EPISODE · May 19, 2026 · 18 MIN
最後のピース
from 余白の朗読室 · host tosusia
noteでも公開しています# 最後のピース 森田には、画家に必要なものがすべて揃っていた。ただひとつを除いて。 絵を見る目があった。美術館で作品の前に立つと、他の人が素通りしていくものに足が止まった。あの絵のここがすごい、あの構図の意味はこうだ、そういうことが自然にわかった。感性もあった。夕暮れの光の色、雨上がりの路地の匂い、人混みの中でふと感じる孤独——そういうものを言葉にする力があった。画家になるために必要な才能は、たしかに持っていた。 ただ、絵が描けなかった。 正確に言うと、頭の中にあるものを手が再現できなかった。思い描いた夕暮れと、キャンバスに現れた夕暮れの間には、いつも越えられない溝があった。美術の先生には「君は絵を見る才能がある」と言われた。褒め言葉のつもりだったのだろうが、森田には慰めにならなかった。見る才能など、いらなかった。描く才能が欲しかった。--- 転機が来たのは、四十三歳の秋だった。 画像生成AIが、ある段階を超えた。プロンプトを入力すれば、思い通りの絵が出てくる。その「思い通り」の精度が、ある日突然、本当に思い通りになった。森田は試した。夕暮れの光の中に立つ人影、雨に濡れた石畳、窓の外を眺める老人の背中。頭の中にあったものが、そのまま画面に現れた。 これだ、と思った。 世間は批判的だった。AIの描いたものは絵ではない、魂がない、本物ではない。森田は苦笑した。天然物が優れているというのは幻想だ、と思っていた。養殖のマグロを食べたことがあるか。天然物とは違う、人によっては天然物よりうまいと感じるものが、手間をかけて育てられている。大事なのは味であって、天然かどうかなどどうでもいい。絵も同じではないか。大事なのは、見る者の心が動くかどうかだ。 森田はAIと対話しながら、絵を作り続けた。作る、という言葉を森田は好んだ。描く、ではなく、作る。それが正確だと思っていた。--- 絵は、評価された。 ギャラリーに持ち込むと、オーナーが唸った。SNSに投稿すると、コメントが溢れた。「魂を感じる」「こんな夕暮れを見たかった」「泣いた」。森田は静かに満足した。やはり大事なのは、見る者の心が動くかどうかだ。 ただ、ポイントが伸びなかった。 その頃、絵の評価はポイント制になっていた。プラットフォームのアルゴリズムが絵を自動評価し、ポイントに応じて露出が決まる。高ポイントの絵は多くの人の目に触れ、低ポイントの絵は埋もれる。人間がどれだけ感動しても、アルゴリズムが低く評価すれば、その絵は存在しないも同然だった。 森田の絵は、人には刺さるのに、ポイントが上がらなかった。 嫌な時代だ、と森田は思った。絵の良さをポイントで測るなど、本来おかしい。美しいものに点数をつけるなど、できるはずがない。絵の価値とは数字ではなく、見た人の心の中に生まれるものだ。それをAIに判断できるはずがない。--- ある夜、森田はプラットフォームの仕様書を読んだ。 評価アルゴリズムの概要が、一行だけ書いてあった。*本システムは、AI生成コンテンツを自動検出し、評価スコアを調整します。* 森田はしばらく、その一行を見つめた。 AIが描いた絵を、AIが低く評価する。森田はAIで描き、AIに評価され、AIに弾かれていた。 森田は窓の外を見た。夜の空が広がっていた。 絵の良さを、AIに判断できるはずがない。 その言葉が、少し違う色に見えた。
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