EPISODE · May 27, 2026 · 15 MIN
凪の道
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています# 凪の道 家の前の道路が舗装し直された。 工事自体はよくある話だ。うるさいな、と思いながら仕事をして、終わればそれで忘れる。今までそうだった。でも今回は、終わってから気になった。 仕上がりが、きれいだった。 アスファルトが植木鉢の際までしっかり収まっている。段差をなくすための三角の板も、ちゃんと動かして、その下まで舗装してある。以前の工事では、そういうものを避けて、周りだけ雑に直してあることがあった。誰も気にしないから、それで通る。でも今回は違った。道路が、真っ平らだった。 白線が引かれる前の夜、遅くに外へ出た。 雨が少し降っていた。舗装したてのアスファルトが、雨に濡れて黒く光っていた。油を引いたような光沢だった。周りの家の明かりはほとんど消えていて、わずかな街灯だけが路面に反射していた。車道と歩道の区別もまだない、真っ黒な一枚の面。それが、静かに光っていた。 凪いだ夜の海に見えた。 道路が綺麗だと思ったのは、初めてだった。白線が引かれれば、ただの道路に戻る。この顔をしているのは、今夜だけだ。--- 舗装工事の仕上がりを、誰かが褒めることはない。道路は、きれいであることが当たり前で、きれいにした人間は見えない。作業した人も、それをわかった上でやっているだろう。評価されるとは思っていないはずだ。 それでも、これだけの仕事をした。 誰に言われたわけでもなく、見られているわけでもなく、ただ自分の仕事に対して、手を抜かなかった。その痕跡が、真っ黒な道路の上に残っていた。 伝えたい、と思った。あなたの仕事は、ちゃんと誰かに届いていると。でもそれはできない。作業した人はもういないし、そもそも声をかけたところで、戸惑わせるだけだろう。 それでいい、とも思う。--- 翌朝、白線が引かれていた。 きれいな道路は、きれいな道路として、当たり前の顔をしていた。昨夜の海は、もうどこにもなかった。 鞄を持って、その上を歩いた。誰も褒めない仕事を、誰かがこれだけ丁寧にやった。それを知っている人間が、ここにいる。それだけで、今日の仕事に向かう足が、少し違う気がした。---*了*
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