EPISODE · Mar 22, 2026 · 19 MIN
ラザロの沈黙(稲葉基嗣) – ヨハネ 12:9–11
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年3月22日 四旬節第5主日説教題:ラザロの沈黙聖書: ヨハネによる福音書 12:9–11、アモス書 5:13–15、詩編 130、ヨハネの手紙 一 3:11–18説教者:稲葉基嗣 -----ラザロが復活したという出来事は、人びとに驚きを与えるとともに、イエスさまに対する信頼をより強いものにしたため、彼の身を危険に晒しました。ラザロの命が狙われることになったとき、何が起こったでしょうか。福音書を読み進めていくと、ラザロが表舞台から消えていくことに気づきます。いやそもそも、物語の中でのラザロは、常に沈黙を貫いています。それは、ラザロの身が危険に晒されていたことと関係があると思います。ラザロ復活の物語が広まることは、命を狙われていたラザロがさらなる危険に晒される可能性があることを意味しました。だから、他の福音書は彼の身を守るために、この物語を記録しなかったのでしょう。宗教的な指導者たちのイエスさまに対する敵意や妬みが、ラザロにも向けられた結果、彼の言葉は奪われ、彼は沈黙を強いられたのです。自分の言葉が、声が奪われていく。沈黙を強いられてしまう。ラザロの身に起こった、このような出来事は、ラザロが生きた時代から、およそ2000年の時が流れている現代においても、当たり前のように、私たちの世界に横たわっている現実です。しかし、神は遠くの方から、そんな人間の罪深さが悲しいほどに反映されているこの世界を黙って見ておられる方ではありませんでした。イエスさまを私たちのもとに送り、沈黙を生み出す原因を拭い去ろうとされました。イエスさまは声を奪われ、沈黙を強いられた人のもとにこそ、足を運ぶ人でした。そして何よりも、声を奪われ、沈黙を強いられたラザロのために、イエスさまは立ち上がり、エルサレムへと向かっていきました。イエスさまがそんな受難への道を歩んで行ったのは、声を奪われた人たちが口を開ける世界を取り戻すためでした。そして、沈黙を強いられた人たちが声を出せる場所を作り出すためでした。教会こそキリストによって与えられた罪の赦しに基づいて、沈黙を打ち破る所です。無視され、否定されている声にこそ、耳を傾ける集まりです。大きな声でかき消されてしまっている小さな声にこそ、耳を傾ける集まりです。ヨハネ福音書が紹介するラザロの沈黙と出会う時、ラザロにはまさにそのような交わりが必要だったと感じさせられます。沈黙を強いられていたラザロに、彼と共に生きる信仰者たちは耳を傾けることを決してやめませんでした。だから、ラザロの物語はヨハネ福音書に収められたのではないでしょうか。イエスさまが生み出そうとしたのは、まさにそのような共同体です。
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ラザロの沈黙(稲葉基嗣) – ヨハネ 12:9–11
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