EPISODE · Sep 13, 2026 · 14 MIN
マタイ福音書18章21-35節「無限の恵みの大空を見上げて」
from 英隆一朗神父の福音お休み処
マタイ福音書18章21-35節「無限の恵みの大空を見上げて」2026年9月13日年間第24主日ミサ長府カトリック教会 今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ イエス様は、七の七十倍まで赦しなさいと教えられました。百万円ほどの借金を赦せなかった家来は、自分が六千億円もの借金を赦された恵みを忘れていました。私たちも日々の悩みに心を奪われがちですが、洗礼によって罪を赦され、神様の無限の愛の中に生かされています。年を重ねるほど、目の前の出来事を超えて広がる大空のような恵みを思い起こし、感謝と心の余裕をもって歩みたいと思います。 福音朗読 マタイ福音書18章21-35節 21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」 無限の恵みの大空を見上げて 今日の福音書は少し面白いエピソードが語られています。弟子のペトロがイエスの所に行って、兄弟が罪を犯したなら、何回許すべきでしょうか。7回までですかという訳ですよね。仏の顔も3度までというから、3度ぐらいは許せるかもしれないけど、7回でたらなかなかちょっと厳しいかなという気もしますが。でもイエスの答えはちょっとびっくりですよね。7回どころか、7の70倍まで許せというですね。7の70倍ってことは、ほぼ無限に許せるということに無制限に許せたことになるわけですが。そこでたとえ話をするわけですよね。 ある家来が王様に借金していて、1万タラントン借金していてですね。でも返せないからと言って結局許してもらったんですけど、結局家来が自分の仲間というか友人に100デナリオンを貸してて、その100デナリオンを返さないから、もう怒ってですね、100デナリオンを借金している家来を牢の中に入れた。それを聞いて王様が怒ってですね、その1万タラントンの借金許しているのに、なんでお前は100デナリオンの借金を許せないのかと。逆に王様がブチ切れて、この100デナリオンを貸した方を牢に入れたということですね。まあ、この話もちょっと印象的というか考えさせられますけど。 まあ、友達にした100デナリオンというのを今の金額で言ったら、だいたい100万円なんですよね。100万円貸してたら、やっぱりちょっと踏み倒されたら、皆さんもちょっと怒り心頭っていうか。100万円はやっぱりさすが、まあ何て言うんですかね、返せない人によるか返せない、あるいは貸せる額かどうかも分からないけど、なかなかの100万円をなかなか返さないからカッカしているというわけですよね。それは私たちにも当てはまるかもしれない。でも、この家来は1万タラントン借金しているんですけど、1万タラントンで、その100デナリオンを100万円で計算したら、1万タラントンっていくらになるかと言ったら、6,000億円なんですよ。6,000億円。だいたい借金してるっていうこと自身が、どうやって6,000億円借金したのかということが、だいたいちょっと普通の人が生活していて、1,000億円借金がだいたいちょっとできないと思いますけど、それを返すっていうことが。でもその王様がその6,000億円チャラにしてるって言うんですけど、その王様ってどんなにお金持ちなのかとか、6,000億円チャラにできるだけの王様っていうのはですね、ある学者の計算なんですけど、ヘロデ大王イエス様が幼い時の方で、大王ですよね。王としてかなり立派だったんですが、ヘロデ大王の時の1年間のイスラエルの国の年間予算が900タラントンなんですよ。540億円だから、6,000億円に全く入ってないんですよね。1年間の予算が540億円で、大人の大人のイエス様の時のヘロデ大王は小者なんですけどね。彼の領地の年間予算が1年間に100タラントン、だいたい120億円ぐらい。それでも大きな、でも1国の小さな国だから、1国の国の国の予算が120億円なのに、この例え話の王様は6,000億円の借金をチャラにできる。どんなにちょっとこの王様もちょっとどうかしてるということなんですよね。 まあ、この話のポイントはすごくはっきりしていますけど、私たちは100万円の借金とか100万円でいろいろ悩んだり苦しんだり、ああだこうだ仕事とかね、100万円。お金だけでなくても、人間関係とか、子育てとか、病気したとかしないとか、なんとかとか、いろいろ仕事の大体100万円ぐらいのことで、私たちはああだこうだだいたい悩んで、いろいろね、なんかいろいろ苦しんだり、あーだこうだ考えたりしますけど、でも実際は6,000億円分許されているということに私たちの心を向けることができるかどうかということが最大のポイントだと思いますね。 今日は一人の人が洗礼を受けられますけど、洗礼を受けるというのはどういうことかと言ったら、今日の例えからも簡単な話なんですよ。私たちの日常生活は100万円のことで、ああだこうだと私たちの日常生活ですけど、洗礼を受けて神の子になるっていうのは、6000億円分の神の恵みをいただくということなんですよね。 