EPISODE · Apr 5, 2026 · 21 MIN
死の衣は置き去りにされた(稲葉基嗣) – ヨハネ 20:1–10
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年4月5日 復活祭説教題:死の衣は置き去りにされた聖書: ヨハネによる福音書 20:1–10、エゼキエル書 37:11–14、詩編 8、ガラテヤの信徒への手紙 3:26–29説教者:稲葉基嗣 -----「誰かが主を墓から取り去りました。どこに置いたのか、分かりません。」(2節)そんなマリアの報告を聞いて、ペトロともう一人の弟子と呼ばれる人がその現場を確かめるために、すぐさまお墓へとやって来ました。確かに、イエスさまのなきがらは、お墓の中に見当たりませんでした。ふたりの弟子たちは、イエスさまの身体を包んでいた亜麻布とイエスさまの顔を覆っていた布がお墓の中に置かれていたことを発見します。これらの布の発見は、イエスさまの身体が墓泥棒や嫌がらせのために持ち去られたわけではないことを明らかにしました。その時、彼らは別のことを信じ始めました。イエスさまが復活し、自分を包んでいた亜麻布と覆いを取り去ったのだと。身体に巻き付けた亜麻布と顔を包んだ覆いは、まさに、イエスさまの死を決定的なものとして告げる、死の衣でした。そんな死の衣が置き去りにされ、イエスさまが死者の中からよみがえったことに、ヨハネは大きな希望の光を見出しました。イエスさまは死の衣に覆われた状態で復活したわけではありません(11:44参照)。死の衣をお墓の中に置き去りにして、イエスさまはお墓の外へ出て行きました。イエスさまにとって、死は永遠のものではないことを象徴しているかのようです。ヨハネは、イエスさまの復活を見つめて、まさに死の衣が置き去りにされたこの世界の新しい現実を見つめたのです。イエスさまの復活は、私たちの命の終わりが死ではないことを力強く宣言しました。死の先に、復活の命があり、命の終わりに、復活の命の始まりがあります。イエスさまの復活は、私たちに将来起こることのみを約束するものではありません。私たちは復活の主に結ばれて生きるようにと招かれているからです。使徒パウロはガラテヤの教会の人たちに向けて、このように書きました。 「あなたがたがは皆、キリストを着たのです。」(ガラテヤ3:27)復活の主イエスに結ばれて生きる者が着る衣は、死の衣ではありません。復活の主であるイエスさまを私たちは衣のように着ると、パウロは宣言しています。それは、私たちの人生の劇的な衣装替えです。だって、もう二度と、死の衣をまとう必要などないからです。復活の命をまとって生きる。それは、愛と憐れみに溢れたキリストを身にまとうことです。イエスさまがまとっていたあの亜麻布が空っぽの墓の中に置き去りにされたあの時から、この喜びにあふれる道はすべての人の前に開かれました。
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死の衣は置き去りにされた(稲葉基嗣) – ヨハネ 20:1–10
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