EPISODE · Aug 29, 2026 · 20 MIN
教会、それは友の交わり(石田学) – ローマ 16:6–16
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年8月23日 三位一体後第12主日説教題:教会、それは友の交わり聖書: ローマの信徒への手紙 16:6–16、イザヤ書 52:7–10、詩編 84、ヨハネによる福音書 15:13–15説教者:石田学 -----聖書は、実に多彩な言い方で教会の交わりを表現しています。兄弟姉妹、キリストの肢体、神の民、神の家族、牧場の羊の群れ、仲間、友、天に国籍を持つ同国人、世を旅する民、聖徒・・。聖書には、なぜこれほど多様な表現が出てくるのでしょうか。それは神の民である教会の交わりがあまりに豊かで包括的なので、いくつかの言い方だけで語り尽くすことができないからです。これだけ豊かな言い方で互いの交わりを体験できる共同体は、この世のどこにも、他には存在していません。どの言葉も教会の交わりの本質を言い表しています。しかし、中でも「友」という言い方は特別です。主イエスご自身が弟子たちを友と呼ばれたからです。「あなたがたは私の友である」「私はあなたがたを友と呼んだ」。この言葉は主イエスと弟子の関係だけでなく、弟子たち同士の関係でも同じであるはずです。誰が偉いか、誰がイエス様の隣にすわるか、誰が支配者か、そんな上下や比較とは無縁の、対等で慈しみあう関係が友です。そしてこの関係性こそ、最初から最後まで教会の本質です。教会とは、主イエスの友とされた者たちの交わりだからです。パウロは、そのような友の交わりを生きる人々の名を挙げたのです。さて、教会の歴史の中でその業績と名声が燦然と輝くパウロですが、彼の生涯は最初から最後まで、苦難と危機、挫折と苦悩の連続でした。パウロの福音を否定する人々の陰謀や迫害に苦しめられました。何度も逮捕され、4年以上投獄され、最後にローマで処刑されました。失意、落胆、敗北、囚人、それがパウロの晩年を特徴づけています。人間的にはパウロの生涯は不幸であり敗北者のように見えます。しかし、それではパウロは孤独で不幸だったのでしょうか。ローマ書の挨拶は、パウロが得ていた教会の交わりを証言しています。愛し愛され、祈り祈られ、支え支えられる友の名を列挙するのです。命の危険を感じる困難の中で、パウロは彼らとの交わりを想起します。ただ祈ってほしいと願うだけでなく、困難の中で彼らのために祈るのです。パウロほどでなくとも、いつかわたしたちも困難と苦難の道を歩みます。その時、孤独と失意に終らず、信仰の友との交わりに生き、生かされるか、それがわたしたちの生涯がどのようなものかを結論づけることでしょう。生涯の最後まで友に祈られ、友のために祈る、それがわたしの願いです。
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教会、それは友の交わり(石田学) – ローマ 16:6–16
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