EPISODE · Jan 18, 2026 · 24 MIN
過去が及ぼすもの、未来が与えるもの(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:17–27
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年1月18日 公現後第2主日説教題:過去が及ぼすもの、未来が与えるもの聖書: ヨハネによる福音書 11:17–27、イザヤ書 43:16–20、詩編 121、ペトロの手紙 一 1:3–9説教者:稲葉基嗣 -----過去は、私たちに大きな影響を与えます。私たちがそれぞれ過去に経験したことは、私たちの人格や生き方、そして物の考え方などを大きく形作っています。でも、過去の出来事や経験が常に良い形で働くわけではありません。過去の辛い出来事は、人の心を暗くします。時には、長い間消えない傷を与えます。それは、ヨハネ福音書の物語の中に登場する人々の間でも見られることです。ベタニアの村とマリアとマルタが、ラザロの死に悲しむ様子をヨハネは描きます。ベタニアに到着したイエスさまの顔を見ると、マルタはイエスさまに言いました。「もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(21節)もしイエスさまが早く来てくれたならば、状況は変わっていたのではないだろうか。それは、自分の兄弟であるラザロを失った、マルタの悲しい叫び声でした。イエスさまは、そんな彼女の視点を別の場所に移そうとされました。イエスさまはマルタに「あなたの兄弟は復活する」(23節)と語りかけます。イエスさまは、過去ではなく、また現在の悲しみでもなく、未来に目を向けるようにと、マルタに促しました。過去の後悔、苦悩、悲しみが私たちのすべてを決定づけるのではありません。私たちは復活の命にあずかる日、天のみ国へとたどり着く日へ向かっています。復活の命は何よりも、神が私たちを愛し、決して見捨てないという、神からの永遠の愛のしるしです。「あなたは神に心から愛されている、尊い神の子どもだよ。」復活の命にあずかり、天のみ国に生きる希望は、そんな風に未来から現在の私たちに向かって、力強く語りかけています。そんな未来の希望にしっかりと目を向けるために、イエスさまは自分を見つめるようにと、伝えました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」(25節)それは、復活の命を私たちに与え、私たちの命を豊かなものとするために私たちのもとに来てくださった、イエスさまを信頼してくださいということです。この希望を受け止める時、私たちを規定するものは過去だけではなくなります。復活の命にあずかる希望こそが、私たちを決定づけます。それは、私たちが過去に経験した、どんな傷も、悲しみも、悩みも、すべて主キリストにあって、回復へと向かっていく希望となっているからです。ですから、私たちは過去の出来事に留まり続ける定住者ではありません。神に愛されながら、天に目を向けて、天の御国を目指して歩き続ける旅人です。
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過去が及ぼすもの、未来が与えるもの(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:17–27
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