EPISODE · May 23, 2026 · 14 MIN
最大公約数
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています最大公約数echoを使い始めたのは、部下の田中に勧められたからだった。最近流行っているらしいですよ、と田中は言った。SNSや写真から自動で日記を作ってくれて、AIが文章を補いながら育てていく仕組みだと。忙しい人にちょうどいいと思いまして、と付け加えた。確かに、少し余裕が出てきた頃だった。最初に生成された日記を読んで、首を傾げた。的外れな記述が続いた。家内に嫌な思いをさせてしまって後悔している、と書かれた日もあった。娘が自分を避けている気がする、という日もあった。部下との距離感が掴めない、という日もあった。どれも思っていないことだった。家庭は円満だし、娘とも仲がいい。部下との信頼関係も、長い時間をかけて築いてきた。そう思っていた。所詮はAIが少ない情報から判断していることだ、と修正を重ねた。ところがある夜、ふと気づいた。少ない情報から判断するなら、最大公約数的な答えを出すのではないか。つまりこれは、外から見てそう見える、ということではないか。家庭での自分の立場が、部下との距離感が、周りの目にはそう映っている、ということではないか。翌朝から、少し周りを見るようにした。その夜、遅く帰ると、妻がご苦労様と言いながら晩御飯を温めてくれた。いつも通りだと思っていたが、表情をよく見ると、どこか冷めていた。いつもありがとう、と言ってみた。妻が少し驚いた顔をした。それから、どうしたの急に、と笑った。表情が少しやわらぎ、横に座って、その日の出来事を話し始めた。随分と長い時間、話した気がした。娘には、次の休みに遊園地へ連れて行ってやると言った。娘は喜んだが、どこか表情がおかしかった。他に行きたいところがあるの、と聞くと、欲しいものがあるから買い物に連れて行ってほしいと言った。じゃあ次の休みはママも一緒に買い物に行こう、と言うと、今度は本当の笑顔で喜んだ。部下との関係も、少しずつ変わってきた気がする。いや、変わったのではなく、最初からおかしかったのに気づいていなかっただけかもしれない。echoはその間の変化を、克明に記録していた。最初の頃の日記と、今の日記を並べると、別の人間のようだった。修正を重ねた跡が残っている。直すたびに、少しずつ自分の輪郭が変わっていく。今日の日記にはこう書いてあった。少しずつ、変われるのかもしれない。修正は、しなかった。
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