EPISODE · Jun 20, 2026 · 5 MIN
席
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています 席 その喫茶店には、決まった席があった。 カウンターの端、窓から外が見えて、でも通りからは見えない角。年季の入った丸椅子は、座るたびに同じ場所で軋んだ。マスターは何も言わないが、昼前に来ると必ずそこが空いている。常連というのはそういうものだ。 ある日、店の外に列ができていた。 タイル張りの古い外壁に沿って、見知らぬ顔が十人ほど並んでいる。スマートフォンを構えて、サンドイッチの写真を撮っている。四人がけのテーブルが二つ、カウンターに六席しかない店に、順番を待つ人間が外にまであふれていた。マスターは黙って、いつもの三倍の数のパンを切っていた。 私は入口で少し立ち止まってから、別の店で昼をとることにした。 ひと月ほどして、ふらっと寄ってみると、外に列はなかった。カウンターの端の席も、空いていた。丸椅子は今日も同じ場所で軋んだ。 マスターはいつものようにコーヒーを出して、何も言わなかった。 窓の外を、誰かが足早に通り過ぎた。スマートフォンを見ながら、どこか別の場所へ向かっているようだった。
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