具体的に言えば、洗礼を受けたら、今までの罪が全部許されるということですから、全く全部ですよ。しかもタダで許されるということで。だから、本当にそのことから考えたら、年とってから洗礼を受けた方が得ってことになるんですけどね。それはそれが全く許されちゃうわけですからね。 だからね、6,000億円分の罪があるかどうかはもちろん分からないけど、そんなにも値段の問題じゃないですけど、まあ、私たちがクリスチャンとして生きていくっていうことは、6,000億円分の赦しだけじゃない、天文学的な無限の神様の恵みを受けて生きていくことができることを、神様は保証してくださっているってことですよね。 私たちは100万円のことで、ちょっとごちゃごちゃととらわれますけど、でも実際は6,000億円分の神の恵みの中で生きていることを思い出すことができるならば、私たちは今の苦しみや囚われを乗り越えていく心の余裕とかですね、あるいはそれを受け止めていく勇気とか力を私たちはいただくことができるのではないかと思いますね。 今日は敬老のお祝いもしていますから。僕自身が思うのは、年を取るっていうことは何が大事かといったら、それも同じだと思うんですよ。100万円の世界のことばかり考えるのではなくて、6,000億円の神の無限の愛を意識して生きていくのが、年を取ったものに一番大切ということですよね。 6,000億円ということは、結局もう無限の愛を私たちが与えられている。ある何か学者が書いてましたけど、年をとってきたら、やっぱり持たなければならないのは、宇宙意識ってですよね。宇宙の中にいる自分のことをもっと、つまり日常のことだけじゃないです。日常を超える、もっともっと大きな無限の世界のことを私たちは意識していく。そういう時だ。それが年をとってからの一番大事なことだと言うんですけど、同じだと思うんですよ。 6000億円の愛を与えられていて、そして私たちがいずれ早いか遅いかともかくこの世で命を終えたら、向こうの世界に行くわけですよね。向こうの世界が6,000億円の愛の世界をそのまま私たちは味わうわけですから、そこに向かっているということを今から意識することができるならば、私たちはもっと充実した有意義な生き方ができるのではないかというふうに思います。 昨日は叙階式で、一応関係のあった神学生が司祭叙階して東京に行って叙階式に出てたんですけど、東京の教会にもしばらく働いててですね、修道院に住んでたんですけど、さすが東京の修道院ですけれど、修道院がビルの7階と8階なんですよね。それ自身がもうなんかちょっと8階に住んでたんですけど。だけど8階から住んでたらどれだけね、眺めがいいかって思うじゃないですか。でもさすが東京だから、その8階の部屋から見る風景がビルばっかりなんですよね。そのビルが30階とか40階とかそんなビルしか結局見えないんですよ。もう本当にね、そこの修道院に住んでる時はもうなんかビルしか見えないから、なんかもう本当に気持ちが落ち込むというか。窓から見て8階だったら、なんか眺めがいいはずなのに、もう全部ビルで、半分ぐらいはもう億ションかな。1部屋2億円か3億円のマンションが見えるぐらい。なんかちょっと落ち込むような。でもまあそこに8階にいたって、そのビルしか見えないんですけど。でもちょっと散歩してですね、ちょっと近くを歩いたら。迎賓館赤坂の迎賓館とかあるんですよね。外国の要人が。その辺は割と開けてるところで、その迎賓館の前から自分の住んでいる修道院見たら、ちっちゃいんですよ。8階というのは大したことがなくて、その日はたまたま晴れている日で、その上にですね、もうびっくりするぐらい広い大空がその上に広がっているから、結局なんかもう8階とか言っても、結局ビルの感覚ですけど。でも8階とか30階のビルがあったとしても、その上にもっと無限の空がもものすごい広く広がっててですね。人間のやってることって実際は大したことないっていうか。結局私たちは100万円の世界に生きてるから、100万円のことでだっていうことで、いろいろ嬉しかったり悲しかったり、いろんなことがありますが、でもその上にやっぱり無限の空が開かれてて、それがどんなに爽やかですっきりしててですね。 もうなんか太陽があれしたらもうクリアな恵みの大空が広がっているわけですよね。私たちはついついこの下ばっかりに出るから、100万円の世界でいつも考えてるんですけど。でも本当に大きな恵みの中に私たちがいる。それを私たちがしっかり思い出して、その恵みの中に生きているありがたみと感謝とすっきりした心を持って歩むならば、私たちは日々の生活をもっと生き生きとした形で生きれると思いますね。 それはもう洗礼の恵み、あるいはクリスチャンとして生きる、あるいは人間として生きるということの中にその恵みがあると思いますから、私たちが大きな恵みのうちに歩んでいけるようにですね、洗礼を受ける方々、高齢者の方々と共に、その恵みを願いたいと思います。
Embed this episode
Ready to play
マタイ福音書18章21-35節「無限の恵みの大空を見上げて」
No transcript for this episode yet
Similar Episodes
No similar episodes found.