EPISODE · Jan 25, 2026 · 20 MIN
主イエスの涙はどこで流れる?(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:28–37
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年1月25日 公現後第3主日説教題:主イエスの涙はどこで流れる?聖書: ヨハネによる福音書 11:28–37、イザヤ書 25:6–10、詩編 70、ローマの信徒への手紙 12:9–15説教者:稲葉基嗣 -----イエスさまが訪れたベタニアの村は、大きな悲しみに包まれていました。その原因は、イエスさまの友人である、ラザロが4日前に亡くなったことでした。このような人々の悲しみやそれを引き起こしたラザロの死に触れた時、イエスさまは涙を流しました(35節)。人々がラザロの死を悲しむ様子を見て、イエスさま自身も様々な思いを抱き、心をかき乱されて、涙を流したのではないでしょうか。涙を流すマルタやマリア、そしてベタニアの人々に復活の希望を抱いてほしいと願いながらも、イエスさまは彼らの悲しみに共感を覚え、涙を流しました。この時、涙を流したイエスさまが見つめる先にあったのは、ラザロの墓です。それは、人々が「来て、ご覧ください」と言って、イエスさまを案内したからです。そこはまさに、その時の彼らにとって、深い悲しみと苦しみのある場所でした。そして、諦めと敗北の象徴のような場所でした。どうかそのような場所に来て、見てくださいと、彼らはイエスさまに伝えています。イエスさまが流した涙は、悲しみだけに支配された涙ではありません。また、諦めや落胆の涙でもありません。ラザロの命を諦めることができない。そんな愛情に溢れた涙でした。その生命が損なわれることを悲しみ、苦しむほどに愛してやまないラザロに命をもたらすために、イエスさまは来て、ラザロの墓を見つめました。「来て、見てください」と、涙を流しながら、悲しみ、悩みながら、イエスさまにお願いするのは、私たちだって同じです。私たちが涙を流し、失望する場所に、イエスさまが訪れてくださることは、私たちの心からの願いだからです。けれど、それは私たちの願いである以上に、イエスさまの願いです。私たちが涙する場所は、私たち以上に、イエスさまが愛を注いでおられる場所でもあるからです。けれども、その一方で、イエスさまが涙を流していることを私たちが気づいていないことだってたくさんあるでしょう。私たちが気づかないでいる、誰かの悲しみや苦しみがあります。そんな場所にも、イエスさまは来て、一緒に涙を流しておられます。神が私たちに勧めていることは、泣く者と共に、泣くことです(ローマ12:15)。きょう、イエスさまの涙は、どこで流れているのでしょうか。どうかイエスさまが誰かと共に涙を流していることに気づいたとき、勇気をもって一歩踏み出し、共に泣く道を選ぶことができますように。
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主イエスの涙はどこで流れる?(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:28–37
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