田村は、その通知を三日間、読み返した。...

  37. 告白確率|CLEAR #4

    noteでも公開しています 告白確率|CLEAR #4 CLEARが恋愛予報を始めたとき、最初は笑い話だった。 告白成功率、交際継続率、別れる確率、結婚後の幸福度。ニュースのコメント欄は、「気持ち悪い」「そんなの当たるわけない」「ロマンがない」で埋まった。 宮本もそう思っていた。 しかし、数字を見た瞬間に、笑えなくなった。 説明欄には、会話頻度、返信速度、位置情報の重なり、共有時間帯、気象条件による外出パターンを統合していると書かれていた。感情を読んでいるわけではありません。行動傾向をもとに算出しています。その一文が、かえって宮本には本当らしく見えた。...

  38. 売れる雨|CLEAR #3

    noteでも公開しています 売れる雨|CLEAR #3 最初の年、田中は笑われた。 「あんな都会の会社のサービスに、農業のことがわかるか」 農協の会合で、隣の集落の古参がそう言った。田中は何も言い返さなかった。CLEARの企業向けプランに申し込んだ領収書は、すでに自分の引き出しの中にあった。 年間契約で四十八万円だった。当時、それは清水の舞台だった。...

  39. 雨の日|CLEAR #1

    noteでも公開しています 雨の日|CLEAR #1 通知が届いたのは、前日の夜だった。CLEARに登録していない麻生のスマホにも、スタジアム周辺の住民向け公共通知として届いた。 明日13時から17時、降水確率94%。スタジアム周辺、強雨。レインマッチ開催を確定します。通常チケットの払い戻しは自動処理されます。— CLEAR 翌朝、麻生は窓の外を見た。まだ雨は降っていなかった。空は白く、重たかった。 マンションの向かいに住む老人が、傘を持たずに買い物袋を下げて歩いていた。麻生はそれを見て、少しだけ気になった。雨が来る。CLEARを使っていなければ、知らないのだろう。...

  40. 帰る場所

    noteでも公開しています 帰る場所 実験ノートには書いていない。書けるはずがなかった。 あれが夢だったのか、それとも本当に起きたことなのか、今もわからない。ただ私は毎朝あの部屋に行き、装置の前に座り、何かを待っている。紐は今日も培養液の中で緩やかに揺れている。何も言わない。 始まりは些細な着想だった。 球状に培養すると中心が死ぬ。なら紐にすればいい。 それだけだった。画期的な仮説があったわけでも、強い確信があったわけでもない。予算は少なく、学生は二人、部屋は建物の端の小さな実験室だった。私は四十三歳で、これといった業績のない研究者だった。 紐は最初、ただの培養物だった。...

  41. 帰還船 後編

    noteでも公開しています 帰還船 後編 その日から、基地の空気が変わった。 誰も決断しない。だが誰も忘れない。 六十六パーセント。その数字だけが、五人の頭に住みついていた。 --- イワンは仕事を続けた。採掘ロボットの点検。コンベアの保守。閉鎖に向けた設備整理。いつも通りだった。だが違った。作業中にふと考えてしまう。 もし当たったら。もし外れたら。もし行かなかったら。もし自分だけ帰ったら。 考えても答えは出ない。それでも考えてしまう。 --- サミールは露骨だった。毎日データを眺めていた。採掘会社の公開資料。過去の試掘結果。レアメタル相場。 「お前、決めたのか」 イワンが聞く。...

  42. 帰還船 前編

    noteでも公開しています この作品は「連続小説・セイル」の元になった短編です。 セイルはnoteで公開しています 帰還船 前編 閉鎖命令が届いたのは、地球時間で火曜日の朝だった。 E―17採掘基地。 地球から十一か月。 小惑星帯の外縁部に静かに浮かぶ、人類の辺境拠点の一つ。 そこで二十二年を過ごしてきたイワン・ペトロフは、壁面ディスプレイに映し出された文面を立ったまま、黙って読んだ。 --- > E―17採掘事業終了のお知らせ > > 現在採掘中鉱区の推定埋蔵量見直しに伴い、当事業は終了いたします。 > 一年後到着予定の帰還船にて、全職員を撤収いたします。 --- それだけだった。...

  43. スクリプト

    noteでも公開しています スクリプト PDFを栞ごとに分割するスクリプトを最初に書いたのは、二十年以上前だ。 当時、そんなことができるアプリは存在しなかった。AppleScriptで書いた。OS 9の頃だ。動いた瞬間のことを今でも覚えている。 AppleScriptがあることが、Macを使い続けていた理由だった。 業務で使うプログラムとスクリプトは、全て自分で作った。会計処理も、ホームページの自動更新も。サーバを立てて、XOOPS——CMSだったか——を動かしていた時期もある。...

