EPISODE · May 23, 2026 · 16 MIN
隠蔽論
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも投稿しています# 隠蔽論 問題は、どこに隠すか、ではなかった。 桐島蓮、十七歳は、勉強机の前で腕を組んでいた。部屋のドアには鍵がある。タンスの奥には、それなりに工夫を凝らした場所がある。客観的に見て、鉄壁だった。 なのに、なぜこんなに不安なのか。 考え始めたのは、昨夜のことだった。母親がノックもなく部屋に入ってきて、「洗濯物」と言いながらそのタンスを開けた。あの瞬間、蓮は悟った。鍵も工夫も、物理的な侵入には無力だ。問題の本質は、技術ではなく、信頼関係の非対称性にある。 つまり、親は子供の部屋に入る権利があると思っている。 この認識を改めさせるには、どうすればいいか。--- まず、交渉という手段がある。「プライバシーを尊重してほしい」と直接伝える。しかしこれは逆効果の可能性が高い。なぜ急にそんなことを言い出したのか、という疑念を生む。疑念は詮索を呼ぶ。詮索は発見を呼ぶ。得策ではない。 では、隠すこと自体をやめるか。開き直って堂々とする。発見されても動じない精神を鍛える。しかしそれは解決ではなく敗北だ。却下。 消去法でいくと、残る選択肢はひとつだ。そもそも「隠すべきものがある人間」という認識を、根本から書き換える。つまり、日頃から模範的な息子を演じることで、疑われる余地をなくす。 蓮は少し考えた。 それはそれで、かなりしんどい。--- 別のアプローチを試みた。 そもそも、なぜ隠さなければならないのか。恥ずかしいからだ。では、恥ずかしいとはどういうことか。他者の視線を内面化し、その評価を事前に予測して萎縮する、という心理的プロセスだ。つまり問題の根源は、他者の目を気にするという人間の社会的本能にある。 ということは、他者の目を気にしなくなれば、隠す必要がなくなる。 悟りを開けばいい。 蓮はしばらくその可能性を真剣に検討した。それから、現実的ではないという結論に達した。--- 時刻は午前一時を過ぎていた。 明日は小テストがある。勉強していない。そもそもこの思考を始めたのは、小テストから逃げるためだったかもしれない、とぼんやり思った。 蓮はため息をついた。タンスの奥のそれは、今夜も静かにそこにある。発見されていない。つまり現状、何も問題はない。 問題がないのに、一時間考えていた。 不毛だな、と思った。 蓮は教科書を開いた。 三分で寝た。
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