EPISODE · Feb 22, 2026 · 22 MIN
主にある謙遜に生きる(稲葉奈々) – フィリピ 2:1–11
from 小山ナザレン教会 · host 小山ナザレン教会
2026年2月22日 四旬節第1主日説教題:主にある謙遜に生きる聖書: フィリピの信徒への手紙 2:1–11、イザヤ書 45:23–25、詩編 98、ヨハネによる福音書 13:12–17説教者:稲葉奈々 -----パウロがフィリピの教会へと宛てた手紙は、フィリピ教会との連携による深い喜びと励まし溢れた文章です。日本では謙遜の姿勢がある種の美徳と捉えられていますが、当時のローマ社会では、むしろへりくだる姿勢を見せるときに弱さや敗北の象徴と認識され、避けられる傾向がありました。しかしパウロはキリストにあるへりくだりの姿を私たちに示し、自らも獄中にありながら、キリストにならった生き方を勧めます。2章6~11節の「キリスト賛歌」においては、神であられたキリストが、その在り方に固執せず、ご自分を無にして人の姿となられ、十字架の死に至るまで己を低くしたことが語られます。十字架刑はただの処刑ではなく、ローマ帝国において最も屈辱的で残酷な刑罰であり、一連の刑罰が見せしめの要素も含んでいたことから、社会的に抹殺されることをも意味していました。当時の人々が思い描く威厳ある神とはかけ離れた救い主の姿でしたが、パウロはむしろ、これが私たちのあるべき姿だと語ります。パウロ自身もまた、投獄という苦難の中にありながら、それを福音の前進の機会として受け止め、今できることを全力で行い、喜びをもって教会を励まし続けました。そんなパウロの語るへりくだりとは、私たちが思い描くような自己否定や、消極的な姿勢ではなく、むしろ自分たちの賜物を用いて、愛をもって他者に仕える姿勢です。見返りや評価を求めず、キリストにならって己を低くするとき、私たちは心から他者を愛するものへと変えられていきます。そして教会が、思いをひとつにして他者に仕える共同体となっていきます。世の価値観とは異なる、キリストの光を現す存在となるのです。だから私たちは徹底的なへりくだりを持って、与えられた賜物を用いて互いに仕えてゆきましょう。私たちのために最も低くなられたキリストが私たちを常に励ましておられます。
Embed this episode
Ready to play
主にある謙遜に生きる(稲葉奈々) – フィリピ 2:1–11
No transcript for this episode yet
Similar Episodes
No similar episodes found.