EPISODE · May 10, 2026 · 19 MIN
主イエスの愛が、先立つ(稲葉基嗣) – ヨハネ 13:1–17
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年5月10日 復活節第6主日説教題:主イエスの愛が、先立つ聖書: ヨハネによる福音書 13:1–17、創世記 1:27、詩編 117、ペトロの手紙 一 4:7–11説教者:稲葉基嗣 -----イエスさまが食事の席でご自分の弟子たちの足を洗い始めた時、イエスさまのその行動は驚きと戸惑いをもって受け止められました。足を洗うことが奴隷の仕事だったからです。ユダヤ社会の中で、自ら進んで他人の足を洗おうとする人などいませんでした。まして、「先生」と呼ばれ尊敬されている人が他人の足を洗うはずありません。ですから、イエスさまが食事の席で突然立ち上がり、自分たちの足を洗い始めた時、弟子たちはどれほど戸惑いを覚えたことでしょうか。イエスさまが奴隷の立場を選び、行動しているのですから。そして、自分を模範として、同じようにお互いに足を洗いなさいとイエスさまは呼びかけるのです。このようなイエスさまの行動や、その後の呼びかけは、弟子たちが当たり前だと思っていたことを揺るがすには十分な出来事でした。彼らにとっての当たり前は、身分の高い人のために身分の低い人が働く世界です。でも、イエスさまの行動はその当たり前を自らの身をもって逆転させるものでした。そして、お互いに足を洗い合うようにという、イエスさまの呼びかけは、驚くほどに人々の間に平等をもたらそうとする呼びかけでした。その意味で、イエスさまが自ら進んで弟子たちの足を洗ったことは、信仰者の群れがどんな共同体であるべきかを指し示すものだったといえます。そう、主イエスと共に歩む、教会の姿をヨハネは紹介しているのです。それは、お互いの間に、絶対的な上下関係を作り出さず、平等でいられる場所です。ヨハネは、イエスさまが弟子たちの足を洗ったという、この物語を導入する際に、「世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」(1節)と書きました。イエスさまの行動に滲み出ていたとヨハネは感じたのでしょう。このようなイエスさまが、弟子たちの足を洗った際に、その場にいたふたりの人の名前をヨハネは紹介しています。ペトロとイスカリオテのユダです。この後、ペトロはイエスさまを知らないと言って、イエスさまとの関係を否定します。ユダはイエスさまを裏切り、イエスさまを十字架刑へ向かう道に明け渡しました。イエスさまに足を洗われた弟子たちの多くは、イエスさまを見捨てた人たちでした。でも、イエスさまはその一人ひとりをこの上なく愛し、愛し抜きました。どれだけ失敗しても、その罪を赦し、すべてを受け止めました。その意味で、どれだけ裏切られ、どれだけ傷ついても、一人ひとりと向き合い、終わりまで愛し抜こうとする、イエスさまの愛と憐れみこそ、立場を越えて、お互いに平等である、教会のあらゆる歩みに先立つものです。
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