EPISODE · May 31, 2026 · 13 MIN
三位一体の祝日
from A Spiritual Journey from Dust to the Fire of Mission · host Father Robertus Bambang Rudianto SJ
今日は、聖霊降臨後の主日ではなく、三位一体の神秘を祝う日です。この神秘は、難しい理屈ではありません。むしろ、私たちを包む愛の深さそのものです。出エジプト記では、モーセがシナイ山で主の名を聞きます。主はご自分をこう示されます。『憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみとまことに満ちておられる。』これは、わたしたちがまず知るべき神の姿です。神は厳しい判決から入るのではなく、まずご自分の憐れみを明かされるのです。[pause] ですから、三位一体の神秘を考えるとき、私たちはまず愛に出会います。聖書の神は、孤独な力ではありません。御父は愛し、御子はその愛を十字架の上で完全に示し、聖霊はその愛を私たちの心に注ぎます。三位一体とは、神の内部にある永遠の交わりです。そして驚くべきことに、その交わりに私たちが招かれているのです。神を『理解する』前に、神に『引き込まれる』。これが信仰の道です。ダニエル書の賛歌は、すべての被造物が主をほめたたえるよう招きます。火よ、熱よ、雨よ、光よ、すべてのものが神をたたえよ、と。ここにはフランシスコ的なまなざしがあります。世界は支配するための対象ではなく、賛美するための贈り物です。[pause] 被造物を兄弟姉妹として見るとき、私たちの心はやわらぎます。自然を粗末に扱うとき、私たちは神への賛美も傷つけてしまうのです。そして、第二コリントの最後で、パウロは美しい祝福を述べます。『主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。』これは三位一体そのものを、教会の祈りとして歌っているようです。恵み、愛、交わり。兄弟姉妹の皆さん、ここに教会の姿があります。私たちは神を一人で抱えるのではなく、交わりの中で生きるのです。ヨハネ福音書は、福音の心臓部を一言で示します。『神は世を愛された。独り子をお与えになったほどに。』神は世を裁くためではなく、救うために御子をお遣わしになりました。ですから、私たちが神の前で感じるべき第一の感情は恐れではなく、信頼です。もちろん、光に照らされるとき、私たちの影も見えてきます。しかしその光は、私たちを焼き尽くすためではなく、癒やし、立ち上がらせるための光です。
Embed this episode
NOW PLAYING
三位一体の祝日
No transcript for this episode yet
Similar Episodes
No similar episodes found.
Similar Podcasts
No similar podcasts found.