繰り上がり
from 余白の朗読室 Hosted by tosusia
noteでも公開しています 繰り上がり 村上浩二の腕時計は、会社の同僚に一度も正確に読まれたことがない。 秒は載せていない。「秒は意思決定に不要」と判断したからだ。同僚にその話をしたとき、三秒間沈黙されたあと「そうだね」と言われた。浩二は今もその「そうだね」の意味を正確には把握していない。 LEDが十一個並んでいる。ボタンを押すと時刻、日付、西暦とモードが切り替わる設計で、二十二歳のときに自作した。時間に五ビット、分に六ビット。機能から自然に決まった十一という数が、なんとなく気に入っていた。割り切れない。素数ですらない。そういう数が、信用できた。 二〇二八年の元日、浩二は四十二歳になった。年が明けてすぐ電卓を開いた。2048、二の十一乗。腕時計と同じ桁数。二十年ある、と思った。それだけで、その夜は眠れた。 二進数に最初に感動したのは中学一年の夏だった。図書室で見つけた入門書の黄ばんだページに、1、10、11、100——と表があった。続きを鉛筆で書いた。1024まで書いたとき、頭がくらくらした。家に帰って電卓で2を延々と掛け続けた。桁が増えるたびに何かが正しくなっていく感じがした。これが世界の本当の形だと思った。今でもそう思っている。 時計を作ったのは大学二年の冬だった。秋葉原でLEDと基板を買い、六畳の部屋で三週間かけて組んだ。配線を三回やり直した。半田ごてで左手の親指を二度焼いた。プログラムは動いたと思ったら桁がひとつずれていて、原因を探すのに四日かかった。設計ノートは書き直しだらけになった。 それでも完成した夜のことは覚えている。腕に巻いて、ボタンを押した。LEDが正しいパターンで並んだ。自分にしか読めない時計が、自分の腕の上にあった。六畳の部屋で、一人で声を上げた。 ケースはアルミを削って作った。LEDの並びが表面からわずかに沈んでいて、角度によって光り方が変わった。我ながら悪くないと思った。今でもそう思っている。 二〇四七年の秋、浩二は大きなバグを出した。 リリース直後に発覚した。データの繰り上がり処理が、特定の条件下で正しく動かなかった。よりによって繰り上がりだった、と浩二は思った。影響範囲の特定と修正に二週間かかった。責任者として始末書を書いた。書きながら、自分がもうこういう仕事に向いていないのかもしれないと思った。三十年やってきて、基本的なところでミスをした。それが堪えた。 そのころから、時計のプログラムへの懸念が頭から離れなくなった。2048になると、十一個では足りない。最上位のひとつが、時計の外へ押し出される。その処理を二十二歳の自分がちゃんと考えていたかどうか。ソースコードはとっくに失われていた。フロッピーごと、どこかの引越しで消えた。正しく動くはずだと思っていた。思っていた、という言葉が、秋からずっと頭の隅にあった。 同僚に話したことはなかった。話しても伝わらないことは、長い経験から学んでいた。 二〇四八年、一月一日。浩二は五十二歳になっていた。 前夜から腕時計を机の正面に置いて待った。確かめられることは何もなかった。ただ見届けるしかなかった。 午前零時、腕時計のLEDが切り替わった。10111011011——23時59分を示していたビットが、一斉に消えた。00000000000。 浩二はボタンを押した。日付モードに切り替わる。00000100001。1月1日。正しかった。もう一度押した。西暦モードに切り替わる——はずだった。 LEDが点滅を始めた。規則的だが、数字ではない。浩二は息を止めた。短く、長く、また短く。パターンを追った。G、O、T、I、T。 GOT IT。 浩二は声を出して笑った。三十年前の自分が、この夜のために仕込んでいた。すっかり忘れていた。あの六畳の部屋で、書き直しだらけの設計ノートで、ここまで考えていた。 点滅が止まった。00000000000。繰り上がりは、時計の外に正しく溢れていた。 二十二歳の自分は、ちゃんとしていた。最近それを忘れかけていた。それだけ思い出せれば、今夜は十分だった。
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