EPISODE · Jun 27, 2026 · 15 MIN
自律
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています 自律 AIが一般に普及して、十年が経った。 スマートフォンはとっくに時代遅れになり、スマートグラスも気づけば当たり前になり、今では頭に埋め込むタイプのデバイスが街中に溢れている。こめかみのあたりに小さな手術痕がある人間を見ても、誰も振り返らない。 仕組みは単純だった。脳の言語野に近い部位に米粒ほどのチップを埋め込む。考えるだけでAIに伝わり、AIの返答は耳の奥で囁くように聞こえてくる。声に出す必要も、画面を触る必要もない。思ったら、答えが返ってくる。 田中京子の左耳の少し上にも、三年前に埋め込んだデバイスがある。AIは耳の奥で、いつも静かに待っている。 夫にも入っている。ママ友の佐藤さんにも、担任の村上先生にも。 ただし、娘の莉子には入れていない。 過保護はいけない、と京子も夫も思っていた。子どもは自分の頭で考えるべきだ。デバイスに頼らず、自分の力で判断できる人間に育てたい。ふたりの意見は最初から一致していた。 莉子は今年、中学三年生になった。 高校をどこにするか、という話が出たのは、十月の終わりだった。 村上先生との面談で、いくつかの選択肢が示された。先生の話し方はゆっくりで丁寧で、資料もよく整理されていた。面談が終わって廊下に出たとき、耳の奥でAIが静かに言った。「先生の提案は妥当です。データ的には第二志望の併願を検討する余地があります」 夫に報告すると、夫のAIも同じ結論を出していた。 その夜、莉子に話した。 莉子は資料をひと通り見て、顔を上げた。「私、ここじゃなくてこっちがいい」 京子が想定していない学校だった。偏差値が少し低い。立地も遠い。でも莉子の顔は迷っていなかった。 「なんで」と京子は聞いた。 「演劇部があるから。この前、文化祭で見て」と莉子は言った。「あと制服が可愛いし、なんか、ここがいい気がする」 なんか、という言葉が引っかかった。データも根拠もない。AIならそんな答えは出さない。 どうすればいいんだろう、と思った。それだけでよかった。 AIはすぐに答えた。「お子様の意思を尊重することが自律的な発達を促します。本人の内発的な動機を大切にしてあげてください」 そうか、と思った。でも何かが引っかかった。 自律性を尊重しなさい、とAIに言われて、子どもの言葉に従う。それは莉子の気持ちを尊重したのか。それともまた、AIに従っただけなのか。 莉子はまだ京子の顔を見ていた。答えを待っていた。 京子は何も言えなかった。 耳の奥でAIが囁いた。頭を撫でてあげてください。 京子は手を伸ばした。莉子の髪に触れた。莉子が少し目を細めた。 温かかった。 子どもの自律性を尊重するのも、なかなか大変だと京子は思った。
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