EPISODE · May 10, 2026 · 14 MIN
【ミサ説教】ヨハネ福音書14章15-21節「真理の霊に導かれて生きる」
from 英隆一朗神父の福音お休み処
ヨハネ福音書14章15-21節「真理の霊に導かれて生きる」2026年5月10日復活節第6主日のミサ長府カトリック教会 今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ 真理とは、単に正しい情報を知ることではなく、人を自由にし、愛へ導くものです。現代は情報が溢れる一方で、不安や憎しみを煽るフェイクニュースも広がっています。しかしイエス様が与える「真理の霊」は、人を恐れから解放し、他者を大切に生きる力を与えます。水俣病や戦争のような苦しみの現実にも目を背けず、その痛みを受け止めながら、祈りと愛をもって歩むことが大切です。また、安易な答えに飛びつくのではなく、誠実に問い続ける姿勢こそが真理への道だと故フランシスコ教皇入っておられました。 福音朗読 ヨハネ福音書14章15-21節 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 真理の霊に導かれて生きる 今日の福音書は、ヨハネの14章イエス様の告別説教の中の一部分が朗読されました。イエス様の復活の恵みの中でということでしょうが、真理の霊を私たちに送ってくださる。具体的には聖霊降臨の一つの恵みですが、復活の恵みの一つは、私たちに真理の霊を与えてくださって、永遠にこの真理の霊が私たちと一緒にいるという、あるいは私たちの中にそれが入るということを、主が保証してくださっているということですね。 私たちは真理というか、日本語的に言うと真実ぐらいの方がいいと思うのですが、本当に大事なこと、真実の霊が私たちの中にあると。それを私たちが生かしていくということの大切さということですね。 実際のところ、インターネットが発達して、SNSがいろんな情報がいっぱい増えるようになってですね、多くの人はこのインターネットができたことですけど、多くの人が情報がいっぱい、もっとたくさんの情報が私たちはアクセスすることができるから、もっと私たちは真実に触れることができるであろうとみんな思ってたんですよ。でも実際のところは、SNSとか何かオールドメディアとかニューメディアとか、とにかく情報がいっぱい入れば入るほど、実は逆なんですよ。真実がわからなくなっちゃうっていう、何が本当か嘘かあまりに情報がいっぱい入るからわからないわけですよね。 実際現地に行って、私たちは確かめられないから、本当か嘘かって実は分からない。実際のところはわざわざですね、どこかで戦争があっても、その規模とか行くことができないから、私たちはそういうネットとかいろんなことで情報が入るわけですけど、それがなんかもうメタメタになってるので、実はなんか現代はもっと真実に触れることができなくなってきたっていうですね、まあ矛盾し皮肉な中に私たちがおられるといるというわけですね。 それはなぜかといったらフェイクニュースっていうか、真実に基づかないものが、今だったら生成AIで勝手にどんどん作られて、全然いない人物が喋ったりとか、嘘のものはいっぱい作れることになったからこういうふうになってるわけなんですけど。 でも嘘のニュースっていうんですかね、つまり真実でないものの特徴は実ははっきりしていて、私たちの中にこの恐れや不安とか、そういう感情を駆り立てていく時に、これは大変だとか思って、そのニュースをまた流したりするから、嘘とかデマがどんどん広まって。あるいはもう一つは、偽りの慰めっていうんですかね、何か彼らよりも私たちの上だから安心だとか、何か他の人を蔑視するっていうのは、軽蔑することによって安心感を得るような、なんかそういうやっぱり真実でないものの特徴といろいろあるわけですよね。 イエス様がくださっている真実というのは、どういう特徴があるかといったら、一番はっきりしているのは、それは私たちに本当の自由と愛の心を広げていくいうか、広めていくものこそ、やっぱり真実のものがあるということなんですよね。 より自由になる、振り回されなくなって、恐れや不安に振り回されなくなって、より自由になっていく。あるいは、人を憎んだり軽蔑したりするんじゃなくて、やっぱり愛の心っていうんですかね、一人一人を大切にしようとする。そういうところがある時に、やっぱり真実の霊が働いている。私たちはその真実の霊にいかに合わせて生きていくかということが一番の大きな大切なポイントになると思いますね。 だから、復活したイエス様に出会った弟子たちは、そこでは本当の真実、復活というイエス様の真実に本当に触れたので、周りから迫害されていても、それに何とか防御的になって戦ったり、そんなこと全くない。恐れとか不安に囚われてない。攻撃されたユダヤ人からも、どんどんその家はローマ人からも攻撃されるわけですけど、場合によっては殉教したりするわけですけど。でも全く恐れとか不安にとらわれることなく、ユダヤ人を憎んだり軽蔑したり、あるいはそこで戦ったりすることもなく、愛の心を持って、やはり本当の正しいこと、真実を生きていくことができる。 本当にこれは復活の愛だと思うんですけど、そのような私たちはやっぱり真実を生きていく必要性があると思いますね。ただ、真実はいつもいつも心地よいものとして来るわけでもないのも事実だと思います。この最近、最近でちょっと前にですけど。イエズス会の神学生たちがちょっと一昔まだ終わってない水俣に体験学習に行ったんですよね。水俣病で公害病ですよね。チッソという会社が。