EPISODE · Apr 30, 2026 · 18 MIN
まっすぐ
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開していますまっすぐ子供の頃、信号には二種類しかないと思っていた。東西方向と南北方向。全国の信号が、そのふたつのタイミングで切り替わると、疑いもせず信じていた。三叉路と言われてもピンとこなかったし、五叉路などというものは想像すらできなかった。道は直角に交わるものだと思っていたから、そもそも三本や五本が一点で交わる絵が、頭の中に浮かばなかった。京都で育った。街は碁盤の目になっている。どこまで歩いても道は直角に交わり、まっすぐはまっすぐのまま続く。その中で育てば、世界もそういう形をしているものだと思う。誰も訂正しなかった。訂正する必要が、なかったのだと思う。大阪に住んだとき、道に迷った。「まっすぐ行って突き当たりを右」と教えてもらったのに、歩き始めるとすぐに道が緩やかに曲がり始めた。まっすぐのはずが、気づけば向きが変わっている。そういう道が、大阪にはあった。後から知ったのだが、人間の空間認識にはいくつかの型があるらしい。ランドマーク知識とルート知識とサーベイ知識。目印を覚える、道順を覚える、地図として俯瞰する、という三つだ。碁盤の目の都市で育つと、サーベイ知識、つまり地図として街を把握する回路が自然に育つという。京都の人間が地図を描くとき、まず道の格子を引き、そこに場所を書き足していくのは、都市の形が脳の形を作るからだ。逆に、曲がりくねった道とランドマークの中で育てば、目印をつなぐ回路が先に発達する。どちらが優れているわけでもない。育った街が、そういう脳を作ったというだけの話だ。信号が二種類だと思っていたのも、三叉路がピンとこなかったのも、大阪で迷ったのも、私の認知の問題ではなく、京都という都市が私の脳に刻んだ構造の話なのだ。そう考えれば、あのとき道を間違えたのも、案内が悪かったわけでも、注意が足りなかったわけでもない。育ちの問題であり、つまるところ、仕方のないことだったと言える。そこまで説明したところで、助手席の妻は、ひとことも言わずにバッグからスマートフォンを取り出した。慣れた手つきで目的地を入力し、画面を私のほうに向けることもなく、ダッシュボードに立てかけた。まもなく、音声案内が流れた。「まもなく、次の信号を右です。三叉路です」
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