EPISODE · May 25, 2026 · 15 MIN
両方
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています# 両方 コーヒーかティーか、と聞かれたとき、両方とも、と答えてはいけない空気がある。 なぜだろう、と男は思った。論理的には、orは両方を含む。AまたはBは、AもBも真である場合を排除しない。両方ともが駄目なのであれば、それは排他的論理和、XORの話であって、最初からそう言ってもらわないと困る。 もちろん、そんなことはわかっている。日常会話にXORを持ち込む人間はいない。ただの言葉遊びだ。自分でもそれはわかっている。 わかっているのに、考えてしまう。これが最近の悩みだった。--- 昨日、雨が降ったら家でゆっくりしようと言われた。 今日は晴れている。だから当然、出かけることになるのだろう。でも待て、と男は思う。命題の裏は、必ずしも真ではない。雨が降ったら出かけない、が真であっても、雨が降らなかったら出かける、とは言えない。論理学の基本だ。 ぶつぶつと、男はつぶやいた。 ただし、出かけることになったなら、雨が降っていなかったことはわかる。対偶は真だ。それは認める。でも、だからといって——。 最近、こういうことがよく起きる。日常の言葉に、プログラマーとしての論理が入り込んでくる。それがあらぬ誤解や言い争いの元になることは、経験上わかっていた。 世界がもう少し論理的なら、と思う瞬間がある。でもすぐに打ち消す。論理はぶつかる。正しいことは一つではないから、正しいもの同士が衝突するとき、争いはむしろ激しくなる。わかっている。それでも、と思う瞬間がある。たぶん、ただの愚痴だ。---「パパ、用意できた?」 娘の声で、男はハッとした。 玄関に出ると、娘がもう靴を履いて立っていた。リュックを背負って、麦わら帽子をかぶって、どう見ても万全の態勢だ。男の支度が遅かったらしい。今日は遊園地に行く。久しぶりのお出かけだった。 暑くもなく、心地よい天気だった。電車の中で娘はずっと窓の外を眺めていた。男はその横顔を見ながら、命題がどうとか対偶がどうとか、そういうことをすっかり忘れていた。 遊園地に着いて、ひとしきり乗り物に乗って、昼を過ぎた頃、二人でアイスの売店の前に立った。ショーケースの中に、色とりどりのアイスが並んでいる。男は娘に聞いた。「チョコとイチゴ、どっちにする?」 娘は一秒も迷わず答えた。「両方」 男は何も言えなかった。 それは正しい。論理的に、何も間違っていない。---*了*
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