EPISODE · Jun 15, 2026 · 17 MIN
正答率
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています正答率 受賞の電話を受けたとき、川島は台所で冷めたコーヒーを飲んでいた。 きっかけは入試問題だった。某私立大学の国語の問題に、五年前に出した短編が使われた。増刷もなく静かに死んでいた作品が、突然、全国の受験生の前に晒された。問題文を見た瞬間、川島は苦笑した。よりによってこれか、と。自分でも出来が悪いと思っていた一篇だった。 ところが、その年の春から何かが変わった。文芸誌に名前が載り、選評に引用され、やがて賞の候補に挙がった。受賞が決まったとき、担当編集者の水野は泣いた。川島は笑って見せた。 問題を解いたのは、授賞式の三日前だった。 問五。傍線部「彼女は窓を閉めた」について、その心情として最も適切なものを選べ。 川島は迷わず選んだ。答え合わせをして、しばらく問題用紙を見つめた。間違っていた。正答の解説には「この行為は拒絶ではなく、むしろ内なる決意の表れと読むべきである」とあった。 拒絶のつもりで書いた。他に書きようがなかった。 予備校の解説動画を探した。再生数は四万を超えていた。講師は白いシャツを着た四十代の男で、画面の右上に「川島文学の真髄」とテロップが出ていた。講師は身を乗り出すようにして言った。「この一文に、作者の深さが凝縮されています」。コメント欄には「神解説」「泣いた」「これで志望校受かります」と並んでいた。川島が選んだ選択肢については、ほとんど触れられなかった。「この選択肢を選ぶ受験生はまずいないかもしれない」という一言だけで、次の設問に移った。 AIに訊いた。同じだった。 おかしいのは自分なのかもしれない、と思った。思ってから、その考えを追い払った。追い払えなかった。 水野から次回作の催促が来るたびに、川島はプロットを送った。三つ、四つ、すべて戻ってきた。「読者がついていけない」「感情の動線が見えない」。川島には感情の動線しか見えていなかったのだが、それは言わなかった。 あるとき、戻ってきたプロットの余白に、水野の手書きが一行あった。「川島さんらしさを、もっと前に出してほしいです」。川島は、川島らしさ、という言葉を何度か読み返した。その字は丁寧で、本気のように見えた。 ある夜、古いノートを開いた。二十代のころ、書きかけて捨てた話があった。読み返して、恥ずかしくなった。荒削りで、説明が足りなくて、主人公の動機が不明瞭だった。 これを送った。もう何でもよかった。 水野から電話が来た。声が上ずっていた。 その新作は十万部を超えた。インタビューで「作品に込めた思い」を訊かれるたびに、川島は答えた。記者が喜ぶ答えを、いつの間にか覚えていた。 本が積まれた平台の前に、女子高生が二人いた。一人が本を手に取り、帯を読んでいた。「この人、大賞取った人だよ」と言った。もう一人が「知ってる、うちの現代文に出た」と答えた。最初の一人が表紙を眺めながら「どんな話なの」と訊いた。「なんか、孤独な話」と言って、もう一人は笑った。二人はそのまま本を棚に戻して、歩いて行った。 川島は棚の陰で、彼女たちがそう呼ぶ「川島の小説」を、もう読めなかった。 引退を発表したのは、著書累計五十万部を超えた秋だった。引退の理由は「書き尽くしたから」と答えた。 その夜、新しいアカウントを匿名で作った。川島は久しぶりに、最後まで書いた。書いたものを上げた。ひと月で閲覧数は三十に満たなかった。ほとんど読まれなかったが、少なくとも読み違えられはしなかった
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