EPISODE · Apr 19, 2026 · 21 MIN
光の子として歩みなさい(稲葉基嗣) – ヨハネ 12:27–36
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年4月19日 復活節第3主日説教題:光の子として歩みなさい聖書: ヨハネによる福音書 12:27–36、イザヤ書 8:23–9:6、詩編 27、エフェソの信徒への手紙 5:6–14説教者:稲葉基嗣 -----イエスさまは、一体、どのような意味で私たちにとっての光なのでしょうか。ヨハネは「私は心騒ぐ」(27節)と述べるイエスさまを紹介しています。イエスさまが心を騒がせたのは、十字架の上での死へと向かっていたからでした。これから自分を待ち受けているであろう、そんな苦難への道にイエスさまの心が騒がないわけがありませんでした。それは一見、闇の中で光り輝く存在として私たちのもとに来た、神の子であるイエスさまが結局、闇に勝たなかったと伝えるような出来事です。でも、人々が闇の勝利と思えるような出来事を通して、神がイエスさまをすべての人の光として提示することをヨハネはこの物語を通して伝えています。イエスさまは、ご自分の死について、次のように言いました。「私は地から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」(32節)。「上げられる」という言葉に、イエスさまはふたつの意味を込めました。ひとつは、十字架にかけられ、そして息を引き取ること。もうひとつは、その十字架の死の後に、神によって命を与えられ、復活し、天に昇り、神のもとへと帰っていくことです。このため、イエスさまが「上げられる」ことは、闇の勝利の象徴ではなくなりました。力による支配も理不尽な暴力も死も、最終的な勝利者でいられなくなりました。どこまでも神を信頼し、愛と憐れみを追求したイエスさまが力を振るうのではなく、十字架の暴力をその身に引き受けた結果、イエスさまは再び命を得たからです。そして、神によってイエスさまが復活の命を得たばかりでなく、すべての人がイエスさまのもとへと引き寄せられていくからです。イエスさまはご自分のもとへ引き寄せた人たちを光の子と呼んでいます(36節)。イエスさまが与えた光のうちに生きるようにと、すべての人は招かれています。光の子って、具体的には、どのような人々を指すのでしょうか。イエスさまの歩みを考えるならば、それは何よりも暴力に依存しないことでしょう。また、主イエスの愛や憐れみを行動基準とすることこそ光の子として歩むことです。多くの人たちにとって、現代社会はきっと、光よりも、闇が広がっているように思える世界だと思います。でも、そんな世界を主イエスは諦めず、傷つきながら、その生命を差し出すほどに愛し、光で照らし出してくださいました。私たちの光として、私たちの世界を照らし出すために来てくださいました。主イエスという確かな光を見つめながら、その光をこの世界に分かち合っていくことが私たちにはできます。
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