EPISODE · Jul 28, 2026 · 23 MIN
キリスト者は一人で荒野を行くか(石田学) – ローマ 16:1–5
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年7月26日 三位一体後第8主日説教題:キリスト者は一人で荒野を行くか聖書: ローマの信徒への手紙 16:1–5、ゼカリヤ書 9:9–10、詩編 47、ルカによる福音書 17:20–21説教者:石田学 -----キリスト教信仰には、古代から二つの大きな流れがありました。主イエスの弟子たちは共に主に従い、共に主の群れとして生きました。他方、世と人を離れ、神との関係だけを生きようとする人たちがいました。どちらか一方だけが正しいのではなく両方ともが大切で必要なのでしょう。しかし、日本の教会は長く、「わたしと神」の関係を強調してきました。一人で聖書を読み、祈る孤独な信仰は、あたかも一人で荒野を行くようです。だが、主イエスは最初から弟子を集め、共に生き共に旅しました。二、三世紀に孤独な隠修士が大勢出ましたが、すぐ修道院へと発展しました。弟子たちの群れは最初から、共に荒野を行くことが本質だったからです。きょうの聖書箇所に、フェベ、プリスカとアキラ、エパイネトが登場します。パウロは彼らのことをとても愛情溢れる仕方で紹介しています。フェベはパウロが滞在していた、コリントの隣町ケンクレアイの聖職者です。フェベは、パウロの手紙をローマに携えていく使者に選ばれました。彼女は「姉妹」「多くの人の援助者、特にわたしの援助者」と紹介されています。プリスカとアキラは、コリントでパウロと出会い、同労者となりました。パウロは彼らを「命がけでわたしを守ってくれたこの二人」と呼びます。エパイネトは「わたしの愛する、アジア州の初穂」と呼ばれています。パウロが教会でどのような交わりを持っていたかがよくわかります。彼らのような仲間なしには、パウロは働きを続けられなかったはずです。多くの試練、迫害、落胆に満ちた荒野の旅は、一人旅ではありませんでした。パウロはこの交わりに支えられ、彼らに絶大な信頼と喜びを抱いてきました。神の民とされ、神の家族とされた、共に荒野を行く兄弟姉妹がいる。支え合い、喜びと悲しみを分かち、共に祈り、共に礼拝する神の家族がある。その交わりがあればこそ、パウロは荒野の旅を続けることができました。もちろんパウロは、教会の仲間たちに過ちや欠点がないとは思っていません。意見の対立や感情的な衝突、考えの相違があったことは手紙から明らかです。だが、それらを超える霊的な交わり、天の国籍を持つ仲間でした。改めて問います、キリスト者は一人で荒野を行くのでしょうか。いいえ、わたしたちにとっても教会はまったく同じ意味を持っています。主キリストと共に生き、慈しみと愛を分かち、共に荒野を行く仲間がいます。目指すは同じ天の故郷、その幸いをわたしは今、ここで実感しています。
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キリスト者は一人で荒野を行くか(石田学) – ローマ 16:1–5
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