EPISODE · May 17, 2026 · 22 MIN
主イエスがパン切れを与えた理由(稲葉基嗣) – ヨハネ 13:18–30
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年5月17日 復活節第7主日説教題:主イエスがパン切れを与えた理由聖書: ヨハネによる福音書 13:18–30、ホセア書 11:8–9、詩編 103、エフェソの信徒への手紙 2:4–10説教者:稲葉基嗣 -----きょうの福音書の物語は、イエスさまがユダに「あなたが裏切り者だ」と直接告げている瞬間を伝えているかのようです。イエスさまは、「私がパン切れを浸して与えるのが裏切り者だ」(26節)と語り、イスカリオテのユダに浸したパン切れを手渡しました。でも、食事の場を去って行ったユダに対して、否定的な言葉や驚く声はまったく残されていません。その理由は、パン切れを渡すというイエスさまの行動そのものにありました。食事の席で、家の主人がお客さんにパン切れを渡すことは、心からの歓迎や友情、そしてもてなしのしるしでした。そう、イエスさまがユダにパン切れを手渡したことは、イエスさまからユダへの愛情や親しみのしるしとして受け止めることのできるものでした。何よりも、この食事の席でイエスさまがパン切れをユダに手渡したことは、ユダが裏切ることをわかりやすく示すための行動ではありませんでした。むしろ、イエスさまからユダへの親しさや愛情、もてなしや歓迎のしるしとしてパン切れはユダに手渡されています。そう考えると、この食事の場面は、裏切り者探しや、裏切り者を特定するような殺伐とした瞬間ではありません。それよりも、ユダが自分のことを裏切ることになるのを知った上で、イエスさまがユダを自分のそばに置いていたことがよくわかる瞬間でした。裏切られることがわかっていたとしても、決してユダのことを見捨てず、彼との関係を諦めずに、イエスさまはユダと向き合おうとなさいました。どのような生き方をしていても、どのような立場にあっても、神によって愛され、命が与えられている。そのような喜びに溢れた光をイエスさまは、私たちの生きるこの世界にもたらしてくださいました。ユダに対して、それは、一切れのパンという形で示されました。たとえ裏切り、闇の中を歩んでいくことがわかっても、絶対に見捨てない。この一切れのパンは、私たちに対しても、いつも差し出されているものです。イエスさまは、どんなあなたも、愛し、慈しみ、受け止めてくださる方です。何よりも、イエスさま自身が十字架の上にかかり、傷つき、命を差し出したほどに、神ご自身が命がけで、私たち一人ひとりを愛し、慈しんでくださっています。そんなイエスさまが差し出した一切れのパンはまさに、あらゆる人を受け入れ、愛する証しでした。
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主イエスがパン切れを与えた理由(稲葉基嗣) – ヨハネ 13:18–30
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