EPISODE · Mar 1, 2026 · 23 MIN
傷ついた私たちを見てください(稲葉基嗣) – 哀歌 1:1–11
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年3月1日 四旬節第2主日説教題:傷ついた私たちを見てください聖書: 哀歌 1:1–11、ヘブライ人への手紙 2:10–18、詩編 86、マタイによる福音書 9:35–38説教者:稲葉基嗣 -----この哀歌という作品には、瓦礫の山となったエルサレムを見つめ、哀しみ、嘆く、生き残った人たちの声が記錄されています。その際、詩人は擬人化表現を用いてエルサレムの都を人間のように描いています。エルサレムの都や、そこに住む人々がどれほど深く傷つき、打ちのめされ、蹂躙され、破壊されたのかを描こうとしています。エルサレム崩壊の出来事の原因は一体どこにあるのでしょうか。哀歌を綴った人々は、因果応報的に自分たちに原因があると考えました(5, 8節)。もちろん、因果応報的思考に哀歌が完全に支配されているわけではありません。自分たちが神の前に罪を犯したことを悲しみながらも、心では納得がいきません。色んな感情が沸き起こっています。だからでしょうか。エルサレムの人々の叫び声を詩人は記録しました。今、どれほど自分たちが全く無価値な存在になってしまったのか(11節参照)。その姿を見てください。傷ついた自分を見つめて、心に留めてください(9, 11節)。そして、助けてください。慰めを与えてください。詩人は神に訴えています。尊い人間の命を無価値にし、哀歌に記録されているような叫び声を生み出す。そんな人間の悪意や罪、過ちは、今も私たちの世界の現実に、横たわっています。だから、哀歌の言葉に耳を傾ける時、私にはこの世界が求めている、神への訴えに聞こえてなりません。暴力によって命が無価値にされているこの世界を憐れみ、見つめてください。傷ついた私たちや、この世界を見つめる時、神は一体何をされたのでしょうか。ヘブライ人への手紙が伝えるのは、イエスさまが傷ついている姿です。命を蔑ろにし、無価値なものとして人を取り扱ってしまう、私たちの抱える罪に終止符を打つために、傷つき、命を失ったイエスさまの姿をこの手紙は伝えます。十字架にかけられたイエスさまこそ、究極的に、すべての人のために無価値な者とされた存在でした。それは、神の側が自分の価値のすべてを捨て去ってまで、私たちを愛し抜き、救いの手を伸ばし続けていることを逆説的に伝えるものでした。無価値ではない。いや、決して無価値なものにさせない。神は、身を挺してまで、私たちにその事実を告げてくださっています。そんな力強い神の声は、決して私たちが独占すべきものではありません。神は全世界に対して、すべての人に対して、この強い願いを持っているのですから。誰も無価値にはさせない。誰の価値も奪わせない。それは私たちの信仰の旅路の大きな指針であり続けます。
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傷ついた私たちを見てください(稲葉基嗣) – 哀歌 1:1–11
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