EPISODE · May 29, 2026 · 15 MIN
クレジット
from 余白の朗読室 · host tosusia
# クレジット 小説が最初だった。 生成AIによる作品が、人間の書いたものと区別がつかなくなったのは三年前のことだ。続いてイラスト、絵画、漫画。人間とAIの棲み分けが静かに、しかし確実に形成されていった。そしてその波が映画にまで来た。 実写と見分けのつかないAI映像が、従来の百分の一以下の予算で作れるようになった。大作映画ほど影響は深刻だった。大掛かりなセットを組んで、何百人ものスタッフを動員して撮る映画は、もう作られなくなるかもしれない——そう言われ始めていた。 黒岩徹はその流れに抗うように、カメラの前に立ち続けた。--- 制作費二十五億。スタッフ三百名。主演二人はアジア圏で最も顔の売れた俳優だった。映画界が黒岩に託したのは作品だけではなかった。人間が作る映画はまだ終わっていないという、その一点の証明だった。 黒岩自身もそう信じていた。 AIを全否定するつもりはなかった。視覚効果の一部にはすでに取り入れていたし、ロケハンの代替映像を生成させることもあった。ただ、本当に人の心を動かすものは、汗をかいた人間が、リアルな光の中で作るものだという確信が、黒岩の中から消えたことは一度もなかった。--- 五ヶ月目に入って、脚本が止まった。 第四稿が上がらない。黒岩は毎朝ホワイトボードに向かい、昼には全部消した。スタッフの顔から余裕が消えた。主演の片方が別の仕事のオファーに動き始めているという話も耳に入ってきた。 撮影は続いていたが、核心の部分だけが空白のままだった。--- その夜、黒岩は忘れ物に気づいて撮影所に戻った。 廊下を歩いていると、試写室のドアの隙間から光が漏れていた。 ドアを開けると、スクリーンに映像が流れていた。前の座席に、若いスタッフの背中があった。気づいていない。黒岩は声をかけようとして、止まった。 画面から目が離せなかった。 映像はCGだった。一目でわかった。しかし構図と間と、人物の動きの呼吸が——黒岩が五ヶ月間白板の前で探していたものが、そこにあった。自分の想像の、さらに向こうに。 黒岩は後ろの席に静かに座った。最後まで見た。--- 翌朝、そのスタッフを呼んだ。「お前が作ったのか」「はい」「AIか」 スタッフは一瞬、躊躇うように視線を落とした。「ストーリーは自分で考えました。AIとやり取りしながら深めていって、映像の見せ方も同じやり方で。プロンプトは全部自分で打ちました」「なぜ作った」 少し間があった。「映画が好きで……いつか自分も監督をやってみたいと思っていて。その練習のつもりで。誰かに見せるつもりは全くありませんでした」 スタッフは膝の上で手を握っていた。「監督の現場で働かせてもらっていながら、こんなものを作っていたことは……本当に申し訳なかったと思っています。試写室の機材も、無断で使いました。本当に申し訳ありませんでした」 直接そう言いながら、その目は黒岩ではなく床を向いていた。尊敬している相手の顔を、まともに見られないようだった。深々と頭を下げた。 黒岩は少し間を置いた。田中誠、と胸のネームプレートにあった。「勝手なことをするな」 それだけ言って、返した。 部屋を出た後、黒岩はしばらく廊下に立っていた。AIとやり取りしながら積み上げていく、あのやり方。もう少し若ければ、という言葉が一瞬だけ頭をよぎった。自分にはない柔軟さだった。それは認めるしかなかった。ただ、その感情は長くは続かなかった。自分がこれまで積み上げてきたものへの信頼が、それ以上の揺らぎを許さなかった。妬みとも呼べない、ほんの一瞬の翳りだった。 ストーリーの骨格は使うことにした。迷いがなかったわけではない。名前も知らなかったスタッフの仕事を、自分の映画の中心に据えることへの躊躇は確かにあった。しかし、あの映像が示したものを否定する言葉を、黒岩はどこにも見つけられなかった。良いものは良い。それだけだった。長いキャリアの中で黒岩が守り続けてきた、ただ一つの基準だった。映像は自分で撮り直した。この映画の背骨は、名前も知らなかった一人のスタッフが作ったものになった。 黒岩はその後、何度もあの映像のことを考えた。田中が特別だったのか。それとも、ああいう人間はずっとどこにでもいたのか。下積みという名の時間の中に埋もれたまま、誰にも気づかれずに消えていった才能が、これまでにどれだけいたのか。AIは物語を作った。しかし同時に、今まで掘り起こせなかった何かを、地面の中から引き出しもした。黒岩にはそう思えた。そしてそれを見抜けなかったのは、自分たちだったとも。--- 完成試写会の囲み取材で、記者がエンドロールのことを聞いた。脚本協力に見慣れない名前がある、田中誠とは誰か、と。 黒岩はマイクを持ったまま少し黙った。「このストーリーを作ったのは田中です。AIと組み合わせて」 会場がざわついた。「試写室で偶然見た時、自分には作れないものだとわかりました。長い時間をかけても、私はあの場所に辿り着けなかった。それが答えだと思いました」 黒岩は続けた。「AIは才能を作ったのではないと思っています。ずっとそこにあったものを、初めて表に出した。私たちがそれを見えなくしていただけで」 一呼吸置いた。「だからこれを最後に監督を退きます。田中誠のような……これまで埋もれたままになっていた才能を見つけ、サポートする側に回ります」 少し間があった。「AIの発展は、今まで表に出ることのなかった才能を地面の中から引き出す。私はそう確信しています。だから映画界の未来は、今よりずっと豊かになると思っています」 誰も笑わなかった。誰も拍手もしなかった。 会場の隅に田中がいた。黒岩と目が合った。 田中は一瞬、口を開きかけた。そのまま閉じた。視線が泳いで、足元に落ちて、また黒岩に戻った。何かをこらえているようにも、何かをまだ飲み込めていないようにも見えた。 それからゆっくりと、スクリーンの方に顔を向けた。映像の終わった後の、暗い画面を。しばらくそこを見ていた。 やがて田中は前を向いた。スクリーンから目を離す時、もう迷いがなかった。 黒岩は次の質問を待った。時代が変わるというのは、きっとこういうことだと思いながら。
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