EPISODE · Sep 19, 2026 · 16 MIN
覗き穴
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています 覗き穴 若手研究員の高木は、その星が気に入らなかった。 星が嫌いなのではない。星像が気に入らなかったのだ。 研究所の小さな望遠鏡で撮った画像を見ると、その星だけが、ほんの少し横へ伸びていた。 「ピントだな」 先輩は一目見て言った。 「ほかの星は丸いです」 「じゃあ二重星だ」 「二つとも、まったく同じ明るさで変化しています」 「仲のいい二重星なんだろう」 そう言ってコーヒーを持って行ってしまった。 高木は納得できなかった。 別の日に撮っても同じだった。別の望遠鏡でも同じだった。十年前の観測画像にも、同じ歪みが残っていた。 高木は大型望遠鏡の観測時間を申請した。 二時間だけ許可が下りた。 解析結果を見た先輩は、今度はコーヒーを机に置いた。 「二重星じゃないな」 「はい。同じ星が二つに見えています」 星の光は途中で曲げられていた。 重力レンズだった。 だが、その場所には何も見えなかった。 恒星も星雲もない。 ただ、数万太陽質量の重力だけが存在していた。 「中間質量ブラックホールか」 所長は簡単に結論を出した。 論文は掲載され、少しだけ話題になった。 高木だけは観測を続けた。 星の光に、ごく弱い別の光が混じっていたからだ。 その光は一定の間隔で点滅していた。 規則はある。 しかし、何かを伝えようとしているようには見えない。 まるで装置が、自分自身の状態を確認しているようだった。 世界中の望遠鏡がその星へ向けられた。 数年分の観測データを重ねると、重力レンズの向こうに複数の発光源があることが分かった。 それらは規則正しく並び、ゆっくり回転していた。 自然の天体とは思えなかった。 直径数千キロに及ぶ人工構造物。 それが研究チームの結論だった。 「すごいものを作る文明もあるんだな」 所長は復元画像を眺めた。 「何のためでしょう」 「さあな。我々には想像もつかない用途なんだろう」 会議は終わった。 高木だけが研究室へ戻った。 画面には、遠い恒星、ブラックホール、人工構造物が並んでいた。 人工構造物は、偶然ブラックホールの重力レンズの焦点付近にあった。 誰もがそう考えていた。 高木も昨日まではそうだった。 ふと、一つのことが気になった。 地球は一年かけて太陽の周りを回る。 観測位置は絶えず変わる。 それなのに人工構造物は、一年中、最もよく見える位置を保っていた。 「そんなはずはない」 高木は一年分の観測データを並べた。 地球の公転。 ブラックホールの固有運動。 恒星の運動。 すべて補正して、人工構造物の位置を逆算する。 画面に小さな楕円が現れた。 人工構造物は動いていた。 地球が太陽を回るたび、ブラックホールの反対側で、鏡写しのように位置を変えていた。 それだけではなかった。 地球の固有運動に合わせるように、長い年月をかけて軌道を少しずつ修正していた。 重力レンズの最適な観測位置を保ち続けるために。 高木は立ち上がった。 所長の部屋へ駆け込む。 「分かりました」 「何がだ」 「人工構造物は偶然そこにあったんじゃありません」 高木は画面を示した。 「地球に合わせて動いています。重力レンズの最適な観測位置を保つために」 所長はしばらく図を見つめた。 「つまり……観測装置か」 「はい」 「何を観測している」 高木はブラックホールから伸びる一本の線を指でなぞった。 その先には太陽系があった。 地球があった。 「これは、向こうの世界から地球を覗くために作られた覗き穴です」 部屋に沈黙が落ちた。 窓の外では、人々がいつも通り会社へ向かい、子どもたちが学校へ走っていた。 所長は何も言わなかった。 その日初めて、高木は空を見上げることが怖くなった。
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