EPISODE · Jun 7, 2022 · 1H 16M
BC039「現代のインターネット環境と退屈の哲学」
from ブックカタリスト
今回は三冊の本を紹介しました。* 『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)』* 『暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)』* 『何もしない』書誌情報はAmazonなどで確認してもらうとして、話の要旨をまとめておきます。導入なぜ「退屈」に注目するのか?「どう生きるのか」とは、「どう時間を使うのか」にパラフレーズできる。そして現代では「有意義なこと」に時間を使ったほうが言い、という風潮がある。でも、はたして本当にそうなのだろうか。そんな天の邪鬼な観点から「退屈」に注目する。一つの前提として、この社会は「資本主義」にどっぷり浸かっており、それ以外の社会をうまく想像できなくなっている、という点がある。ITツールやネットメディアは私たちに「環境」を提供してくれているが、それが「正しい」のか(あるいは適切なものなのか)は、判然としない。むしろ、あまり良くないのではないか、という懸念も多い。その観点も含めて、退屈の哲学を用いて考えていきたい。『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)』簡単にまとめれば、これまでの「退屈の哲学」を振り返りながら、現代に特有の「退屈」状況を考察し、その問題点を指摘する一冊。ポイントは、退屈にいくつかの区分を設定したこと。* 哲学の起源としての退屈* 精神分析的退屈* 政治的退屈* 「創造的」退屈* ネオリベラル的退屈一番最後の」「ネオリベラル的退屈」は、著者が本書で設定した用語。その中核をなすのが「インターフェース」という概念。IT用語としては一般的だが、著者は「入り口(しかないもの)」という含意で用いている。人を誘い込む入り口でありながら、そこからはどこにもいくことができない。人はその場所に留まり続けることになる。TwitterやYouTubeなどでも、特に何かを見たいわけではないのに、延々とスクロールしているときがある。そうしたとき、私たちはネオリベラル的退屈にはまりこんでいる。その退屈は、実際は「手持ちぶさた」なわけではない。何かをしているし、ちょっと興奮もしている(ドーパミンが出ている)。しかし、深い満足感も納得感もそこにはなく、むしろ少しのいらだちや妬みが心に忍び込んでくる。それを解消するために、再び新しい投稿を求めてスクロールしたり、いらないものをスワイプで消したりしていく。まさに現代的な「退屈」の在り方であり、そういう退屈に入り込んでいるとき、「退屈とは何か」「自分とは何か」「人生とは何か」という(哲学的な)問いに人は向き合うことがない。その意味でも、「どこにも出口がない」退屈である。『暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)』今回の中核をなす本で、面白いのでぜひ読んでいただきたい。著者はさまざまな考察を繰り広げるが、一番のポイントはハイデッガーの退屈論を引き受けながらも、それをさらに展開させている部分。ただし、そこに至るまでに「退屈」に関する前提をいくつか押さえておく必要がある。* 人類は最初移動していたが、途中から定住するようになった* 移動する生活では毎日新しい風景に出会い、認知的処理を行わなければならなかったが、定住生活ではそれが不要になった* つまり、定住生活では認知エネルギーが余ってしまう→退屈が感じられる* 私たちは「退屈」を気晴らしでやり過ごそうとする* 気晴らしは熱中できるものであれば何でも構わない(苦しいものであっても人は選択する)* むしろ、楽しいものを選ぶためには訓練された能力が必要かもしれない* かつての有閑階級はそうした能力を持っていた(暇はあるが退屈ではない生き方があった)* そうした能力を持たない人は、苦しいものを選ぶしかなくなる* ただ、どちらにせよどんな気晴らしも効果がない根源的な退屈がある* 「なんとなく退屈だ」がそれだ* それは根源的であるがゆえに気晴らしでやり過ごすことはできず、私たちはその問いに直面せざるを得なくなる* そこから哲学的な思考が始まる* だから、そうした退屈を通り抜けて決断せよ、それが人間が自由であることだとハイデッガーは言った* しかし、著者はその点を問題視した上で、さらに退屈についての論を深めていくここからの展開が非常にスリリングである。環世界と人間の自由の話も面白いので通読されたし。『何もしない』時間の関係であまり取り上げられなかったが、本書も非常に面白く、「奇妙」な一冊。「何もしない」というタイトルであるが、本当に何もしないことを(つまりサボタージュを)進めているわけではない。ある種の「効果的」な行為を行わない、というくらいのニュアンス。結局のところ「効果的」とは、ある基準で測定可能な行為であり、そういう単純な行為は容易に資本主義にとらわれてしまう。だからこそ、「何もしない」。意義ある行為をしないことで、結果的に意義ある行為にたどり着く、というちょっと禅的な感じもある。「生産性」ばかりを求めると、私たちは失敗する。考え方が単純化し、二項対立にとらわれてしまうからだ。だから、そこから距離をとる必要がある。資本主義に投げやりになるのではなく、かといってそのゲームに従順になるわけでもない。資本主義の中にいながらも、その外を想像できるようになるために。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
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