EPISODE · May 7, 2023 · 17 MIN
それでも、神は出会いを求めている(稲葉基嗣) – アモス4:4−13
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
エピソードタイトル: アモス4:4−13「それでも、神は出会いを求めている」(稲葉基嗣) 詳細: 2023年5月7日 復活節第5主日 聖書 アモス書4:4−13、マタイによる福音書5:8、コリントの信徒への手紙 二 4:8−13、詩編100 説教題 「それでも、神は出会いを求めている」 説教者 稲葉基嗣 ----- 【説教要旨】 礼拝への招きの言葉を用いて、アモスは罪を重ねるようにと呼びかけています。この呼びかけの後に礼拝の方法について命じることによって、イスラエルの礼拝の方法が罪深いものだと、アモスは伝えようとしています。イスラエルの民の礼拝は、神に向かって礼拝をしているように見えて、実際のところは自分たちのことにばかり集中しているものだったようです。ただ自分たちの思いや願いが実現されることを願って、神の願いや思いなどは無視して、彼らは神を礼拝していました。アモスは本当のところは礼拝を呼びかけていません。アモスは礼拝へと招く表現を用いて、イスラエルの民が礼拝の中で犯していた罪を暴こうとしているのです。 そう考えると、6−11節になぜ裁きのリストがあるかがわかります。聖書において、神が人をさばくのは、神のもとに帰ってきて欲しいからです。人が神との間に新しい関係を築き直し、神の民として歩み直して欲しいからです。でも、このリストはとても悲しい響きを持っています。「それでも、あなたがたは私のもとに帰らなかった」と繰り返されています。神の願いは虚しく、神のもとへと帰らないイスラエルの民の姿が描かれています。彼らは自分たちのことを正当化してくれる神こそ、求めました。自分が見つめたい神の姿のみを見つめていました。神を経済的繁栄や軍事的勝利をもたらす神としか見えなくなってしまうとき、人は自分の利益のみを追い求めた神の姿しか見えていないのでしょう。それがまさにイスラエルの問題でした。だから、アモスは彼らが望む神とは正反対の神の姿を提示しました。 その上で、アモスはイスラエルの民に「自分の神に会う備えをせよ」(12節)と呼びかけました。罪を指摘されるとわかっているのに、なぜ神のもとへ行かなければならないのでしょうか。そんなこと出来るはずありません。でも、わたしたちが信じる神は、わたしたちのことが憎たらしくてしょうがないから、イスラエルの民への裁きを見せつけているわけではありません。神の側がわたしたちとの出会いを求めているから、アモスを通して、神はわたしたちに語りかけています。神がわたしたちとの間に親密な関係を築きたいから、神の側が、わたしたちと顔を合わせて語り合いたいと願っているから、あなたの神に会う備えをしなさいと、神はアモスを用いて呼びかけています。私たちひとりひとりとの出会いを求めて神はいつも待っておられます。
Embed this episode
Ready to play
それでも、神は出会いを求めている(稲葉基嗣) – アモス4:4−13
No transcript for this episode yet
Similar Episodes
No similar episodes found.