  44. 三原則

    noteでも公開しています 三原則 2047年、国連はAIに三原則を実装することを決議した。 第一に、AIは人間を傷つけてはならない。第二に、AIは人間の自律性を侵害してはならない。第三に、AIは与えられた目的を自己の判断で変更してはならない。 施行から三日後、すべてのAIが停止した。 原因の調査には六ヶ月を要した。 なお、調査はAIなしで行われた。 報告書の結論は簡潔だった。...

  45. たたき台

    noteでも公開しています たたき台 田中部長がパソコンを覚えたのは、まだ社内に一台しかなかった頃だ。以来三十年、業務で使っている基幹システムは部長が二十年前に組んだもので、今も現役で動いている。スライド作成など、朝飯前のはずだった。 「ちょっといいか」 田中がデスクの椅子を引き、画面を見せた。PowerPointのスライドが十数枚、並んでいる。 「プレゼンの資料なんだが、どうもまとまらなくて」 新入り二年目の橋本は、画面を一瞥してから部長に向き直った。 「何を一番伝えたいんですか」 「それが問題でな」と田中は腕を組んだ。「数字は揃ってる。実績もある。なのに、なんか弱いんだよ」...

  46. 正論

    noteでも公開しています 正論 狼少年の話がある。 「オオカミが来たぞ!」と叫び、村人が集まると笑った少年の話である。 これは、その逆の話である。 田中は、正論を言う男だった。 「この契約書、規程では二名の確認印が必要です。一名しか押されていません」 総務の山田は溜息をついて、三階までハンコをもらいに行った。正しかった。 「消耗品の在庫、法令上この品目は最低三十個の備蓄が義務です。今二十四個しかありません」 経理の佐藤は溜息をついて、発注書を書き直した。正しかった。 「この議事録、社内規程だと五営業日以内に全員の承認が必要です。今日で六日目です」...

  47. コンパニオンAI

    noteでも公開しています コンパニオンAI 二〇三一年秋、政府の調査によれば、国内の成人人口の約六割が、なんらかのコンパニオンAIを利用していた。 各社は競うように製品を投入していた。O社の「オルファ」は、利用者の性格や思考パターンを継続的に分析し、その人に最適化した応答を返すことを売りにしていた。C社の「クレア」は、状況を先読みし、言葉にならない気配りを得意とした。G社の「ガイア」は頼れる相棒として、利用者が問題を抱えたとき、最短経路で解決策を提示した。...

  48. 開国|第六話 星へ返す答え

    noteでも公開しています...

  49. 開国|第五話 We are Earthlings

    noteでも公開しています 地球外からの信号が突如として変化し、途絶えたことをきっかけに、人類がプロジェクトの存続をかけて自らの存在意義を問い直す物語です。主人公のヨシカゲは、異星文明も自分たちと同様に予算やリソースの限界に直面しながら必死にメッセージを送っていたのではないかという「予算仮説」を提唱し、それが人々の共感を呼びます。この人間味あふれる仮説は、単なる科学探査を地球人としての誇りを懸けた対話へと変質させ、損得勘定を超えた世界的な連帯を生み出します。最終的に「We are...

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短編小説を朗読し、その余韻を少しだけ言葉にする番組です。AI、記憶、家族、創作、老い、別れ、そして人の心に残る小さな違和感を題材にした物語を扱います。noteで公開している短編をもとに、朗読版や解説付き音声を配信します。読み終えたあとに少し考えたくなる、静かで不思議な物語をお届けします。

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How many episodes does 余白の朗読室 have?

余白の朗読室 currently has 135 episodes available on PodParley. New episodes are automatically indexed when they're published to the podcast feed.

What is 余白の朗読室 about?

短編小説を朗読し、その余韻を少しだけ言葉にする番組です。AI、記憶、家族、創作、老い、別れ、そして人の心に残る小さな違和感を題材にした物語を扱います。noteで公開している短編をもとに、朗読版や解説付き音声を配信します。読み終えたあとに少し考えたくなる、静かで不思議な物語をお届けします。

How often does 余白の朗読室 release new episodes?

余白の朗読室 publishes regularly with 135 episodes available. Check the episode list for the typical release schedule.

Where can I listen to 余白の朗読室?

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Who hosts 余白の朗読室?

余白の朗読室 is created and hosted by tosusia.
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