EPISODE · May 31, 2026 · 16 MIN
じゃんけん
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開していますじゃんけんじゃんけんには、有無を言わさぬ力がある。どんなに複雑な揉め事も、いざじゃんけんが始まってしまえば、その結果に異を唱える者はいない。コイントスやサイコロよりも、その強制力はずっと強い気がする。私はこの力を、ずっと使ってきた。会議室での根回し、取引先との交渉、部署間の利害調整——そういった場面で最後の一手として機能するのが、じゃんけんだ。だから私は考えた。じゃんけんの勝率を上げることは、人生の勝率を上げることだ、と。一対一で対戦するとき、初手の出現率にはわずかな偏りがあるらしい。チョキがやや少なく、パーとグーはほぼ拮抗している。ならば初手はパーだ。また、同じ手が続けて出される確率は低い。初手パーで引き分けたとき、相手はチョキかグーを出してくる可能性が高い。研究によれば、直前に負けた手は出しにくく、それに勝てる手が好まれる傾向があるらしい。パーで引き分けたなら、相手は次にチョキを選ぶ確率が高くなる。だとすれば、2手目はグーだ。最悪でも引き分けになる。それでもまだ決まらなければ、未出のチョキが選ばれやすい。3手目もグーで押す。この理屈で勝率はわずかに上がり、ひいては豊かな人生につながるはずだ。しばらくして、実際に手応えを感じ始めた。気のせいかもしれないが、勝ちが増えてきた気がする。ところが最近、負けが込むようになった。しかも、決まって同じ相手に負ける。何かおかしいと思い始めたころ、決定的なものを目にした。奴のノートだ。そこには名前と数字が並び、GCPの文字も見えた。奴はデータ派だった。対戦相手ごとに詳細な記録をつけ、それを読んで戦っていたのだ。有効な戦略だ。同じことをやるか?いや、違う。そのデータを逆手に取ればいい。奴の記録では私は「初手パー」の人間だ。ならば奴はチョキを出してくる。こちらの初手はグーにすればいい。次の機会、作戦は見事に決まった。奴の顔にかすかな驚きが走り、平静を装いながらも動揺を隠しきれていなかった。おそらく奴にとって私は、ずっとカモだったのだろう。データ派の人間なら、この初手グー戦略がしばらくは通じるはずだ。また調子が上向くかと思ったが、今度は別の男が勝ち続けるようになった。観察していると、一つの特徴に気づいた。この男は毎回、必ず「最初はグー」のアクションを入れる。あの掛け声が確率に影響するとは思えないが、とにかく勝率が異常に高い。何かある、と改めて見ていると、あることに気づいた。男の視線が、相手の目ではなく、もっと下に向いている。そうか。この男は相手の手の動きを見ているのだ。コンマ数秒のわずかなモーションを読んで、相手が何を出すかを判断し、それに勝つ手を瞬時に選んでいる。そんなことが本当に可能なのか。可能なのだろう、としか思えない勝率だった。敵ながら天晴れ。私は感心を通り越し、敬意すら覚えた。ただし、勝負は別だ。対策は難しくない。モーションを読まれなければいい。手の出し方を工夫することも考えたが、もっとシンプルな手を思いついた。クイック戦略だ。早口で一気に捲し立てる。「最初はグーじゃんけんぽん」、息をつく間も与えない。戦略の土台ごと崩された男は、哀れなほど狼狽えていた。少し気の毒な気もしたが、勝負の世界だ。情けは無用だ。次々と現れる新たな敵を、次々と退けてきた。しばらくは盤石だと思っていた。その男は、強そうには見えなかった。策を練るタイプでもなさそうだ。パーからグーの基本戦略で、楽に勝てると踏んだ。ところが男は、妙な動作を始めた。両手を組み、捻り、その隙間を覗き込んでいる。何をしている?動揺を押さえきれないまま、勝負が始まった。じゃんけんぽん。男の手はチョキだった。完敗だ。こんな負け方は久しぶりだった。不思議と、清々しかった。健闘を称え合ったあと、本来はしないことだが、思わず聞いてしまった。あれは、何だったのかと。男の答えは拍子抜けするほど単純だった。「手の隙間から見える光の加減で、なんとなく形がわかるんですよ。チョキっぽいなと思ったらチョキを出す、そんな感じです」なんとなく。その一言が、しばらく頭から離れなかった。統計を調べ、データを読み、モーションを分析した。それだけの理屈を積み上げてきた私が、「なんとなく」に負けた。ただ——その「なんとなく」を攻略する方法を考え始めると、気持ちが自然と高揚していくのを感じた。
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