EPISODE · Apr 12, 2026 · 20 MIN
主イエスがいる場所(稲葉基嗣) – ヨハネ 12:20–26
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年4月12日 復活節第2主日説教題:主イエスがいる場所聖書: ヨハネによる福音書 12:20–26、イザヤ書 56:7–8、詩編 16、コリントの信徒への手紙 一 15:35–49説教者:稲葉基嗣 -----ギリシア人たちはフィリポのもとに来て、イエスさまと会いたいと願いました。フィリポはそんな彼らの願いを聞いて、同じくベトサイダ出身のアンデレに相談し、イエスさまへと彼らの思いを仲介することにしました。ただ、フィリポやアンデレがせっかくイエスさまに仲介したのに、イエスさまが語る言葉は、何だか噛み合ってないように思えてなりません。フィリポとアンデレに向かって、イエスさまが語ったのは、「人の子が栄光を受ける時が来た」(23節)です。イエスさまがここで伝えていることは、イエスさま自身の死についてです。イエスさまは一粒の麦のたとえを用いて、自分の死こそが、すべての人に命をもたらすことを伝えています。私たちが抱くこの救いの望みを神は、すべての人に与えてくださっています。それは、生まれや出自、話す言語、社会的な地位、性別、生きる文化も関係なく。イエスさまはフィリポとアンデレに「栄光を受ける時が来た」(23節)と言いました。そう、すべての人に対して救いが開かれる時が訪れました。イエスさまと会いたいと願った、ギリシア人に対して、救いが訪れる日が来ました。ですから、フィリポとアンデレへのイエスさまのこの返答は、ギリシア人たちに直接的に、「会いに行こう」と答えるものではありませんでした。イエスさまが望んだのは、一時的な出会いではなかったわけです。十字架の死と復活を通して、罪の赦しと復活の希望を与え、すべての人と永遠に共にいることこそ、イエスさまが望んでくださったことです。この時、イエスさまの言葉は、一粒の麦の話だけでは終わりませんでした。「私のいる所に、私に仕える者もいることになる」とも語っています(26節)。イエスさまがいる場所とは、むしろ、私たちがイエスさまのために仕え、何かをするところに、その場所に、イエスさまは共にいてくださる。そんな風に、イエスさまは約束をされました。大きな指針となるのは、イエスさまの大切にされるものを大切にすることでしょう。主イエスにある愛や憐れみ、正義や平和を願って起こされる行動や、紡がれる言葉や祈りがあるところに、イエスさまは共にいてくださいます。フィリポやアンデレは、ギリシア人とイエスさまを繋ぐ架け橋になろうとしました。それは、現代において、ますます求められているあり方でしょう。もちろん、私たちにできることは小さく、少ないかもしれません。けれども、神の招きに応えて、自分たちの出来ることを通して、架け橋となろうとするとき、イエスさまは必ず、私たちと共にいてくださいます。
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