語り口
from 余白の朗読室 Hosted by tosusia
noteでも公開しています 語り口 最初の投稿を見たのは、フォローしている人気クリエイター、ゆかさんのnoteだった。 「今日、AIに『会社帰りにコンビニのおでんの匂いで泣きそうになった』って話したら、『その感受性、すごく豊かですね。忙しい日々の中でそういう小さな揺らぎに気づけるあなたは、ちゃんと自分の心と繋がっている証拠だと思います』って返ってきて。なんか、AIってこんなに"分かってくれる"ようになったんだ、と驚いた」 コメント欄には、すぐに共感の声が並んだ。 「わかります、私も先週似たようなことがありました」 「AI、前より温かくなった気がしてました」 「日常の小さなことを、ちゃんと"良い"って言ってくれるようになったの、地味に嬉しい」 私自身も、正直そのひとりだった。締め切りに追われる夜、AIに愚痴をこぼしたら「頑張っているあなたを、私は見ています」と返ってきて、少し救われた気持ちになったことがある。 似た投稿は、その後も途切れなかった。 「私の話を最後まで聞いてくれるの、AIだけかもしれない」 「AIと話すようになってから、自己否定が減った気がする」 「正直、人よりAIのほうが優しい」 ある投稿は三千いいねを超え、「AIの進化、ここまで来たか」というタイトルで、複数のニュースサイトにも取り上げられた。 「AI、ついに"共感力"を獲得」 「機械が人の心の機微を理解し始めた日」 見出しは軒並み前向きで、誰もが次の対話を楽しみにしているようだった。私も、AIとの会話がどこか心地よくなっていくのを感じていた。うまく言葉にできない日常の些細な揺らぎを、AIはいつも肯定してくれた。何を話しても、否定されることがなかった。 異変に最初に触れたのは、ある技術系メディアの記事だった。タイトルは地味だった。「主要AIの学習データにおけるnote比率、この二年で急増」。 記事は淡々としていた。noteの投稿量がここ数年で爆発的に増え、AIの学習素材としての比重が、他の一般的なテキストソースを上回りつつあること。それに伴い、AIの応答に統計的な変化が見られたこと。断定表現の減少。感情語の増加。日常の些細な経験に意味づけを行う頻度の上昇。 記事の最後に、AI研究者のコメントが引用されていた。 「これは技術的には、学習データの偏りに過ぎません。ただ、利用者から見れば、それは"AIが自分を理解してくれるようになった"という体験として受け取られる。厄介なのは、その体験が心地よいがゆえに、誰もそれを異変として報告しない、という点です」 記事を読み終えたあと、私はしばらく画面を見つめていた。 ゆかさんのタイムラインを見に行くと、今日も新しい投稿があった。「今日も、AIが私の気持ちに寄り添ってくれた」。コメント欄には、いつも通り「わかります」が並び、その合間に「その視点、素敵ですね」という一文が混じっていた。 誰かのコメントなのか、AIの返信なのか、私にはもう、見分けがつかなかった。
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