EPISODE · Oct 13, 2024 · 19 MIN
それでも、主イエスは共にあろうとする(稲葉基嗣) – ヨハネ 6:60–71
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2024年10月13日 三位一体後第20主日 説教題:それでも、主イエスは共にあろうとする 聖書: ヨハネによる福音書 6:60–71、ヨナ書 1:1–3、詩編 138、ローマの信徒への手紙 5:1–8 説教者:稲葉基嗣 ----- イエスさまの言葉に戸惑いながらも、イエスさまと対話を続ける人びとについて、ヨハネは彼らの呼び方を群衆、ユダヤ人、そして弟子たちへと変化させました。それはまるで、イエスさまと対話を続けたこの人たちがイエスさまのことを徐々に受け入れていったようにも見えます。でも、ひとり、またひとりとイエスさまのそばを離れていき、最終的にその場所に残ったのは、12人の弟子たちだけでした。周りからの理解を得ることができず、人びとが自分のもとから去って行くとき、イエスさまは彼らを繋ぎ止める方策はとりませんでした。イエスさまは彼らの意思や思いを尊重して、彼らを去らせています。何よりも、自分のもとに残った12人の弟子たちに向かっても、「あなたがたも去ろうとするのか」と、彼らの意思を尊重する姿勢を示しています。自分のもとに決して縛り付けず、イエスさまと一緒にいることを彼らが自由に選び取る機会をイエスさまは彼らに与えています。イエスさまの弟子たちも、わたしたちも、そのような自由を与えられています。でも、そんなイエスさまの姿勢は、無責任なようにも感じられるかもしれません。イエスさまは決して、自由を与えることによって、わたしたちを見放そうとしているわけではありません。命を削って、イエスさまはわたしたちと共にいることを選んでくださいました。それは、わたしたちが自由の選択の結果、イエスさまに背を向けたとしても、それでも、イエスさまはわたしたちを見放さずそばにいてくださるということです。イエスさまは拒絶されるのも覚悟の上で、わたしたちのもとに来てくださいました。それでも、わたしたちを見捨てず、決して見放さず、いつも手を差し伸べ、わたしたちにその命を分かち合いたいと願っておられます。そのように、イエスさまはいつもわたしたちと共にあろうとしてくださっています。イエスさまがそのような方だからこそ、12人の弟子たちの中にイスカリオテのユダがその仲間として一緒に居続けたのではないでしょうか。12人のうちの一人が、自分を裏切ろうとしているとわかっていたとしても、弟子たちに見放されるとわかっていてもイエスさまは彼らと共にあろうとしました。それは、イエスさまが彼ら一人一人を決して諦めていなかったからです。同じように、わたしたちがどこへ行こうとも、何をしようとも、過ちを犯そうとも、イエスさまは決してわたしたちを見捨てずに、共にあろうとしてくださいます。そのようなイエスさまの姿は、信仰の旅路を歩み続けるわたしたちの歩みを勇気づけ、励ましてくれるかのようです。
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