EPISODE · May 27, 2026 · 17 MIN
平等
from 余白の朗読室 · host tosusia
# 平等 祖父は酒を飲まなかった。それでも夜になると決まって縁側に座り、庭を見ながら話した。 祖父の家は戦前、子爵の位を持っていた。広大な屋敷と田畑、使用人。それが戦後、跡形もなく消えた。財産税で土地を売り、爵位は制度ごと廃止された。気がつけば祖父は、見知らぬ土地の小さな借家で、近所の工場に勤めていた。「悔しくなかったの」と梅小路惇が聞いたのは、小学校に上がる前のことだった。 祖父は少し考えてから言った。「悔しくはなかった。正しかったと思っとる」 惇には意味がわからなかった。「身分で決まる世の中より、頑張った分だけ報われる世の中の方がええやろ。わしはたまたま生まれた家が良かっただけや。そんなもんで一生が決まるのはおかしい」 祖父はそう言って、また庭を見た。--- 惇が社会に出たのは、バブルが弾けた後の就職氷河期だった。 頑張れば報われる、と信じていた。祖父の言葉がそうさせた。しかし現実は違った。どれだけ履歴書を送っても返事は来なかった。ようやく入った会社は三年で倒産した。派遣を転々とした。三十代の半ばを過ぎても、正社員になれなかった。 それでも惇は嘆かなかった。世の中は少しずつ良くなっていくはずだと思っていた。祖父がそう言っていたから。--- 転機が来たのは四十を過ぎたころだった。 カリスマ的な政治家が現れた。最新の経済理論をベースにした大胆な税制改革を掲げ、資産課税を強化し、能力と努力が報われる社会を作ると言った。惇は街頭演説に足を運んだ。久しぶりに、世の中が動く音を聞いた気がした。 改革は本当に始まった。資産を持つ者の不労所得が圧縮され、代わりに働く者の手取りが増えた。惇の収入は上がった。初めて自分の部屋を持てた。初めて貯金ができた。 祖父の言った通りだ、と惇は思った。頑張れば報われる世の中が、ようやく来た。--- しかし時代はそこで止まらなかった。 改革が呼び込んだのは国内の平等だけではなかった。国境を越えた競争だった。能力のある人間が報われる世の中は、海外から能力のある人間を引き寄せた。惇が得意としていた仕事は、より安く、より精度高くこなせる人材に置き換わっていった。蓄えた資産はほとんど利益を生まなかった。改革がそうした制度を作っていたから。 五十代で惇は職を失った。 再就職先は見つからなかった。貯金が底を突くのに、二年かからなかった。--- どん底の夜、惇は祖父の縁側を思い出した。 庭を見ながら話す祖父の横顔。爵位を失い、屋敷を失い、それでも「正しかった」と言った老人の声。 惇は今、自分が祖父と同じ場所にいると思った。 失った。努力した。また失った。それでも世の中は、少しずつ、正しい方向に動いていた。自分がそこに乗れたかどうかとは、別の話として。 祖父も同じだったはずだ。平等になった世の中で、うまくいったわけではなかった。それでも正しいと言った。次の時代を信じたから言えたのだと、今なら思う。 時代はまた動くだろう。次の平等が、どこかで準備されているはずだ。自分がそこで報われるかどうかは、わからない。それでも、乗り遅れるよりは、動いている方がいい。 惇は立ち上がった。 祖父が工場に向かったように、どこかへ向かうために。
Embed this episode
NOW PLAYING
平等
No transcript for this episode yet
Similar Episodes
No similar episodes found.
Similar Podcasts
No similar podcasts found.