その頃まだよくわかってなかった水銀をどんどんどんどん廃棄流してしまって、それで魚が汚染されて、魚をその水銀の汚染された魚をたくさん食べた人々が、この特に漁師町のところですけれども、多くの人が水俣病になってですね、しかもその生まれつき水俣病の人もいて、大変な公害の一番公害病の一番最初ぐらいですけど、いまだに患者もおられるし、そういうものがあるわけですよね。そこに神学生がいて、その実際そういう人々と触れて、どういう問題があるのかっていうことを見たんですよね。で、体験してきたんですけど、一人の神学生が、そのガイドしてくれた水俣の人にですね、こう言われたって言うんですよ。 私たちはその人によって違うけど、大半の人はチッソという会社を恨んだり憎んだりしてるわけではないと。私たちが一番望んでいるのは何かと言ったらですね、やっぱり当時の流れですよね。やっぱり利益を優先したり、人間の命を軽視したりする。そういうことがあったという真実をみんなに知ってほしいんだと。 つまり、真実を一番知ってほしいということを願っているというその言葉を聞いて、神学生は東京に戻ったんですけど、やっぱりそこにも真実があるっていうことなんですよね。 真実は喜びというか、そういうもので表れていることと、苦しみや痛みでも真実はやっぱり現れる。 だから、この痛みや苦しみで現れている真実に目を背けたり、あるいはそれに振り回されないで受け止めるってことも。それも私たちにとって真実の霊を生きていく大切なことだと思います。 真実には2つの面があって、痛みと苦しみとしてはっきり示される。それはイエス様の十字架そのものですけど、その痛みが私たちの周りにもあるし、社会にもいっぱいある。それもしっかり受け止めなきゃならないし、それともう一つは、イエス様の復活の愛ですよね。それを乗り越えていく。さっき言った自由とか愛とか、本当の喜びにつながることも真実として示されている方は、私たちはしっかり受け止めて生きていくときに、私たちは本当に真実の道を歩めるんじゃないかと思いますね。 この教会の保護の聖人は、先ほど言いましたけど、ファチマのマリア様ですよね。ファチマの聖マリア様ですけれども、まあの立場のマリア様の大事なメッセージは何かって言ったら、それは喜びのメッセージじゃないんですよね。どっちかというと、やっぱり痛みや苦しみの真実をまずは語っている。 3つの預言という有名な、でもそれもどれも世界的な大きな災害とか戦争とかですね、そういう困難なことがあるってことをマリア様ははっきり言っているわけですよね。それは私たちを脅したり、不安にさせたりすることではなくて、そういうことをはっきり言って、だから私たちはどう生きなきゃならないのかを、その真実の道をマリア様は語っているわけですよね。 やっぱり私たちが本当の自由と本当の愛を生きていく、そのような困難とか、まあ、その預言の中に入ってない苦しみ、もちろんいっぱいありますけど、でもそれを私たちが受け止めながら、その中でしっかり心を入れ替えて回心して、先ほど唱えたロザリオの祈りとかですね、祈りをしっかりして、私たちが愛を生きていくことを望んでおられる。それは、そのマリア様の気持ちは今も変わらないと思うんですね。だから、マリア様が私たちに示している真実を、それは苦しみと痛みを含んだ真実を受け止めて、そこでそういうものにいたずらに振り回されたり、とにかく今ちょっと収まって、ファチマの第3の預言というのでですね、それもちょっとこう、ある界隈ではなんだか不安と恐れを駆り立てるような、何かちょっといろんな憶測とか何とかとか、振り回されるような話にちょっとつながっていくから、なかなかしゃべりにくいテーマではあるんですが、でもしかし、はっきりしてますよ。苦しみとか困難があるということをはっきり言っておられるのは間違いない。細かいことはともかく、でも、それをしっかり受け止めて、私たちが本当にイエス様の望むプラスの意味で真実の生き方をするようにというですね、マリア様のメッセージもすごくはっきりしていると思いますね。 一人一人の立場によって示される真実のあり方とか生き方は違いますけれども、でも私たちがそれをしっかり受け止めていけるかどうかということだと思います。あのフランシスコ教皇が日本に来た時に、若者の集いでいろんな集まりや他の人の若者の集いで話されたことが非常に印象的で、若い人は特に何が正しいかとか、どういうべきとか、自分に合ってる仕事が何なのかとか、やっぱり真実を求めざるを得ないわけですよね。まあ、もうちょっと普通のことだったら、回答っていうか、正しい答えを求めて。でもフランシスコ教皇はこう言うんですよ。一番大事なことは正しい答えを得ることじゃないって言うんですよね。一番大事なのは、正しく問いかけることだってあるんですよね。正しく問いかけていく時に答えが見つかるから、安易に答えをこうこれだとか、安易に出てくる真実っていうのは、どうもフェイクっぽいことが多いんですよね。なんかネットでこれらこれこれが絶対正しいとかって来てることが案外ちょっと間違ってる。だからやっぱり問いかけて、実際に日常の中で迷うことも様々私たちもありますよね。だからなんでこうなってるのかとか問いかけることから、神さまにしっかりと問いかけていく中でこそ、真実の霊が心の中にある。それをがだんだんと分かってくるような地道なことだと思いますね。 だからこそ、私たちは謙遜に、誠実に、やっぱり真実を求めながら安易な答えを得るのではなくて、こうかな、ああかなとか迷いながら、迷いながら、探しながら、やっぱりでもこっちだと思えるところをしっかりと歩んでいけるようにですね、神さまに恵みと力、そして本当の知恵と照らしを願いたいと思います。The post 【ミサ説教】ヨハネ福音書14章15-21節「真理の霊に導かれて生きる」 first appeared on 英隆一朗神父の福音お休み処.
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