EPISODE · Feb 15, 2026 · 21 MIN
主イエスの死は誰のため?(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:45–57
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年2月15日 公現後第6主日説教題:主イエスの死は誰のため?聖書: ヨハネによる福音書 11:45–57、イザヤ書 49:6–13、詩編 95、コロサイの信徒への手紙 1:18–20説教者:稲葉基嗣 -----イエスさまの行いのすべては、人びとの間に命を吹き込むものでした。けれども、中には正反対の反応をする人たちもいました。最高法院の人びとは、イエスさまの行動が原因となって、ローマ人が自分たちを滅ぼすことになるのではないかと、恐れています。大祭司カイアファは、「一人の人が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合だとは考えないのか」(50節)と言って、イエスさまを排除することを提案します。カイアファによれば、暴動を防ぎ、平和を保つためには、この排除は、必要悪だというわけです。人々はイエスさまの命を奪い、自分たちの滅びを免れようとしました。ヨハネは、カイアファの言葉を預言として受け止めて紹介しています。イエスさまの死は、国家や民族を救うためのものではありませんでした。そうではなく、一人ひとりが主イエスにあって神と結びつき、命を得るために、イエスさまは命を落とされました。民族という枠に捕われない。性別も、年齢も、社会的な立場も関係ない。政治的な主張や信念も関係ない。能力や財産も関係ない。文字通りすべての人が主イエスによって実現した、神の救いの対象です。一部の力ある人たちだけが得をすれば良いというような考えの下で、弱い立場に立たされている人たちが切り捨てられていく。すべての人に、命を吹き込み、救いの道を開くために、イエスさまは十字架の上で息を引き取り、犠牲となられました。何かを犠牲にすれば、すべてが丸く収まる。そういったあらゆる犠牲に対して、イエスさまは終わりを告げておられます。命を奪い合う構造に終わり告げようとしておられます。そんなイエスさまが、私たちに向かって手招きしている道は、私たちが豊かな命に生きることを選び取ることができる道です。まさに主イエスの死は、きょうを生きる私たちのためにあります。
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主イエスの死は誰のため?(稲葉基嗣) – ヨハネ 11:45–57
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